第九話 ラケッティア、民俗学のスケッチ。
ケルベロス通りはそこまで広くないが、魔族たちにとってはメインストリートらしい。
通り沿いには屋台が並び、料理屋や酒場もある。
魔族でにぎわい、例の言葉の上にさらに言葉が上掛けされて、何が何だかさっぱり分からない。
「なあ、マリス。魔族ってこんなしゃべりするの知ってた?」
「今、初めて知った」
「そんなにおっかなそうにも見えない。ジルヴァはどう思う?」
「……問題なし」
「だよなあ。何言ってるか分からないけど、悪い奴らじゃなさそうだ」
ホント何言ってるのか分からんけどね。
あ、それと今、屋台が目に入ったので、魔族のパンケーキについても一つ説明しておこう。
魔族たちの食べるパンケーキはもちろんデモン粉100パーセント。
それを悪魔みたいにしぶとくて魔物に分類されている狂暴なイノシシからつくったラードで焼くのだが、人間のパンケーキより五倍は厚い。
人間であれを噛み切れるものはいないが、魔族たちは発達した八重歯でザクザク食べていく。
ラーメンで例えれば粉落としクラスのヤバさ。
あと、魚。
魔族の魚屋に並ぶ魚はみんなデカい牙が生えている。
とくにパラヤという銀色の大型魚は買っていく魔族のテンションの高さから考えると、お祝いなんかの席で食べる、日本でいえば鯛みたいな魚らしい。
だが、こいつのツラときたら、まさに懲役帰りのエイリアンみたいな面構えで、こいつの牙と顎に比べれば、ピラニアなんて入れ歯なくしたジジイみたいなものだ。
でも、アクアパッツァにすると美味そうだ。
いつか試してみるのもいいかもしれない。
「マスター、あの凶悪な顔した魚、料理しようって考えてる」
「考えてますが何か?」
「ボクは反対だ」
「……わたしも」
「なんで?」
「あんな顔した魚がうまいはずがない」
「……かわいい魚がいい……と思う……だめ?」
ジルヴァが小首を傾げてきいてくるので、思わず、ダメじゃありません! ってこたえそうになる。
だが、おれはここは断固主張する。
「ダメダメ。二人とも分かってない。魚ってのは見た目が不細工なら不細工なほど味がいいんだ。カサゴとかアンコウとかウミカジカとか。茶色で不っ細工でぶよぶよしたその体を水煮にしてみ? ものすっごいふわふわしておいしい白身になるんだから。それにいいダシが取れる。不細工な魚ってのはスープにすると金色の油が玉になって浮かぶ黄金色のスープが出来上がるんだ。それに肝。濃厚でそのままフライにしてもいいし、ソースやペーストにしてもいい。逆にカクレクマノミやチョウチョウウオは? かわいいけど食えたもんじゃないし、下手するとシガテラ毒を持ってるかもしれない。そんなわけだから、あの凶悪な犬みたいな面した魚もうまいに違いないんだ。でも、まあ、これから石を選びに行くわけだし、今はまだ買わない。帰りにまだあるようならいただいていこう……それにしても、ここどこだ?」
「マスター、迷ったの?」
「いや、ここはケルベロス通りでもうじきサタン通りの突き当りになるはずなんだけど」
「やっぱり迷ったな」
「やっぱりってなんだよ! まるでそれじゃおれが迷うこと確定の方向音痴みたいじゃん、やめてよ、お客サン! おれは迷ってない、断言できる。ここはまだケルベロス通りでこのままいけば、サタン通りにつく。ついてこい、皆の衆。仮にもファミリーのボスが道に迷うわけがないのだ!」
正直、迷った。
いやあ、メインストリートを歩いているつもりが、いつの間にか路地へ迷い込んだらしい。
表に傾いた家がつくるトンネルみたいな道があちこちに気ままに伸び、坂を上ったり下ったりして、水路なんかをまたいだりしてる。
何度か行き止まりにぶちあたる。
マリスとジルヴァの『おいおい、コイツやっぱり迷ってやがったよ』な視線が遠慮なくおれの背中をガリガリ引っかくなか、おれはアラスカで遭難して最後は凍死した仲間を食って命をつないだ探検隊の隊長みたいに勇ましく歩み続けた。
そのへんの窓から台所で洗い物してる魔族にカルリエドの石切り場はどこかたずねると、親切にこたえてはくれるのだが、何を言っているのか分からないのだ。
そこで分かんねえよというには相手の善意がまぶしすぎて、おれはありがとうございましたとお礼をいい、マリスのため息が背中からきこえる、といったことの繰り返し。
ただ、魔族との会話を数こなしていくうちに段々分かってきたこともある。
まず、魔族は自分たちのことを魔族と呼ばない。
ブラッダと呼ぶ。ブラザーの訛りらしい。
