第三十七話 アサシン、マジで殺ります。
「同志たちよ、ときはきた」
カーファリ王国の魔導師ギルドの長老魔導師であるイミルデルゴラが世界でも最大クラスの魔導書専門図書館〈賢者のよろこび〉にギルド所属の魔導師たちを集め、号令をかける。
「我ら魔導師こそ、人間を統べる唯一無二の存在なのだ。優れたものが劣ったものを支配することは優れたものたちの義務だ。我々はついに我々を半神半人のより高次な存在へと飛翔させる書を手に入れた。それがこれだ」
そう言って、古い本をかかげもった。
それこそ人類進化のためのプロセスを記した神秘術の精髄『ウルゴーレ写本』だった。大魔導師ウルゴーレが神の言葉を写したその本は最後の仕上げにウルゴーレが自らの皮膚を剥ぎ取って装丁し、魔力を封じ込めた禁呪であり、この二百年、所在が分からなかったのだが、それがこの超魔法主義の集団の手に落ちていたのだ。
「手始めに、このカーファリを手中に収め、そして、次は世界。次は星々の泳ぐ天をわがものとする。そして、その果てにある、全ての原理、神秘、そして真実の源までをも、我々に同化させるのだ」
「オオーッ!」
「魔法万歳!」
「ウルゴーレよ、我らをお導きください!」
来栖ミツルはかつて、一個のポテトで宗教をこしらえたものだ。
学問や選民思想は小道具を複雑化させる傾向がある。
イミルデルゴラが魔導師たちを集めたのは雷属性の魔導書を専門に収めた書室で、その最も高い位置にある書見台のあるバルコニーにこの長老魔導師は立っていた。
その背には五つの球電を支配下に置こうとするウルゴーレの姿を描いたステンドグラスがある。
魔導師たちはみな涙ぐんで、イミルデルゴラを見上げていたので、ステンドグラスのちょうどウルゴーレの顔に影がかかっていることに気づかなかった。それに気づいたとしても、ヨシュアは半魔族。多少の結界なら突破ができる。
ステンドグラスが派手な音を立てて割れ、ヨシュアはナイフを真下へ突き出しながら、イミルデルゴラへと落ちていった。
イミルデルゴラの該博な知性を秘めた頭蓋骨にナイフが柄まで刺さり、さらにヨシュアは間違っても助からないよう、ナイフを力ずくでひねった。すると、標的は白目を剥き、頭蓋がパキパキと音を立てて割れ、白く長い髪のあいだから、全三千万字の呪文が染み込んだ脳漿がこぼれ落ちていった。
あまりにも突然のことだったので、魔導師たちは泣いたらいいのか、怒って仇を討てばいいのか、分からなかった。
だが、集まった魔導師のなかでイミルデルゴラの次に尊敬される次席大魔導師がこぼれ落ちた脳みそを慌ててかき集めようとすると、みながこれに倣い、かき集めた脳みそをピルピルピールピと唱え続けるイミルデルゴラに戻そうとした。
不運なことにウルゴーレと同じくらいの大魔導師イミルデルゴラの脳みそがウルゴーレ写本にかかると、ウルゴーレの皮は醜い皺を寄せ、そのうち断末魔を上げて燃え上がってしまった。
いつのまにかヨシュアの姿は消え、魔導師たちがこの脳みそを食べれば、イミルデルゴラの魔力がわがものにできるかもしれないと誘惑され、手にかき集めた脳みそをじっと見る、狂った静寂に、遅れてやってきたリサークの舌打ちが鋭く響いた。
――†――†――†――
禁呪を手に入れれば唱えたくなるし、大砲があると撃ちたくなるし、人で混雑する広場を見下ろす時計塔にボールいっぱいのウニを持っていればばらまきたくなる。
暗殺術も同じで、会得すると使いたくなる。
すると、今度はコレクターになり、様々な技術と武器が欲しくなり、強くなればなるほど、より殺人術を欲し、それが極まると……。
クレオはただ戦うんじゃつまらないから、短剣一本だけで戦おうといい、ヴォンモもそれに同意。
