第三十八話 ラケッティア、お休みの日。
もう、何日、司法制度にふりまわされているか知らないが、絶対に降伏はしない。
ジョン・ゴッティ・ジュニアはガンビーノ・ファミリーのボスという立場にありながら、有罪答弁をして、裁判をとっとと片づけたが、これは全ファミリーから顰蹙を買った。
ジョン・ゴッティ・ジュニアの父親は当然、ジョン・ゴッティ。
テフロン(無傷の)・ドンと呼ばれたマフィア史に残る大物だったが、ぶち込まれた。
ゴッティがぶち込まれて以降、ゴッティの弟や息子たちが弱体化したガンビーノ・ファミリーをまわす〈ゴッティの時代〉があったのだが、その結果が、司法相手に全面降伏をしたこの有様だった。
ところで、ジョン・ゴッティ・ジュニアにはすごい特徴がある。
母親がユダヤ人なのだ。
つまり、イタリア人とユダヤ人のハーフであり、本来なら正式組員にもなれないはずなのだが、二十世紀初頭、貧乏な南イタリアから無尽蔵に移民が流れてくるころなら、ともかく、二十世紀末ではイタリア移民なんて、ほぼ皆無。
マフィアも人不足なのだ。
だから、半分イタリア人でなくてもいいか、ということになったら、この体たらく。
すると、ガンビーノ・ファミリーは分かりやすい手法を取る。
現役のシチリア・マフィアをアメリカに移住させ、シチリア血筋主義に先祖返りしたのだ。
ドメニコ・チェファルーはボスになったし、チェファルーが刑務所に入ってからはフランク・カリが代理ボスとしてファミリーを仕切っているが、どちらも立派なシチリア人だ。
この手法は1970年代、ボナンノ・ファミリーがやっていて、サルヴァトーレ・カタラーノやシーザー・ボンヴェントレといった一癖も二癖もある連中をヘロインと一緒に輸入し、ピザの宅配サービスと混ぜ込んで、客にヘロインを売っていたのだが、アメリカとイタリアの共同捜査で根こそぎ検挙された過去がある。
とにかく、マフィアが司法の言いなりになるのはよくない。
司法取引なんてもってのほかだ。
とはいっても、おれはそもそも出廷ができないから、そもそも有罪だろうが無罪だろうが答弁ができていないし、起訴内容の確認ができていない。
今日はとりあえず、お休みということで、あのクラリスが閉じ込められてそうな塔から住処が別の場所に引っ越した。
そこは長い廊下でドアが十並んでいる。
そのドアを開けるとウナギの寝床みたいな細いアパートがある。
四つの部屋が一直線に並んでいるわけだ。
ちなみにアメリカではウナギの寝床のことをショットガン・ハウスと呼ぶ。
家にある全てのドアを開けて、入り口へショットガンをぶっ放したら、家にあるものをなに一つ傷つけずに通り過ぎ、バラ弾が裏口から出ていくからだ。
ちなみにアメリカではできちゃった結婚のことをショットガン・マリッジと呼ぶ。
精子を散弾に見立てて命中率を讃えているという説と、女の子の父親がショットガンで男を脅し、責任を取らせるからという説がある。
ショットガン・ハウスは【玄関】――【居間】――【台所】――【寝室】のラインでつながっていて、一生住むならいろいろ言いたいこともあるが、起訴された人間が住まわされるのはそう悪くない。
日差しが強いので、上着や半外套を着る気が起こらないので、シャツにズボン姿で出かける。
別に裁判所が休日なわけではないので、人の行き来はあるし、代書人たちが折り畳みのテーブルにインク壺と羽根ペンを差した真鍮の壺を三十年間変えたことのない場所に置いて、テーブルの端に銀貨を二枚、銅貨を七枚重ねている。
これは自分が優秀な代書人で、それゆえ儲かっていることをさりげなく知らせる小道具だが、これもまた三十年間銀貨二枚の銅貨七枚を守り通しているから、機能は消滅し、風習の一種になっている。
何も考えずに歩いていたら、いつの間にか外に出られていないかなと思いながら、頭空っぽにしていると、気づいたら、大きな緑の中庭にいた。
二軒続きの平長屋や古い門構えの番人小屋みたいなものに囲まれていて、何かの市場が開いているようだった。売り物がよく分からず、しばらく客と商人のやり取りを眺めていたら、なんてクソこった! こいつらが取引しているのは司法じゃねえか!
