第六話 ラケッティア、廉潔の人。
トントン、と控えめにノック。
いや、前回は突撃!判事の晩御飯!なんてテンション高めでいったけどね、この家、おれっちのテンションの圧にすら、ぶるぶる震えて崩れそうなくらいボロいんよ。
だから、ソフトにノック。
ドアが開く。
最初、おれはイヴェスが実はロリコンで年端もいかぬ美少女を囲ってるのかと思った。
が、出てきたそいつは男らしい。
顔のつくりが女性っぽいところがあるのはトキマルもそうだが、こいつはそれをはるかに超える。
ただ、その童顔には何やら小悪魔っぽいずるさも垣間見える気がして、それで女だと思ったのかも。
「何か御用ですか?」
「え、えっと、イヴェスに会いたいんだけど」
美少年はクスッと笑うと、
「え、えっと、先生に取り次ぎます。え、えっと、しばらくお待ちください」
と言い捨てて、薄暗い廊下の奥へと引っ込んでいった。
こいつとは初対面だが、それでも危うくジルヴァに、こいつをぶち殺せ、と命令するところだった。
性格悪いぞ、このガキ。
見た目はソフトだけどな。
ん、待てよ。ソフトにノックしたら、ソフトなやつが出てくる。
じゃあ、バイオレンスにノックしたら、バイオレンスなやつが出てくるのかもしれない。
じゃあじゃあ、セクシーにノックしたら? ワオ! セクシーなやつが出てくるかも……
「もしもし? あなたが妄想にふけるのはあなたの自由ですけど、ここではやめてくれませんか? こんなボロ家ですが、少しでも清潔にありたいと思うものでして」
いちいちカンに触る物言いをする野郎だ。
まるでおれの妄想力が汚れてるみたいじゃねえか。
実際汚れてるけどさ。
「で、イヴェスは?」
「先生はお会いになるそうです。こちらへどうぞ」
狭い廊下を進む。
華奢なクソガキや手練れのアサシンはすいすい通れるが、普通体型のおれには一苦労。
この廊下だって昔は普通の幅だったのだろうが、天井まで積み重ねられた革装丁の書物の柱に両サイドから圧迫されて、人が歩くための空間が半分以下になってしまっているのだ。
そんなに広くない家なのに、イヴェスの部屋のドアの前に着いたころにはヘトヘトになってた。
クソガキがノックし、お客さまです、先生、というと、入ってくれ、と返事があった。
「では、どうぞ」
と、言うだけで済むのに、こいつ、おれを見て、ジルヴァを見て、またおれを見て、クスリと笑った。
いちいち余計な動作をするやつだ。
――†――†――†――
本をデータと呼んでいいんなら、イヴェスの部屋はサイバーパンクと言える。
モノと本がめちゃくちゃにあふれかえっている。
本の峡谷のあいだに年中花を咲かせ葉を茂らせるタフな鉢植え、鋳鉄製の猫の看板がなぜか壁につけてあり、その出っぱりに一張羅の外套がかけてあり、剣とピストルはその下の長靴に突っ込まれている。
イヴェスが片づけられない男であることは間違いない。
とはいえ、食いかけを何日もそのままにしている様子はない。積み上がった本の上に空の皿があるだけでかびたパンや腐ったチーズが潜んでいる気配はない。
イヴェスが百年に一度のキツい冬と戦うにあたって、用いることができた戦略資源は肩がすり切れたガウン、毛糸の靴下、燃える炭を入れた行火だけであり。イヴェスはこちらに丸めた背を向け、小さなランプの明かりを頼りに何か書き物をしていた。
羽ペンがさらさらと紙の上を走り、ときおりインク瓶をコンと小突く音がして、またさらさら。
イヴェスは背を向けたまま、たずねた。
「用は何だ?」
「二つある。一つはブラウリオ・メナウスの治安紊乱罪をなかったことにしてほしい」
「誰だ、それは?」
「今日、おれと一緒に牢屋に入った役人だ」
「その男とお前の関係は?」
「ない。だけど、アドリアン・フストが賭けに負けて、カネのかわりにその役人のやったことをなかったことにすると約束しちまったんだ」
「それならアドリアン・フストが役人の罪状をもみ消すべきではないのか?」
「フストを知ってるのか?」
「違法な賭博場にいたところを二度逮捕されている」
「実はおれ、そのフストと組んで新しいビジネスをやることになったんだ。それなりにでかいビジネス。だから、フストの借りもおれが払ってやらないといけない」
「わかった。やってみよう」
「助かる。ただ、おれ、今、文無しなんだ。まあ、宿に戻れば、カネはあるから、誰かにここまで持っていかせるよ」
「カネはいらない」
「もっといい場所に住めるぜ」
「騒がしいのは苦手だ」
「でも、タダより高いものはないって言うしなあ」
「カネはいらないが、借りができたと覚えておいてほしい」
