第十七話 ラケッティア、ポピュリズムのスケッチ。
翌朝、魔族居留地を囲う城壁へ向かうと、思ったより大事になっててビビった。
丸いフェルト帽に白い十字を縫いつけた白騎士党員が投石機を組み立てようとして重力や幾何学の不思議と戦っていた。
ドン・ウンベルト・デステ伯爵はというと、銀の胸当てをつけ、ドン・モデスト・レリャ=レイエスと馬首を並べ、自分たちの子分を三つの突撃隊に編成しているところだった。
これに大勢のカタギが野次馬で集まっているが、なかには市民義勇兵の連中もいて、包丁と粗末な槍を手に魔族リンチの一助を担うつもりらしい。
そして、人の集まるところ必ず現れる屋台商人たちがはちみつ湯や炙ったアーモンド、人間が魔族を虐殺する様子を刷った気の早い絵入りチラシ、魔族の邪眼を防ぐお守りを売っている。
犯罪組織のケジメはいつの間にかエンターテインメントにすり替わってしまった。
なかで魔族たちがどんな対抗策を考えているか分からない。
というか、このなかで実際、魔族の居留地に入って、魔族と口をきいたことのあるやつはどれほどいるんだろう?
とにかく冷静に話ができるやつを探し、善後策を話し合いたい。
〈杖の王〉はカラベラス街方面からやってくる貧民の群れを濃く白い眉毛の下から、どこか残念そうに眺めていた。
その貧民たちは彼が動員したのではなく、狂犬神父のプロチストゥ師が動員したものだった。
当の神父どのはイドをキメて両手にピストルを持ち、ロバにまたがって行列の先頭を進んでいる。
貧民たちはぼろぼろの聖人幟や聖歌の歌詞を書きなぐった旗をふりながら、路地や横丁の入り口から現れ、行列に合流していく。
「あのー。あれ、止めなくていいの?」
おれがたずねると、〈杖の王〉は太い首をまわして、おれにふり返り、
「やつらの自由だ。魔族とぶつかれば、タダじゃ済まないことは知らせた。それでも連中は行くと決めたそうだ。プロチストゥ師は軽率なところがあるかもしれんが、カラベラス街の人間にとっては恩人みたいなものだ。そして、恩人がぶつかれば死ぬかも知れない戦いに挑むなら、それに付き合うのが筋だというわけだ。お前、来栖ミツルか?」
「はい。叔父のことは知ってますよね?」
「ああ。昨夜、とんでもない提案もされた。それについては?」
「全部知ってます」
「なあ、お前の叔父さん、本当に黒幕があいつだと思ってるのか? すさまじい見込み捜査だぞ、あれは」
「そうすけど」
「根拠は?」
「根拠なんてないっす。あいつだったら思う存分いたぶってぶち殺した後、間違いだったと分かっても心が痛まないと思って、考えてみた。そうしたら、動機も方法もありそうだ。それだけっす。それより叔父さんから人探しを頼まれたと思うんすけど」
「クルフォーという男のことだな? 元密輸屋だろ? 市内にいれば、いずれ網にはかかる」
「まあ、あんたはカラヴァルヴァじゅうの物乞いや乞食を配下にしているし」
「それに放浪楽士を忘れちゃいかん」
「放浪楽士も。だから、この街に潜んでいると思われるある人間を探し出すのなんか、そう難しいことじゃないはずだろうなとは思ってたんす。叔父さん、恩に着るって言ってましたよ」
「それはお互いさまだ。こんな馬鹿げた抗争でこれ以上身内から死者を出したくない。それにしても、魔族居留地には門はあるが、扉はない。あいつら、何をぐずぐずしているんだろう」
――†――†――†――
門はあるけど、扉はない。
つーか、扉のかわりにもっと強烈なものが通せんぼしてた。
「あなたですか」
サアベドラは腕を組んで、門のど真ん中に立っていた。
ここに集まった連中は一度はヤク絡みでサアベドラにボカスカジャンにされたことがあるから、さすがに手を出しかねているらしい。
「話したいことがある」
「ここを通りたいなら、わたしを倒してからいくことです」
「なあ、そんなツンケンせず、おれたちもっとピースフルにやっていけるはずだ」
「そうですね。居留地を武装して血に飢えた人間どもで包囲して投石機まで用意している。とても平和的です」
脈あり。皮肉を言うくらいの余裕はまだあるらしい。
「いいか、おれは人間にしろ魔族にしろそのハーフにしろ血の雨降らせたくはない。そのための話し合いがしたいんだ」
「ここでですか?」
「嫌なら場所を変えてもいい」
「わたしがここをどけば、やつらが雪崩れ込むでしょうね」
「そんなことにはならない――(スピー、スヒュー)――ごめん、指笛吹ける?」
ピィーッ!
