第八話 ラケッティア、魔族のスケッチ。
さて、カラヴァルヴァに到着してから二週間が経った。
残念なことに自作しているアンチョビと梅干はまだ完成していない。
だが、いいこともある。
ナンバーズはたちまち流行し、客は千人以上。集金人を雇い、集金拠点をいくつか作った。
集金人は十人。集金拠点としては〈金塊亭〉と料理屋街に一軒、下町で違法な媚薬を売っている魔法使いの家が一軒で、三カ所にカネが集まる。
一週目の当たり番号発表では当たりが二人出て、金貨五枚と大銀貨三枚の払い戻しがあったけど、その十倍は儲かってるので、問題ない。
このペースなら、これからも成長する。
いまのところ、既存の犯罪組織とのあいだに軋轢もない。
なんだかんだでこれまでの評判があるので、どこも手を出しづらいのだろう。
そうやってひるんでいるあいだに、せっせと縄張りを広げる。
さて、目下の問題は本拠地だ。
〈ちびのニコラス〉にも大工を入れて、構成員たちから改修の必要なボロいところを申告させている。
専門の魔法使いを雇えば、地下水を引いて流しっぱなしの蛇口みたいなものを各部屋につくれるというのでオプション料金を支払って、それもつくってもらうことにする。
工事は順調だが、問題が一つ。石だ。
「西棟一階の酒場のカウンターに大理石みたいないい石板をはめ込みたいんだ。いい石屋知らない?」
大工の棟梁は腕組みをして考えた。
「石ですかい? まあ、シデーリャス通りやサン・イグレシア大通りに行けば、石屋はありますがね。そこのカウンターにはめ込めるくらいの大きな石だと一枚ものじゃあ、そうそう出ませんや。出たとしても高値だろうし。あ、でも――」
「でも?」
「いや、あそこはやばい。何せ魔族の住んでるところだから」
「魔族?」
「そう、魔族。魔族の石切り場でさ」
そう言われて、ふと思い至る。
ここから東を見ると、高い城壁が見える。その城壁は市内の一部を囲っているらしく、地元の住人が〈囚われの城壁〉と呼んでいるのをきいたことがあった。
何でも太古の昔、人間を滅ぼそうとした魔王の末裔たちが住んでいるそうだ。
ああやって城壁で囲っているのは、魔族が人間に悪さをしないためということになっているが、実際は人間が魔族をリンチにかけるのを防止している。
魔族として生まれたら、あの壁の外を出ることはかなわない。
もちろん、人間は自由に城壁を越えて、魔族居住地に入れるが、はっきり言って好き好んで行くやつはいない。
いくら、数が少なく、昔ほど強くもなくなっても、魔族は魔族なのだ。人間よりも寿命は長いし、魔法を使う手腕と知識に長けている。
なかには壁に閉じ込められた鬱憤を晴らそうとするやつもいるかもしれない。
「でも、長さ五メートルのカウンターに使える石があるなら、行くっきゃない」
「ボクは反対だ」
「なして?」
「危険すぎる。他のみんなも反対だと言ってる。やつらは世界を滅ぼしかけたことがあるんだ」
「世界滅ぼそうとしたなんて、クソ大昔の話でしょ? 大丈夫だって。だって、世界を滅ぼせる力を今も持っていたら、あんな壁のなかで大人しくしてるわけないじゃん。壁ぶち破って、手当り次第にぶち殺してるよ、マジでヤバいやつらなら。なあ、マリス。これは仕方がないことなんだ。カウンターの長さがあと五十センチ短ければ市内の石屋で間に合うが、五メートルあるんじゃ仕方がない。その石切り場に行くしかないじゃないか」
――†――†――†――
意外だ。門はあるけど扉はない。
逃げられるもんなら逃げてみやがれと挑発しているようだ。
そういえば、ドストエフスキーの時代のシベリア流刑地には囚人を閉じ込める壁は存在しなかったそうだ。
半径百キロ以内に人家がないから、逃げるときに盗んだ食べ物が尽きたら、帰ってくるしかない。
しかし魔族魔族と忌み嫌うわりには貧乏人の古い平屋や靴直しの小屋は城壁にべったりくっつくようにして建っている。
きっと家賃が飛び出た目玉が地球を一周して後頭部にぶつかるくらい安いのだろう。
城壁もそばで見ると思ったより高くはない。
だが、姫路城の石垣みたいにしっかりと組まれていて頑丈そうだ。
「ついに来てしまった」
「……」
今回のお買い物にはマリスとジルヴァがついていくことになった。