じゃあ、女の魔族はシスターの訛りで、シスッタなのかというと、これもブラッダと呼ぶ。
つまり、魔族語のなかでジェンダーの区別はない。
というか、重要視されていない。
魔族には美形が多いが、言葉を変えればそれは中性的な相貌をしているということだ。
ひょっとすると、魔族にオスメスの区別はないのかもしれない。
じゃあ、別人種はというと、人間のことはヒューマンのブラッダと呼ぶ。
要するにブラッダは生けとし生けるもののなかで話が通じる連中のことを言うらしい。
もし、口をきく乳酸菌がいれば、そいつはバクテリアのブラッダなのだ。
あと、サタンというのは彼らにとって、ただの指導者以上の意味があるらしい。
これを普通の言葉で言い表すのは難しいが、魔族風に言えば、
「サタンは信じるちゃうで、生きるを言うんよ。ブラッダみぃんな、生きればサタンなんよ」
と、いうことになる。
サタンとはモデル化された生き方であり、ブラッダそのものらしい。
では、どんな生き方がサタンなのかというと、それはひどく抽象的になる。
南方熊楠か柳田国男がここに転生していれば、魔族――いや、ブラッダとサタンの関係を喜んで研究したことだろう。
偉大な二人の学者の名前が出たところで、おれは突然魔族の言葉が分かった。
そうとしか考えられない。
だって、マリスでもジルヴァでもない声で、こうたずねられたのだ。
「クルス・ファミリー。あなたたち、ここで〈蜜〉を売る気なのですか?」
振り返るとそこには、一人の美少女――いや、ヤク嫌いのブルトーザーが立っていた。
憎悪に目を燃え上がらせて。
先に動いたのはマリスのほうだった。
レイピアではなく、左手用の短剣を抜いて、首を狙う。
ヤク嫌いの少女はそれを拳で合わせて弾き返したが、そこにジルヴァの放ったまわし蹴りが顔にもろに入った。
ところが、少女はジルヴァの足をつかんで道に叩きつけようとする。
ジルヴァが身をよじらせながら、そばの暗い影に潜り込み、すかさずマリスが手首を返して顔を突きかかる。
少女の頬を剣がかすめ、血が迸ったが、少女は表情を崩さず、マリスの鳩尾に一発膝をくれた。
「ぐっ!」
ジルヴァは影から飛び出して、短剣を交差させてからの連続攻撃につなげ、少女をバラバラにしようとするが、少女のほうは歪にひん曲がった剣を抜き、それでジルヴァの肋骨を断ち切ろうとかかる。
「もういい! やめろ!」
三人の動きがぴたりと止まった。
やば。空気が殺気ムンムンでピリピリパチパチしてる。
もっとマイルドに『おやめくだされ、御三方』くらいにしておけばよかったかもと今更後悔するが、こうなったら、ままよ、このままなけなしのガッツかき集めて、強気に行くしかない。
「おれたちはヤクは扱わない。イドも〈蜜〉もだ」
少女がおれを見る。
「それを証明できますか?」
できません。
「おれたちの名前を知ってるなら、おれが自分の縄張りでヤクを一切認めなかったことをきいたはずだ」
「セント・アルバート監獄。そこであなたは〈蜜〉にお金を出そうとしました」
げ、そんなことまで知ってるのか?
「じゃあ、その後、おれたちがその拠点を潰したことも知ってるだろ。おれがやつらの話に乗ったふりをしたのは、おれの仲間がやつらの〈蜜〉の製造にこき使われてて、それを助け出したかったからだ。いいか、きけ。ここに来て二週間が経ったが、おれがイドの茎一本でも売ったって話をきいたか?」
少女は黙り込んだ。
どうやら、納得が行き始めたらしい。
ただ、まだ引っかかることもあるようで、
「どうして、ここに来たのですか?」
「石を買いに来た」
「石?」
「石材だよ」
「どうしてそんなものを欲しがるのです?」
「五メートルのカウンターのためだ」
おれは絶賛改装中の〈ちびのニコラス〉のことを説明した。
「じゃあ、ここに〈蜜〉を売りに来たのではないのですね?」
「おれはヤクは絶対に扱わない」
少女はとりあえず信じることにしたらしい。
剣を鞘に戻すと、殺気も赤い瞳のなかへと吸い込まれ、電気風呂みたいにぴりぴりしていた空気が元に戻った。
「マリス、ジルヴァ。武器をしまえ」
「……わかった」
「マスターが言うなら」
おれはポケットから清潔な布を四つ切にしたものを少女に渡した。おれには使用者責任がある。
「その、顔に傷をつけたことは謝る。悪かった」
女の子の顔に傷をつけるだけでも最低なのに、女の子を使って女の子の顔に傷をつけるのはもう言い訳ができない。
でも、ラケッティアはケダモノとは違う。
