第四十二話 ラケッティア、絶対に後で覚えてない。
パッペンハイム公国の仮面舞踏会は史上最大のものとなり、宮殿と庭園には道化師に扮した伯爵、船乗りに扮した侯爵夫人などがおり、中でも死刑人に扮した大公夫人の仮装は最も大胆でみなの目を引いた。
大公夫人は零落貴族の出で大公に見初められるまでは、聖女と呼ばれていた。
そして、大公夫人になってからは悪女である。
その贅沢のための重税、骨抜きにされた大公に代わって大臣人事に口を出し、お気に入りの側近で政府の要人を固めた。
軍もまた同様で、司令官はみな彼女のサロンの常連でおべっか使いだった。
五つある軍団のうち、三つの軍団長は軍務経験がなく、大公夫人が気に入る冗談と猥談がうまいだけで、その地位にいた。
この事態を憂うものたちはいたが、みな殺されるか、追放されるか、自分から国を見限って出て行ってしまうかだった。
貴族の青年将校からなる一団は国を救うには大公夫人を殺すしかないという結論に至った。
その後のクーデターで、大公を譲位させ、利発で民を思いやる甥君を即位させる。
五人の青年将校は黒衣の怪人に扮装して、白い仮面をつけた。
マントの下にピストルを隠して。
普段は大公夫人のまわりには近衛兵がいるが、この仮面舞踏会だけは護衛を連れて歩かない。ひとり、気ままに側近たちのあいだをたゆたう。
五人の黒衣はさりげなく、大公夫人のまわりを囲う。
ちょうど、バルブーフの仕立て屋に扮した若い男が去ったところで、五人はうまく配置につくことができた。
青年将校の中心人物であるロスバッハ子爵は大公夫人の後ろから銃を抜き、背中に一発撃ち込んだ。
これが『七月革命』の口火となり、大公の甥が即位、大公夫人の側近たちは失脚。
民はこのクーデターを喜び、国中が大公夫人の人形に火をつけて、そのまわりでマズルカを踊った。
ただ、真実がある。
ロスバッハ子爵は背中から大公夫人を撃とうとしたが、夫人は突然、子爵のほうを振り向いたのだ。
その白粉を厚塗りにした喉は真一文字に搔き切られていて、喉の奥でゴボゴボとジャムが煮立つような音を立てていた。
――†――†――†――
煮込んだミートボールとウィンナーを大きな二股フォークで取り出して、さらに盛っていく。
普通、起訴されて拘置されている立場なら、これだけのものを手に入れるのに、相当な賄賂を看守に払わないといけないのだが、この城では公定価格で手に入る。
こうして、適正値段のミートボールのトマト煮を作っていると、おれは実はどこにも拘置されていないのではないかという気がしてくる。
「ほら、できたぞ。被告が案内係と代言人に料理をふるまうとか、おれはどれだけお前らに媚びを売らなきゃいけないんだ?」
「でも、料理するとき、楽しそうな顔をしていましたよ」
「つくるのは楽しい。問題は後片付けだ」
さて、おれたちはおれの裁判のことを話しながら、ミートボールをかじる。
刑務所で豪華な食事をしながら、裁判の行く末を話すのは、とてもマフィア的だ。
「まず、起訴内容を明らかにせんと」
「もう、法廷に引きずられるのはうんざりだ。もっとアクティブに行きたい」
「というと?」
「こっちからおれの書類を分捕ってやる。潜入するんだ」
「それは結構だが、誰がそれをやるんだね?」
そのとき、誰かがおれのショットガン・ハウスのドアをノックした。
「はいはい。なんですかー?」
エプロンで手を拭きながらドアを開けると、ピストルの銃口がにゅっとあらわれた。
その手をつかんで、ねじって、これ以上行くと折れるというところまでいかせてから、引き金を引いてやると、おれに仕事を取られた司法取引屋の右耳がきれいになくなった。
その足を素早く払って、もっと素早く胸を突くと、両足が床から離れた状態で後ろに吹っ飛んだので、ドアを閉じた。
「――で、何の話だっけ、オットセイ?」
――†――†――†――
裁判関係の書類を取り扱う区画は夜になるとほとんどが闇に閉じる。