試しにリンゴを並べている屋台のそばで被告と店主のやり取りをきいてみると、
「司法取引したいんです」
「取引できるだけの罪があるのか?」
「ええ、そりゃあ、もう」
「審理番号は?」
「五九〇W番」
「担当判事は?」
「ハヴァメイン判事ですよ」
取引のあいだ、被告はずっと低姿勢で店主におもねるような態度で、店主のほうはぶっきらぼうな物言いをし、いかにも取引をとっとと終えたいという失礼な態度を崩さない。
「じゃあ、審理番号三三〇〇のEと九一五Kで有罪答弁をしろ。そうしたら、禁固二年にしてやる」
「でも、僕はそのふたつの審理について何も知らないんです」
「知らなくったっていいんだ。あんたは五九〇のWを決着させたい。それを禁固二年にしてやるって言ってるんだ」
「でも、僕は何もしていないんです」
「だから? 何もしていなくても、裁判はある。だいたい、あんたはおれと司法取引に来たんだろ? だから、取引をしてやるって言うのに、あんたは自分は何もしていないと文句を垂れる。それなら、あんたとの取引をなしにしても、こっちはいいんだ」
「いえ、取引します。そのように進めてもらっていいです。なにもそんなに怒らなくても」
ここでの司法取引は現代アメリカの司法取引と同じだ。
別の事件も有罪を認めれば、死刑を終身刑にしてやるとか、埋めた死体の場所を全部教えれば、検事にそのことを報告し、求刑を二十年にしてやるとか。
それをもっと小さな範囲で行う。
たいていは余っている他の裁判をどこからか手に入れてきて、その裁判を片づける代償として、客が持っている裁判を片づけてやる。
このシベリアの強制収容所と直結してそうな自白至上主義の花園は極めてろくでもない司法制度が人間の襟首をつかんで、ふりまわすなか、あの油断ならない案内係を見つけた。
「あんた、何やってんの?」
「仕事ですよ。あなたが休みでも、わたしは他の方を案内せねばならないのです」
そう言って、ぞんざいな手ぶりで示した先には場違いな雰囲気の上品な老人が石のベンチに座って待っていた。
おれはちょっと徳を積みたくなり、そのじいさんに案内係を変えたほうがいい、と言ってやった。
「なに、何ですか? 何のこと言っているのです?」
「あんな案内係、何にも案内してくれないって話さ」
「失礼ですが、あなたの主張は荒唐無稽ですな。あの案内係は非常によく仕事をしてくれています。わたしの訴訟にあの案内係がついてくれて、わたしは望外の喜びを感じているくらいです」
「何もしないくせに賄賂をせびるようなやつなのに?」
「彼が賄賂を欲しがるんですか? あなたに対して?」
「そうそう」
「あなたは幸運な方だ。そして、その幸運をまったく自覚をしておられない。よいですか? 案内係は通常、賄賂を受け取りません。興味も示してくれません。わたしたちはただ案内係が案内してくれるまで審理はストップし待機しなければいけないのです。案内係に恵まれなかった場合、半年待たされる場合もあります。しかし、いま、あなたが言ったことが本当なら、あなたは彼に賄賂を渡すチャンスに恵まれたということですね? わたしはかれこれ三年間、彼を案内役にしていますが、一度も賄賂を要求されたことがありませんし、こちらがささやかな喉を潤す飲み物をごちそうしようとしても断られます。あなたは審理を大きく進めるチャンスを与えらえながら、案内係を責めるとは」
「賄賂渡しても仕事しないんだよ」
すると、じいさんのそばに案内係がやってきた。
「ヒュンデンバウムさん。何かわたしの仕事に不満があるそうですね」
「いえ、そんな! ただ、わたしはこの若者に自分がどれだけ恵まれているかを教えようと」
「いいんですよ。ヒュンデンバウムさん。わたしが信じられないんですね」
すると、老人はおれのことを睨んできた。
「ヒュンデンバウムさん。わたしがあなたのお役に立てないのなら、わたしはいつでも案内係を辞任します。このいまからでも構いませんよ」
と言って、案内係がくるりと背を向けて去ろうとすると、じいさんは右手で案内係の二の腕をつかみ、左手で壁に埋め込まれた燭台の首の部分をつかんだ。
なんだか、それを見てたら、案内係の狙いが透けて見える。
実際、こちらをチラチラ見ている。
じいさんのほうはいっぱいいっぱいのはずだが、こっちをすげえ目で見てくる。
案内係とじいさんは物理の教科書の説明図みたいに釣り合っていた。
この先、どうなるんだろうと思って、見ていたら、突然、じいさんが両手を離した。
案内係は前につんのめって、水瓶をもった女にぶつかって、その水瓶がおれのほうに――。
――†――†――†――
ショットガン・ハウスにずぶ濡れで帰ると、寝室にある衣服を入れた箱を開けた。
そこには例のアサシンウェアがきれいに畳まれている。
これ、一番下に入れたはずなのに。
アサシンウェアをどかして、代わりのシャツとズボンとパンツを取り出し、そそくさと着替える。
そして、着替えると、シャツとズボンとパンツがアサシンウェアにすり替わっていた。




