第六話 ラケッティア、ドイツとオランダのあいだ。
この世界、ひげというものがごくありふれていて、それが階級をあらわすステータスになっている。
立派なひげを生やしている、というと、どう立派なのか。
顎ひげが胸を隠すほど大きく生えていて、それがふたつに分かれているのか。
口ひげが油で両側にぴんとはねているのか。
早い話が手入れに手間のかかるひげほど上流階級をあらわす。あるいはそれを装った詐欺師。
ドン・ヴィンチェンゾは灰色の口ひげを生やしている。
これはぴんとはねていないが、形は整っているので、市民階級の富裕層みたいに見えるだろう。
逆に浮浪者なんかは顔じゅうひげだらけになっている。
もう手入れなんて一切していないから、顔がひげに九割がた隠れていて、しかもにおいがきつい。
で、街道沿いのバター屋を保護してカネもらっている警備隊の隊長どのだが、こちらはひげが生えてなくて顎がツルツルだった。
まるで元から生えていないみたいにツルツルだ。
ただ、この人、頭もツルツルにしている。
もしかして、体毛が全然生えない人かなと思ったが、眉毛が生えているから、やはり髪もひげもマメに剃っているらしい。出家してんのかな?
警備隊長の四角い部屋は草原に生えた石の塔のなかにあり、壁に沿って、一本の木材が張り巡らされている。
その木材にマントだの鞭だの帽子だの書類袋だの干し肉だのがぶら下がっている。
どうも、何かをぶら下げたいと思ったら、木材の好きな場所に釘を打ち込んでいるらしい。
ふむ。これはぶら下げたいと思えば、おれたちを絞首台にぶら下げることができるというメタファーか。
メタファーなんてカタカナ使うな。日本語で言え、なんて言わないで。
隠喩なんて漢字知らないし。
あれ、いま隠喩って――まあ、いいか。
出家隊長はおれと面と向かって座っている。
「その銃――みたいなものはどこで作ってるんだ?」
おれの後ろにはジルヴァがP90を手に控えている。
武器は持ってるけど大人しくついてきた結果だ。
もちろん平等というものは大切だ。隊長の後ろにも両手にピストルを持っている下士官がふたりいる。
「ベルギーっす」
隊長はベールギィとつぶやいた。
これまでの人生で見ることがあった地図で、そんな名前の国か町があったかを思い出そうとしている。
「きいたことがないな。国か?」
「国っす」
「どこにある?」
「ドイツとオランダのあいだ」
「ドイツとオランダという国もきいたことがない」
「そりゃあ、もう超遠くっす」
「とんでもないヤクを売るやつもベルギーから来るのか」
なんだ、ちゃんとベルギーって言えるじゃんか。
「いや。でも、心当たりがある」
〈星辰より来たるもの〉という星空から落っこちたエメラルドの魔物とそれを探す〈探究者たち〉について説明する。
「じゃあ、そいつはひょっとすると、人体実験の犠牲者の確率も捨てきれないわけだ」
「一秒で二十か三十、鉛玉をばら撒ける哀れな犠牲者」
「それが話を難しくする。こっちにいるアスバーリはそいつ同様、そのエメラルド絡みで〈探究者たち〉にいろいろイタズラされた。その関係があるから、そのバカタレにききたいことがある」
出家隊長はこっちの言うこと、きくだけきくと、あっさり解放された。
銃乱射したバカタレよりも、むしろおれたちのことをあれこれ知りたがってたみたいだ。
たぶん、おれらがヤク以外のビジネスを持ち込む気かどうか知りたかったんだろう。
それでおれたちからもらえる賄賂とおれたちが入ることでバター入りヤクのビジネスが不調になったときの損をいろいろ考えてたみたいだ。
おれは自分はヤクを扱わないけど、別の人間が自分の縄張りで自分の責任でヤクさばくなら、別に文句は言わない。おれが食わせるわけじゃないし。
――†――†――†――
ヤクでハイになってりゃなんでもできる。
あるいはなんでもできる気になれる。
だから、ヤクは売れるのだ。
エメラルドイカレポンチ人体実験の末路マシンガン・ケリーも一発キメてなんでもできる気になったのだろう。川を泳いで渡ったそうだ。
クロールの手が水から離れるたびに狙いのない弾が二三発ほど飛んでいき、渡し守のじいさんは自分の家の窓に開いた穴を見せびらかした。
しかし、そんなちっぽけなガラスの穴は自然の前に無力だ。
おれたちの知らないところで降った大雨が川の水嵩をカチ上げして、ココア色の濁流が川沿いの土地をムシャムシャ食いながら流れている。
「ほんとにこれを泳ぎ切ったの?」
「ああ。間違えねえよ。やつは斜め前を目指して泳いだから、それでまっすぐ進めたんだ」
「ヤクでラリラリなくせに頭を使ったな」
ラクダのこぶみたいに盛り上がった水の下から大きな岩がふたつあらわれて、縦にぐるんぐるんまわりながら下流へ転がっていくのを見たときはこのままカラヴァルヴァに帰りたくなった。
「ヤクでラリる以外にこの川を渡る方法はないかなあ?」
と、チラッとフレイのほうを見る。
さっきからフレイがチラッとこっちを見ているのだ。
つまり、亜空間リソースのなかに一瞬で橋をかけてくれるスバラシイ何かがあるわけだ。
「あーっ、誰かこの川を安全にわたることのできる橋をかけられる人はいないかなあ!」
ちょっぴり自信があります的な感じでフレイがスススと近寄ってきて、
「あの、司令。わたしのリソースに渡河支援機能構造プログラムがあります」
来栖ミツルは鈍感だなんだというやつがいたら、こうやって相手の女の子の得意分野へ水を向けるミラクル話術を見ていただきたいものだね、ハッハッハ。