「ん? 分かんねえぞ? カネはいらないのに、おれみたいな筋金入りのラケッティアには貸しをつくっておきたいってのは矛盾してないか?」
ペンが止まり、肩が動いた。軽くため息をついたらしい。
椅子をこちらに向けると、
「カラヴァルヴァで正義を貫くのは生易しいことではない。ときには必要悪の存在を認めなければいけないこともある。お前は犯罪者であり、それも極めて有力な犯罪者だ。この市にはそういったものでなくては入れない場所がある」
「魔族の居留地とかカラベラス街とか?」
「そんなところだ」
「誰かタレこめってんなら、別を当たってくれよ」
「タレコミ屋になれと言っているのではない。それよりもう一つは?」
「警吏のデルガド。知ってるか?」
「悪評はいくつも」
「あの野郎、管轄以外の連中からもカネを巻き上げる気でいる。それも相場の月三枚じゃなくて月五枚払えと言ってきやがった。なあ、そりゃおれはあんたには一銭も払ってないが、あんたの上司やあんたの同僚、あんたの部下には毎週きちんと払うもん払ってる。それは商売を治安裁判所に邪魔されないためであり、牢屋にぶち込まれるような不愉快なことが起こらないようにするためだ。いま、起きてることは契約違反なんだ」
フィラデルフィア・ファミリーのボス、ニコデーモ・“リトル・ニッキー”・スカルフォは手下に判事を撃ち殺させたことがあるが、それは判事が賄賂をもらいながら、スカルフォに不利な判決を下したからだ。
警官殺しはご法度で判事殺しなど考えただけで死刑に値するヤバいことだが、そいつが汚職判事で、しかも裏切ったのなら、ぶち殺してもいいというのがマフィアの掟だ。
あのデルガドがやっていることはまさにこれであり、これから一波乱巻き起こす恐れがあるのだ。
長官殺しがあって半年もたたないうちに警吏殺しをやれば、治安裁判所もさすがにメンツが潰れるので、取締りを強化するか、そのフリをするハメになる。
たとえ、フリだけだとしても、市場など大っぴらにやってきた稼ぎが封じられるので、こっちは大損だ。
「デルガドは警吏のなかでは筆頭だ。部下にしている捕吏は五十人を数える」
「だから、好きにさせてやれって?」
「そうではない」
イヴェスは気難しい顔をして黙り込んだ。
デルガドのことにはイヴェスも手を焼いているようだ。
そろそろ治安判事の手綱が利かなくなり始めているのかもしれない。
「なあ、これは脅してるわけじゃないけどさ」
おれは続けた。
「デルガドのやつ、このままいけば、誰かに殺られるのは間違いない」
「……」
「そうなれば、あんたの側もおれたちの側も両方ひでえ目を見ることになる」
「……」
「だから、あいつを左遷するか、権力根こそぎ抜き取って失脚させて引退させるかしないとまずい」
「それにはデルガドは大きくなり過ぎた。でも――」
「でも?」
「何か一つ、大きな失態を犯せば、穏便に潰すことは可能だ」
言外の意:その大きな失態、お前がやれ。お前には貸しがある。
ちぇっ。
トキマルならめんどくせーとふて寝するところだな。
アレンカなら、了解なのです!と元気に返事して、デルガドの家に特大火球をぶち込んで派手な花火を上げるだろう。
くそー。
酔っ払いの一晩の蛮行をチャラにしてもらうお返しとしては重すぎるだろうが。
どうしたもんかとウンウン呻っていると、コンコンとノックがきこえた。
例のガキが出てきた。
「先生、食事の準備ができました――って、ああ、あなた、まだいたんですか」
「そうだ。まだいたんだ。気をつけろよ、一生居候するかもしれないからな」
紹介がまだだったな、とイヴェスがあいだに入る。
居候が客と揉め事を起こすのはこれが初めてではないことを感じさせる見事な間の取り方だ。
「彼はギデオン・フランティシェク。ここでわたしの助手をしてもらっている。ギデオン。こちらは来栖ミツル。名前はきいたことがあるだろう」
ギデオンはわざとらしく手を叩いてから、
「ああ、叔父さんの七光りで好き勝手やっている目下売出し中の犯罪者とはあなたのことでしたか。お会いできて光栄です」
と、言ってきやがった。
言葉そのものはむかつくが、何かにつけてはしっこそうに見える法学生がトリックに騙され、ヴィンチェンゾとミツルが同一人物だとは夢にも思っていないというのはなかなかにザマアミロな気分にさせてもらえる。
「で、先生。彼らも一緒ですか。ええ、大丈夫です。多めにつくってますから」
さて、前置きが長かったが、よい子のみんなまたせたな。
来栖ミツルの突撃!判事の晩御飯! 今度こそ、はっじまるっよーっ!




