第十一話 ラケッティア、魔族に向かって走れ!
「おい、減速しろって! このスピードで曲がるなんて絶対無理――」
だが、曲がった。遠心力に馬車の外に引きずり出されそうになりながら。
シデーリャス通りからロデリク・デ・レオン街へ出る道は材木を載せた荷馬車で渋滞していたので、おれたちの馬車はシデーリャス通りを全速力で西へ下るハメになった。
後ろからはデルガドと捕吏を乗せた箱馬車が三台くっついてきている。
予想以上の早さだ。さすが月五枚よこせというだけのことはある。
だが、本当に危ないのはおっかけてくる連中より、馭者台のツィーヌだ。
ウェストエンドからずらかったときもそうだが、こいつには若干スピード狂の気がある。
ジェームズ・ディーンみたいにイケメンでなく、スコット・ラファロみたいにベースも弾けないおいらはこんなところで派手に交通事故死する筋合いはないのだ。
だが、そんなおれの思いを知ってか知らずか、シデーリャスの邸宅が並ぶ通りを突風のごとく駆け抜け、貴族の召使いのカツラが舞い上がり、上流婦人がコマみたいにくるくるまわり、当の馬車は今のおれの心電図並みのジグザグカーブを連発しながら、突進する。
印刷機は右へ左へぐらぐら動き、〈インターホン〉がいなかったら、マリスとアレンカはぺちゃんこになっていただろう。
石畳の上を走る車輪のけたたましい音が鼓膜を引っちゃぶこうとするなか、フストがおれの肩をしっかり握って叫んだ。
「なあ、あいつらがおれたちに追いつくか賭けようぜ!」
「なんだって!?」
「だから! 賭けだよ! 賭け、賭け! オッズは七対十! どうよ!」
「やるわけねえだろ、バカ! アホ! この状態見て分かんねえのかよ、チクショー!」
「なに!? なんだって!? 車輪がうるさくてきこえないよ!」
そのとき、ツィーヌが叫んだ。
「全員右側に寄りなさい! 曲がるわよぉッ!」
おれたちは斜め四十五度に傾く車体の上で冷や汗をかき、標準体型がさほどの重しにならないことを恨みながら、馬車はアルトイネコ通りへ入った。
よりによって、治安裁判所がある通りだ。
おれたちの考えではこのままアルトイネコ通りをサンタ・カタリナ大通りまで行き、そこで東へ針路を変えて、ロデリク・デ・レオン街を横切る。
ゴールは魔族居留地にあるディアナが手に入れた古い家。
やつらもさすがに魔族居留地までは追いかけてこない。
とはいえ、こっちは商業地区をぐるっと遠回りに走っているのだから、やつらにもサンタ・カタリナ大通りにバリケードを築くくらいの頭と時間はあるだろう。
バリケードを築くとしたら、杯――サンタ・カタリナ大通りに赤ワイン通りが斜めに注ぎ込まれる広場だ。
公営質屋から近いし、ロデリク・デ・レオン街との合流点では広すぎて塞ぎきれない。
だから、杯でおれたちを止めるのだ。
だが、そのバリケードを抜ける手がある。
スカリーゼ橋を渡って、対岸のモンキシー通りへ入り、グラマンザ橋を渡って、サンタ・カタリナ大通りに戻るのだ。
これで杯のバリケードを回避できる。
「ツィーヌ! スカリーゼ橋を渡れ! バリケードを回避するんだぞ!」
「わかってるわよ、そのくらい!」
ホントは分かっていなかったことがあとで明らかになる。
あるいは分かっていて、無視したのか。
馬車がヘアピンカーブをやらかして、おれの寿命が車輪と一緒にギャリギャリ削れていくあいだ、ツィーヌ・ザ・スピードモンスターは馬の尻を手綱で激しく打ってサンタ・カタリナ大通りへ爆走した。
アレンカが頭を斬られた剣士みたいに両手を空に向かって伸ばした。
ドォン!
馬を傷つけず人間だけ狙う魔法を使ったらしく、局地的な風の金槌は箱馬車の赤い車体とそのなかに乗る捕吏たちを容赦なく叩きつぶした。
「げっ! 何やってんだ! スカリーゼ橋を通り過ぎたぞ!」
白と黒に塗られた橋の番人小屋が光の速度で後ろへと消えていく。
大通りじゅうの人間のぽかんと開けた口がそれに続く。
一方、杯では捕吏たちが道行く馬車を奪い取ってつくったバリケードがまわりの家から家具やガラクタを吸収し、横幅と高さがぐんぐん増している。
荷馬車はそこへ正面から突っ込もうとしている。
まままま待て落ち着け来栖ミツル五大ファミリーの名前を唱えて心を静めろ平常心を手に入れろガンビーノジェノヴェーゼルケーゼコロンボボナンノほら、落ち着いた。おれはもうクールだ。このカーチェイスだって考えようによっちゃマフィアっぽいぞ。マフィアのボスはチンピラ時代に一度はカーチェイスを経験するものじゃないか。サム・ジアンカーナはFBIの尾行を振り切るのが楽しくてボスになってからも自分で運転したっていうし。それにほらC・トーマス・ハウエル主演の低予算ギャング映画『ベビー・フェイス・ネルソン』でもカーチェイスはあったし、他の映画のカーチェイス・シーンを切り混ぜたB級感満載のしょぼさは通好みだし、音楽とC・トーマスのいい感じなチンピラぶりで見応えのあるものに仕上がったじゃん。そういえばあの映画にディリンジャー役で出てきた俳優さん、ベスト・キッドに出てきた悪者空手家だよねってあああああ!死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!絶対死ぬ!ぶつかって骨肉眼球四散するううう!近い近い近いバリケード近い!