四人ともついていくと言ったが、たかが石を買いに行くのに、うちのエース暗殺者全員連れて行ったら、マフィアのボスとしてちょっと腰抜けっぽい。
ただ、ドン・コルレオーネが撃たれたとき、連れていたのは息子のフレド一人でボディガードがいなかったことを考えると、二人くらいは連れて行ったほうがいいだろう。
そんなわけでマリスとジルヴァがついてきた。
二人はまるで出入りでもするみたいに武器を入念にチェックした。
投げナイフだの、山刀みたいな短剣だの、〈魔法の小瓶〉と呼ばれる手榴弾もどきだのを使いたいと思ったその瞬間、〇・一秒で取り出せるよう、手甲だの太腿に巻いた革のベルトだのにつけては位置の調整を繰り返していた。
「分かってると思うけど、お二人さん。あそこには石を買いにいくだけだからね」
「でも、マスターの頭が半分食いちぎられてからでは遅い」
「だから、そんなことにならないって」
「殺……」
「え、今、ジルヴァさん、サツって言いました? それっておまわりのサツですよね? まさか万札のサツじゃないよね? この世界、諭吉さんはないし」
「何言ってるんだ、マスター。殺すのサツに決まっている」
「待った、待った。今回は殺しはなし。魔族って言ったってカタギなんだからな。向こうから襲いかかるまで手は出すなよ」
「『しかし、彼らは知らなかった。このときの選択が後にあんな惨劇を惹き起こすことになるとは』」
「勝手にモノローグ入れるの禁止! って、今のジルヴァが言ったの?」
こくん、とうなずく。
ジルヴァの笑いのツボやユーモアはときどきすげえ変化球を投げてくるから油断ができない。
二人が武器の配置に納得が行くと、さっそく出発し、デ・ラ・フエンサ通りを南へ下った。
門をくぐると、通りはケルベロス通りと名を変えた。
おやおや。思ったよりきれいな街だ。
城壁のなかは窮屈だし、迫り出した建物のせいで通りの縁はジグザグになっていて、細くもなっていたが、舗道の石の敷き方は隙間のないもので歩いていて、継ぎ目を感じさせない。
建物も石造だが、石を理想の大きさにカットして、頑丈な木材や鋳鉄と調和させるのなど、魔族の建物の趣味はかなりいいと言える。
肝心の魔族はというと、そこまで人間と異なる姿をしているわけではない。角は生えていないし、耳もとんがってない。尻尾もない。
八重歯が目立つのと、顔色が蒼白いを通り越して、うっすら紫が入ってるくらいのものか。
人間よりも総じて姿かたちが端整な気がする。
いや、絶対に端整だ。
むしろ、人間が嫉妬して魔族を滅ぼしかけたんじゃないかってくらい美形が多い。
ただ、これは見た目の特徴であって、もっと強烈な特徴を言い表していない。
魔族の最大の特徴。それは言葉だ。
「よう、兄弟! 調子パッキシいっちゅうかぎゃ?」
「信じぃブラッダ救われるんは王も言ってるんよ。だから、この魚ン、新鮮なことは天使に誓ってマジマジなんよー」
「昨日、タンスに小指モロぶつけして目からメチャ火花ァ飛び散ったんよ」
「ケルベロス飼うっちゅうんはフツーの犬飼うより三倍面倒なんよ。なんせ頭が三つあって吠えるのが三倍ぎゃんぎゃんケツかるし、餌代も三倍なんよ。でも、ラブも三倍注げるんよ。これマジでサタンな話」
街にあふれるすさまじい訛り。
それがハッとするような美青年や美女の口からポンポン飛ぶのだから、カルチャーショックも相当だ。
もちろん、彼ら魔族たちはこれが最もエレガントな言葉づかいだと思っているのだろうが。
問題は何を言ってるのか分からないことだ。
「やあ、こんちは。石切り場を探してるんだけど、どこにあるか知ってる?」
「カルリエドん?」
「へ?」
「カルリエドん石切り場か?」
「え、えっと、たぶんそれです」
「オーケー、ヒューマンのブラッダ! サタンにお任せなんよ。カルリエドんとこ行くんちゅうにはこのゴキゲンな道をぶつかりまでテクテク歩いて左ン曲がるんちゅうだな。そしたら、サタン行き止まりでデモンに入っから、そこでまたレフティんすると、カルリエドに着くんよ。これ、マジでサタンな話。ちゅうか、おれの説明ぁ役に立ったん?」
「えーと、ああ、完璧に理解した。ありがとう!」
「ピースフル!」
もちろん理解などしていない。さっぱり分からん。