サアベドラの指笛を合図にうちの武闘派構成員が続々現れる。
マリス、アレンカ、ツィーヌ、ジルヴァはアサシンウェアの完全武装、トキマルはカラヴァルヴァじゅうの人間を一週間はラリったままにできる幻術忍法を用意してのご登場、そして〈インターホン〉だが見た目で威嚇ならこいつがナンバーワンだし、それに道路の敷石引っぺがしてトンマの頭に投げつけるくらいは何の造作もなくやってくれる。
「あんたがいないあいだ、おれの身内が門を守る」
人間陣営から物凄いブーイング。
裏切り者。背教者。クソ野郎。人類の敵。パブリック・エネミーNo1。
そして、ハゲ。
「ハゲ? 誰がハゲじゃ、ボケ! ――コホン。とにかくだ。この門をくぐるものは地獄を見る。おれが見させる。あいつらなら必ず殺すし、ここで命拾いしても、一生付け狙うくらいのことはする。だから、とにかく話し合いだけはさせてくれ」
「……」
サアベドラはおれを見て、おれにブーイングを浴びせる人間たちを見て、その赤い瞳をまたこちらに向けて、うなずいた。
「わかりました。あなた一人だけ来てください」
――†――†――†――
魔族居留地に入れてくれるのかと思ったが、そう簡単にはいかないらしく、サアベドラが、フンと顎でしゃくった先は城壁の階段。
城壁の上が通路になっているから、そこで話すらしい。
「それで、あなたの企みは何なのです」
通路を時計回りに歩きながら話す。右側は魔族の街。左には怒れる人間たち。
「やったのは魔族じゃない」
「口先だけでは何とでも言えます」
「魔族とハーフのあんたであの強さなら、魔族連中がおれたちを襲撃するのに銃身百本束ねた大砲もどきは必要ない。やったのはろくに魔法も使えないチンピラみたいな連中だ」
「なら、さっさとそいつらを捕まえればいい話です」
「そう簡単には行かない。今度の件には全てをお膳立てした黒幕がいる」
「黒幕? 誰ですか?」
「ミケーレ・カヴァタイオだ」
「きいたことのない名です」
「そいつはおれがいた世界――じゃなくて、おれがいた国、でもないんだけど、とにかくシチリアって島があって、そこにはカラヴァルヴァみたいにたくさんのマフィアのボスがいた。1960年代のはじめ、権力争いが起きて、ボスたちは二つの派閥に分かれた。古くからのボスであるグレコ派と新興勢力のラ・バルベラ派。血なまぐさい抗争が続き、どちらも大勢が死んだが、結局はグレコ派がラ・バルベラ兄弟を殺して抗争に勝利した。すると、まもなくボスのグレコの屋敷のそばに爆弾が仕掛けられた。通報を受けた憲兵たちはそれを解除しようとしたが、爆弾は爆発して、憲兵五人が死んだ。この爆弾を仕掛けたのがミケーレ・カヴァタイオだ」
「そのカヴァタイオという男はどうしてそんなことをしたんですか?」
「抗争を長引かせるためだ。グレコ派とラ・バルベラ派の両者が争って弱ったところで全てを牛耳る算段だった。ラ・バルベラ兄弟を焚きつけたのもカヴァタイオだったんだな。ところが、そのラ・バルベラ兄弟があっさりやられたから、今度は爆弾事件を引き起こして、警察の弾圧がグレコ派に向くように仕組んだ。ここまできいたご感想は?」
「邪悪な男です。その男と同じことを人間と魔族のあいだで引き起こそうとしているものがいるということですか?」
「おれはそう思ってる。シチリアのマフィアたちは最終的にはカヴァタイオの陰謀に気づき、そいつを殺して、抗争を本当の意味で終結させた。おれたちもそうすべきなんだ。黒幕を見つけて、ケジメをつけるのが本来のおれたちがやることだ。こんなふうに壁のまわりでわちゃわちゃするんじゃなくてさ」
「……」
「これがおれの提案。とにかくお互い手は出さず流血は避けてくれ」
「……」
「どうかしたか?」
「わたしには……あなたを、どこまで信じていいのか、分からない……人間のあなたを……」
信じる、か。信じるねえ。
人間でもなく魔族でもない。
おぎゃあと生まれて十何年。ずっと一人で生きていくというのは相当タフじゃなきゃ務まらないだろう。
「結果を出す。それから信じてくれて構わない」
「……」
「じゃあ、おれは帰る。門のところにいるおれのファミリーたちがまかり間違って馬鹿の一人か二人血祭りに上げるかもしれないんで」
「――あのっ」
「ん?」
立ち去り際にサアベドラが何か言おうとして立ち止まる。
サアベドラの小さな唇が言葉をつなごうとしたそのとき、
「おーっ! そこンいるはヒューマンのブラッダ!」
石切り場の貴公子カルリエドが城壁の下から、おれに声をかけてきた。
「さがしてたんよ、ブラッダ。ゴキゲンなもん見せっから、こっちィ降りてくれん?」