ドォン!
馬車がバリケードにぶつかった音。
おれ、死んだんだ。
あ、三途の川の向こうにじいちゃんが。
いや、待てよ。じいちゃん生きてるじゃん。
ってことはあっちが生きてる人の世界でおれがいるこっち側が死者の世界?
あ、じいちゃん。しっし、してる。とっとと死ねって。あんのクソジジイ。
「誰がくたばってやるもんか、ばかやろぉ!」
「わ、びっくりしたのです」
「え? あ、おれ、生き返った」
「そもそも一度も死んでないわよ」
と、ツィーヌ。
ツィーヌによると、アレンカのダウンバーストの逆バージョンがバリケードの真下を起点に発生し、木や鉄が裂け、ぶつかり、砕けながら、間欠泉みたいに宙空へ飛びあがったのだ。
馬車はバリケードを失い、残った捕吏たちを蹴散らして、封鎖地点を突破。
「やるじゃん! ツィーヌ! えらい、見直した!」
「褒めるのはまだはやいわよ」
「へ?」
ヒュウウウ、ガシャン!
馬車の前方十メートルに車輪のとれた大型馬車が落ちてきた。
アップバーストで吹き飛ばされたガラクタたちが六階の高さから恐怖の無差別爆撃を開始したのだ。
椅子が、棚が、樽が、馬車が、金庫が落ちてくる。
ベッドが宙で真っ二つに折れて、へそくりの銀貨がぎらぎらと降り注ぎ、地面に激突した貴族の箱馬車からはこの印籠が目に入らぬかとばかりに紋章入りの扉が目を狙って吹っ飛んできた。
酒壜やワイン樽が割れた場所では公衆の面前で四つん這いになることを恥と思わない連中が、火酒入りの香ばしい水たまりをちゅうちゅう吸っている。
グシャ!
猛然と追いかけてきた馬車が花色のドレスをばらまきながら後退していく。
大きな婦人服クローゼットが車体にめり込み、バタバタ狂ったように跳ねまわる扉から捕吏たちが転がり落ちたからだ。
――†――†――†――
その後、テトリスみたいに降り注いだ家具を避け、横道から狼みたいに飛び出してくる捕吏の馬車をかわし、デ・ラ・フエンサ通りでは梶棒がもげて、馬が全部逃げ、〈インターホン〉がかわりに馬車を曳くという高度な芸当まで見せてから、魔族居留地の門を無事くぐることができた。
これだけ派手なカーチェイスをやって、おれたちをパクれなかったデルガドはイヴェスによってお払い箱にされるだろう。
まあ、これで問題が一つ片づいた。
ディアナが印刷所にするつもりで手に入れた建物はデモン通りに面していて、平屋に屋根裏部屋がついただけの古い石の家だ。
おれたちが家の前で馬車を止めると、印刷機が珍しいのか魔族たちがぞろぞろ集まってきた。
そんなかにカルリエドがいないという確信はない。とっとと印刷機を運び込んで、とっとと――
「おーい、ヒューマンのブラッダ!」
「ぎゃあ! もう来た!」
「ブラッダ、うちぃ来てくれん? ハートのブラッダ、パッキシかわいいことになったんだや。マジ、見るべきサタンなんよ」
「でも、おれ、グロいの苦手だし」
「でも、ハートのブラッダは間違いなく、ヒューマンのブラッダのこと気に入ってるだや。ヒューマンとハートのブラッダ、つながることぉは、ミスなしでまじサタンなんよ」
そう言いながら、カルリエドはおれの腕をつかんで、めっちゃぐいぐい引っ張る。
アサシン娘たちはお達者で~、と手をふるばかりでおれを助けてくれない。
ばんじきゅーす。
実際見てゲロ吐いたりしないよう、今から頭のなかで緑色の内臓がぴくぴく動くさまを想像し、本番に備える。
カルリエドの石切り場へ連れてこられると、例の博物館みたいな部屋へ通され、
「ほら、ヒューマンのブラッダ。よぉく見るだや。かわいいもんだん。目ェそらしてちゃあ、もったいないんよー」
例の石にかぶせてあったキャンバス地のカバーをバサリと横に投げる。
石のなかにいたのは――え? 美少女?
あっけにとられたおれをカルリエドがカラカラ笑う。
「ブラッダ。内臓が出てくると思っただか? 違うんよ。カルリエド、言っただや。かわいいハートのブラッダだって」