「気にしないでください。自然に治ります。体は丈夫なのです。普通の人間よりは」
そういうそばから、頬の刀傷がもう消えかけていた。
――†――†――†――
「この通りをまっすぐ行けば、カルリエドの石切り場に着きます」
「いやあ、悪いね。道案内までさせちゃって」
少女はデモン街の奥へと伸ばした腕を下ろすと、おれのほうをキッと睨みながら、
「覚えておいてください。もし、イドや〈蜜〉をここに流すようなことをしたら、そのときはわたしがこの手であなたを潰す」
「それ、たぶん文字通りぺちゃんこに潰すってことでしょ? ご安心あれ。ヤク嫌いって点なら、おたくとうちのファミリー、同じ意見だよ」
「人間のいうことは信じられません」
「そのセリフ、釣り針にひっかかった魚みたいだねえ。あ、魔族? きみ、魔族なの? でも、その割には言葉が普通だけど」
「ハーフです。魔族と人間の」
人間、っていうとき、かの令名はせるフィンランドのクソマズ菓子サルミアッキを噛んだみたいな顔をした。
独断と偏見で人間のほうが父親だと見た。
きっとアル中かヤク中で、不幸な幼年時代が現在の麻薬撲滅キャンペーンにつながっているに違いない。
「それじゃ、ここで。ところで、きみの名前は?」
「どうしてそんなことを知りたがるんですか?」
「ヤクを叩き出すという点ではおれたちは共通の目的を持ってる。これから協力し合えるかもしれない」
「マスター、本音は?」
「こんなきれいな女の子とお知り合いになったのだから、ぜひ名前を――ぎゃあ! ケツ蹴られた! ケツが二つに割れちまったあ!」
「……元から割れてる」
「もう一度蹴飛ばされてみる? 四つに割れるかもしれない」
「いえ、もう結構です」
少女は黙って、おれたちを見ていたが、やがて、肩の力が抜けたようにため息をつき、
「名前はサアベドラ。魔法剣士です」
「へえ、サアベドラって言うんだ。これからもよろしくね、って、え! 魔法剣士! うそでしょ、どう考えてもあなたのクラスは喧嘩師だよ――って、行っちゃった。まあ、いいか。いや、いいのか、これ?」
「変な子だったね、マスター」
「そうだねえ。戦ってみた感想は?」
「人間離れしてるね」
「おれから見たら、きみら二人だって人間離れしてるんだけどね」
「それを言うなら、マスターだってボクらから見れば、人間離れしてるよ。何せアレンカに腕相撲で負けるんだから」
「……最弱」
「いーの、おれは頭脳労働者だから! 腕相撲弱くても許してもらえるの!」
「別にそのことに不満はない。弱くないマスターなんて面白くないからね」
「……同意」
「おれ、別にウケを狙って弱いわけじゃないんだけどなあ」
「じゃあ、どうしてそんなに弱いんだい?」
「おれがいた世界では高貴な人間はまわりのことは召使にやらせてた。だから、自然と力も弱くなる」
「つまり、マスターは高貴な人間ってこと?」
「その通りよ。見よ。このたたずまいから発散される高貴さ」
「でも、マスターは犯罪に詳しい。マスターがいた世界では高貴な人間は犯罪に詳しいものなのかい?」
「もちのろん。高貴な人間は犯罪に詳しいものだ。指定暴力団の組長とか高級官僚、政治家、企業のCEOなんかはどんな悪さしても許されてしまう。なぜなら、高貴だからだ。逆に高貴じゃないやつが犯罪をすると、つまり、かっぱらいとか空き巣とかおれおれ詐欺とかをすると、パクられる。身分が高貴じゃないからだ」
「……CEO……なに?]
「Cho Erai Ossanの略だよ、ジルヴァ」
「チョー・エライ・オッサン……」
「とにかく、おれが前いた世界では高貴な人間は好き勝手できたもんだ。ウソついたり、レイプしたり、ヤクでラリったり、目下の人間を死ぬまでいびったり。悪さしても許されるのは上流階級の証だった」
「マスターのいた世界ってメチャクチャだったんだな」
「じゃあ、この世界の上流階級はちゃんとしてるのかい?」
「うーん。確かに、そういわれると……ボクらに暗殺を依頼してくるのは上流階級が多かった」
「……マスターの世界と同じ」
「そういうこと。どこの世界でも上に立つやつは好き勝手にできる。誰かに好き勝手にされて人生メチャクチャにされないためには自分が上に立つしかない。そして、上に立つ人間、高貴な人間の持つ不動産には高貴なバーカウンターがなければいけない。そのためには石が必要――と、いったところで、キューでも出したみたいに、ほら見えてきた。石切り場だ。さあ、でっかく買い物して、ちっちゃくお釣りをもらうとしようか」