その闇をちぎり食うように灯りがついていて、哀れな残業野郎たちが書類を写したり、ハンコを押したりしている。
その光のあいだの影を縫うように進み、どうしても光のなかに出ないといけないときは、
「うっ! ぐむ、む、ぅ……」
睡眠薬を染み込ませた布で口を塞いで眠らせる。
意識を失った警備員を光の外に運び出し、猿ぐつわを噛ませて、前進を再開。
書類保存用の屋敷の裏口から入ると、ときどき上の縁が丸い、門の形をきれいに写し取った光が壁に当たっている。
「お屋敷付き幼女を雇ったって話はどうなったんだ? テーブルの下の焼き菓子のくずがゴキブリの手に渡っているんだぞ。もっと、お屋敷付き幼女を雇わないといかん」
ゴキブリとクッキーの問題に夢中だから、廊下を通り抜けても気づかない。
前からランタンの光がふたつ見えたら、ジャンプし、天井に貼りつく。
大きなフェルト帽をかぶったふたりの見回りが、振り回せば大きな音がするガラガラを手にして、通り過ぎていく。あれを振り回すと、こういう建物のなかでは物凄く響いて、おれが侵入したことがバレる。
こんなふうに敵地に侵入したことは初めてだけど、大切なのは侵入の痕跡を残さないことで、警備兵は無力化するよりはかわすほうが上等らしい。
あとでガールズたちにきいてみよう。
それと事前にオットセイとカーペットマスターに確かめさせたが、アサシンウェアの絶対領域が暗闇のなかでぼんやり白く見えるとのことだ。
つまり、難易度はガールズたちより上である。
ガールズたちのアサシンウェアには絶対領域はない。首から下、全部黒のインナーみたいなもので覆われている。あれにも意味があるわけだ。
しかし、これは身体能力の向上と夜目が非常に利くようになる。
ファミリーの男全員、これを制服にしてやるのもいいかもしれない。
そもそも、この服、誰が作ったんだ?
コーデリアがどこから仕入れたのか?
まあ、いい。
夜の城を華麗に脱出するおれの手には、おれの起訴状!
「さあーて、おれは何で起訴されたのかな? いや、喜ぶのがおかしいか。まあ、いい」
起訴内容:麻薬の密輸と密売。
ありたいていに言わせてもらえば、ファック。
――†――†――†――
「ふあー。今日もおはようさん。って、もう昼過ぎじゃん。寝すぎ、おれ。ん? これ、起訴状? しかも、おれの。おいおい、これ、おれが何で起訴されたか分かって……はあ!? 麻薬の密輸と密売!」
クソッタレが! 食堂に降りるとなぜかナプキンを襟に突っ込んで、フォークとナイフを手に待ってる。
「なにやってんだ、お前ら!」
「なにって、今日の昼を食べに来たんだがね」
「おい、おれが食堂のおばちゃんに見えるか?」
「見えない」
「なら、おれにメシのあてを――」
ドンドンドン!
誰だ、このクソ忙しいときに。
ドアを開けると、耳が片方ない男が銃をおれの顔に突きつけてきた。
咄嗟にドアを閉めて、その手を挟んだが、銃弾が発射されて、跳弾に殺されかけた。
片耳男が逃げる。
「お前ら、見てないで手伝え!」
「ですけど、あなたはあんなゴロツキ、一発でのしていたじゃないですか」
「はあっ? 体育の成績万年最下位のこのおれがそんな武術の達人みたいなことできるわけないだろ。おい、プレーヴェ。なんとか言ってやれ」
「プレーヴェ? オットセイじゃないのかね?」
「なんだ、そりゃ?」
「きみがわしをそう呼んだ」
「なに、わけの分からないこと言ってるんだ」
「嘘じゃない。きみはあの少女暗殺者向けの服を着て――」
「待て待て待て。おれが何を着たって?」
案内役がおれの長持ちから、あの悪魔の服を持ってきた。
「今日は着ないんですか?」
「着るわけないだろ! って、あれ、おれ、なんか記憶が欠落して――な、なあ、それ、おれ、本当に着たの?」
ふたりがうなずく。
「き、着たって、いったって、二時間とかそのくらいだよな」
「いや、きっちり四十八時間以上。大勢の判事と司法取引屋が証人だよ」
ありていに言って、ファック。




