第四話 ラケッティア、留置所にて。
おれたちは治安裁判所にある別々の牢屋にぶち込まれたが、そこには先客が二人いた。
酒に酔って気がついたらここにいたという実直そうな、だが青ざめた役人。
もう一人はアドリアン・フスト。
フストは手入れのとき、よー、ごくろうさん、と捕吏たちにねぎらいの言葉をかけながら、破れたドアから出ていったのだが、あまりに堂々としていたので捕吏たちはフストをふん縛ってもいいかどうか確信が持てなかった。
だが、結局、ここにぶち込まれたとこを見ると、その神通力にも限度があるようだ。
何かの間違いなんだ、と役人はメソメソしていた。
「普段は一滴も飲まないんだ。それが今回は昇進祝いもあって、ほんのちょっとだけ、ほんとにちょっとだけワインを飲んだんだ。でも、それだって湯で割ったものなんだ。それなのに気がついたら、ここにいたんだ。獄吏が言うのはわたしは二人の上司の頭を太鼓のかわりに叩いて聴くにたえない歌を歌いながら、騎馬像に上って、小便をし、通りがかったマロニエ男爵夫人の馬車を汚した公女紊乱の罪で起訴されるというんだ。でも、誓って違う! 普段のわたしは勤務態度良好な港湾局の次長なんだ!」
「そんなこと、おれに言われたってねえ」
はやくも牢名主の風格さえ手に入れそうなフストが粗末な藁敷きベッドに寝転がりながら、
「こうしてぶちこまれたんだから、こりゃどうしようもない」
「わたしの昇進は?」
「そりゃ、パアになるだろ」
役人はおいおい泣きまくった。
「まだ悪い知らせがある。たぶん、おれたちぶん殴られる――だから、泣くなって。悪いことばかりでもないだろ? 右目と左目、どっちのアザのほうがデカくなるか、賭けられるじゃないか」
「間違いなんだ!」
見事なまでに意志が通じていない。
フストは恐るべきギャンブル野郎であり、これでギャンブルに強ければ、イヤミなくらい最高にかっこいい。
だが、弱い。
いまだって外した。
フストは役人の左目がどつかれると賭けたが、実際、殴られたのは右目のほうだった。
フストは素寒貧で、おれもぶち込まれるときに所持金全部を取り上げられている。
そのためカネのかわりとして、役人が酔っぱらってやらかした様々なことをもみ消すことが約束された。
もみ消す役はフストでなくて、おれなんだけど……。
これでポルノ・ビジネスがうまくいかなかったら、フストのケツを一発蹴飛ばす権利がおれにはあると思う。
ガンガンガン!
獄吏が警棒で牢屋の格子をぶっ叩く。
「来栖ミツル。出ろ」
おれが牢屋から出ていくあいだ、フストはおれの右腕と左腕、どちらがへし折られるか賭けようと役人にしきりに持ちかけていた。
――†――†――†――
治安裁判所はそこいらじゅう隙間だらけのどうしようもない建物だが、さすがにこの数週間は寒くてたまらなかったのだろう。窓枠のあいだの隙間や壁にあいた穴にコールタールに浸けた布を突っ込んでいる。
おかげで寒さはしのげたが、部屋に我慢ならないタールの臭いが染みついた。
おれをパクった警吏の名前はデルガド。
サウス・ボストンで一番鼻持ちならないアイルランド系の警官をさらに百倍我慢ならないやつに仕上げると、このデルガドが出来上がる。
デカくてごつい体にデカくてごつい顎、そこにタワシみたいな髭を生やし、髪を撫でつけるのに使ってるのは、え? これ、オリーブオイル?
こいつの縄張りは白ワイン通りから公営質屋のあるあたりまで。
自然と〈銀行〉もこいつの担当になるのだが……。
「これからはおれに月、金貨五枚支払え」
開口一番これだよ。警吏の相場は月に金貨三枚だ。
欲の皮の突っ張ったクソ汚職警官め。
こいつの管轄は白ワイン通り。おれの縄張りはリーロ通りの左右。
おれにはこいつに払う義理はない。
ちゃんと、リーロ通り管轄のルザノという警吏に払ってる。
払っているだけではない。
〈ラ・シウダデーリャ〉の一階の小部屋を小さなバーにして、警吏や捕吏に無料のワインを進呈している。
治安判事にも払ってるし、裁判所長官にも払ってる。
それもこれも、こんな不快な思いをしないためだ。
が、だが部屋に籠るタール臭におれはゲンナリ。口を開く気も起らない。
このタールが相手に反論を防ぐための作戦なら大成功だ。
だが、そもそも取調室にはおれとデルガドしかいない。
相手はおれより二倍デカいし、人生の半分以上を犯罪者をいたぶって過ごしてきた男だ。
こいつの目を覗き込むと、地獄の釜戸みたいな劫火が燃え盛るのも見える。
ホントに腕へし折られて、フストを勝たせるのも癪である。
こんなとき、日本男児にはイエスともノーとも取れる言葉がある。
「善処します」
ほんとはこういう意味だ。
あとでキッツイお返しくれてやるから覚悟しとけ、ドクズ。
――†――†――†――
保釈金の名のもとに所持金を全部没収された。
ホントふざけた野郎だ。あのデルガド。
やつにはいずれ報復するとして、やることがある。
治安判事のイヴェスに会って文句の一発も言っておく。
賄賂払ってるんだから、そのくらいのことは言ってもいいはずだ。
治安裁判所の受付でイヴェスにつないでくれと言ったら、今日は非番で官舎にいるはずだとこたえが返ってきた。
外に出ると、西のお空が真っ赤。
それが雪を杏みたいな色付けをすると、雪はかき氷に見えてくる。
「とりあえず、今日はこれまで。続きはまた明日」
そうか、とディアナは言い、
「明日、デモン通りに来てほしい」
「それって魔族の住んでるあの?」
「ああ。心配するな。話せば分かるが、魔族はそんなに悪いやつらではない」
「うん。それは知ってる」
おれが魔族居留地を避けているのはカルリエドのところにあるグロい人体模型モドキを避けているからだ。
うっかりやつに捕まって、ヒューマンのブラッダ、これ見てくれん、と捕まったが最後、一週間は食欲がなくなる。
いまあの石には筋肉が人間のかたちをとり始め、白い筋が走り、ひょっとすると目玉なんかも出来上がってるかも。
うげー。
でも、猥褻札の印刷拠点を魔族居留地に持つというアイディアは素晴らしい。
今日みたいに欲かいた悪徳警官の不意の手入れなんか食らう心配がないし、三色カードで暮らしてる連中の焼き討ちも防げる。
でも、行きたくねー! だって、怖えーんだもん!
ディアナが帰る。次はフストだが、こいつにはもう帰る家がない。
しょうがないから、トキマルに送らせて、〈ちびのニコラス〉に泊まらせる。
その際、帰り道に絶対にギャンブルをさせるなとトキマルに言い含める。
「死ぬほど、めんどくせー」
脱力忍者とへっぽこギャンブラーが帰る。
残ったのはおれとジルヴァの二人だけ。
「じゃ、行くか」
「……どこに?」
「イヴェスの家だ」