ヴォンモは左足を前に、右足を後ろに引いて、腕を垂らして、体を前に傾けた。
斬撃がヴォンモの喉を狙う。
それを避けるや、逆手のままクレオのナイフが突きかかる。
ヴォンモは短剣を左手に持ちながら、顔を左に傾けて突きをいなし、クレオの懐に飛び込んで、みぞおちを狙う。
確実に殺れたと思ったが、短剣を握った左の義手がギリギリのところで防ぐ。クレオが持ち替えた瞬間を見ていない。
攻守が変わり、クレオが上から、左から、斜め下から、きわどい死角から、突きや四肢を飛ばす斬撃、柄頭の鋼鉄まで使って頭を卵の殻みたいに割ろうとしてくる。
クレオはその連続攻撃に罠をもぐりこませていた。
顔を斜め下から突くとき、短剣を緩く持ち、相手がこれに打ちかかったら、相手の打ち込みの力を転用して剣を逆手に持ち替え、そのままヴォンモの太腿に突き刺し、裂きながらバックステップで間合いを取る。
二度、この突きを混ぜたが、ヴォンモは身をそらして、かわした。
だが、かわした余裕は二度目では削れている。
次、仕掛ければ、剣で打ち止める。
それを知って、三度目の突きを斜めに繰り出す。
ヴォンモがそれを剣で叩き落そうとし、刃が火花と散らせた瞬間、クレオの手のなかでナイフが躍って、ヴォンモの太腿が、というより、ヴォンモ全てが消えた。
咄嗟に後ろに飛ぶと、滝の水みたいに落ちてきた斬撃が鼻先をかすめ、ヴォンモは片手で逆立ちをしたまま、身体をコマみたいに回転させた。
かわしきったクレオの頬からひと筋の赤。
手袋を外して、頬を指でこすり、薄い唇に血をこすり、舌で舐める。
逆立ちから腕をバネのようにして跳ね上がり、着地したヴォンモがローファーの靴先をとんとんと苔に打つと、踵から飛び出していた刃がスッと引っ込んだ。
「短剣だけで戦うんじゃなかったのかい?」
「ごめんなさい。ズルしました」
「ククッ。いまのきみ、とてもいい顔をしてる。そういう口の端のつり上がり方、僕は好きだよ」
「そうですか。あとで鏡で見てみますね」
「いま、このときしか見られないさ」
「それは残念です」
「ククク」
「ふふふ」
「クックック」
「あはははは!」
スイッチが入るとこわれるふたりによる戦いが、力試しの水準を越えて、本格的な殺し合いへと突入するのにかかった時間は三秒だった。
ふたりのあいだで放たれたのは、スローイング・ダガー、牙の生えた五つ目カラス、飛び出す鉤爪、小型爆薬、斬撃弾、散弾、瘴気を帯びたサトウキビ刈り用の山刀、〈ヒッヒッヒさん〉のノコギリ刀、目を狙って蹴り散らした足元の苔、カテドラルのカッちゃんの先頭にくっついている巨大なカウキャッチャー、そして、ジャック・ザ・バーテンダー。
正確に言うと、ジャックはふたりのあいだに落ちてきたのだ。
それで停戦となり、とりあえずジャックに何があったのか、きいてみる。
「特に何もない。きいたこともない植物やらカビやらの魔物に追われて、倒して、復活して、倒して、種をまかれて、倒して、数が増えて、倒して、植物博士を自称する老人に会うまで、倒して、増えてを繰り返した。その老人にボルボーネとスコッティがよろしく言っていたことを伝え、出口をたずねたら、右に曲がり、左に曲がり、三番目の上り道を昇り、突き当りの広場に開いている七つの穴の左から二番目の穴に入って、大きな緑色の花が門みたいに咲いたところまで進んだら、ひたすら歩けと言われ、だが、なぜか言われた通りにしてみたくない気がして、最初の角を右に曲がるかわりに左に曲がったら、ここに落ちてきた」
そう言うので、見上げると、天井に開いた穴から植物博士が闘技場を覗き込んでいた。
「それで」
と、ジャック。
「今度はおれがたずねる番だ。お前たち、なんで、殺し合っている?」
「力試しだよ」
「普通、力試しでサトウキビ用の山刀を投げたりしない」
「あれはヴォンモが投げたのさ。ククク」
ジャックがヴォンモのほうを見たが、ジャックの憂いを帯びた目を見ると、ヴォンモは決まりが悪そうにナイフを持った手を後ろにまわして、うつむいて、ローファーのつま先で地面の苔をいじりながら言った。
「その、ちょっと、夢中になっちゃって」
はあぁ、とジャックがため息をつく。
「そうだ。ククク。きみも参加しないかい?」
「却下だ」
「そう言わずに。きみも自分の実力を試してみたいだろう?」
「思わないな。ヴォンモ、支度をしろ。ここを出て、オーナーと合流する。オーナーは逮捕されているんだ。時間がない。もう、判決が出て、量刑を読み上げられているかもしれない」
「そうだ、マスターに合流しないといけないんだった。それに、師匠たちの薬も。クレオさん。続きはまた今度」
「やれやれ。みんなお堅いことで。クックック」
――†――†――†――
リングから戻ると、フィッツが大損していた。
本人が言うには、フィッツは自分で賭けを設定して、ヴォンモが勝つたびに大儲けをしていたが、最後の戦い、ヴォンモVSクレオの戦いが引き分けになると、ヴォンモの勝利で胴元が儲かるシステムが崩壊し、これまでの儲けを全部吐き出したそうだ。
探偵の控えめな助手だと思っていたフィッツにそんな才覚があったとは意外だが、人は何か秘めた才能を開花させるからこそ、生きていける。
自分はつまらない存在であり、それが死ぬまでずっと続くという前提を覆す夢がなければ、人間みな発狂してしまう。
「でも、フィッツ、ラケッティアみたいですね」
「ラケッティア?」
「悪いことしてお金を稼ぐ人のことです。実はおれたち、この島のラケッティアを探してるんです」
「探してどうするんですか?」
「法律関係の役人さんに賄賂を渡す仲介をしてもらいたいんです」
ともあれ、試合が終わり、闘技大会もお開きになると、さっそく支配人に外に出る道をたずねた。
あれだけの暗殺術を知っているヴォンモたちであったが、経営についてはひとつも知っていることがなかった。
特に知るべきだったのは闘鶏、賭けボクシング、闇闘技、どれも試合が全て終わった直後が一番忙しいということだ。賭け金の払い戻しやその他雑費と収入を記載し、その日の帳簿をしめる作業がある。
「ふんがーっ!」
ヴォンモが「あの、すみません」の「あ」の字を話しかけただけで、このザマであった。
支配人の憤怒は止まらなかった。
「ふんがが、ふんが、ふがふんがーっ!」
訳すと『どこまで足したか分かんなくなった!』
「ふががが、ふがががーっ、ふんがががーっ!?」
訳:『お前ら、おれに何の恨みがあるんだ!?』
「ふーんががふんが、ふんががんがんが、ふんがーっ!」
訳:『その玉ねぎは三つでいくらですか?』
「ふんがが、ふんがーっ、んがんがんががが、ふんがんがんがっ!」
訳:『私は今からあなたたち全部を落としている穴で落とすでしょう』
「ふがふがふががが、ふんがががーっ、ふがんがんがががふんががが、がっがががふんががふんが、ふががふんががふんがががーっ、ふんがーっ! ふんがが、んがんがんがががーっ、ふんがが、んががが、がんがんふんがが、ふんがふんがーっ! ふんがふふんががふんがんがーっ、ががががが、がっぴーっ!」
訳:『死ね!』
死闘を生き残ったヴォンモたちに死ねとは酷だが、このなかにふんがが語が分かるものはいなかったので、四人ともなすすべもなく落とし穴で落とされた。
虚空をくるくるまわりながら、ヴォンモが考えたのは、ふんがが語を教えてくれる学校はどこにあるんだろうということだった。




