第三十五話 アサシン、地下闘技場。
青いキノコ、苔、丸い光を投げる釣鐘草、ちぎった葉を背負うアリの列、タケノコ形の小さな岩の群れ、水が湧く切株。
これら神秘の森のディテールをぶち壊す「殺せ! 殺せ!」のシュプレヒコール。
ここはなるほどアサシン・アイランド。
これまでの住人は殺人衝動を見せたことはなかったが、そうでない住人だって大勢いるだろう。
アサシン・アイランドでは暗殺は罪ではないが、人に見せる目的での殺人は禁止されている。
北イングランドでは売春は禁止されていないが、客引きを禁止するような面白おかしいヘンテコ法律はここにも存在するのだ。
しかし、ヴォンモもクルス・ファミリーの正式構成員。
様々な都市で秘密の殺人闘技場があることは知っているし、たいていその手の闘技場は地下に隠してある。
ひと晩で大金が動くし、客層は労働者から貴婦人までいろいろで、来栖ミツル曰くできる闘技場は全ての階層を顧客に取り込み、上客は極めて大事に、それこそボックス席をつくるわ、好みの酒やおつまみもしっかり把握、来栖ミツル的には見た目だけで言うならカルリエドが闇闘技場の支配人にぴったりだそうだ。人間の血をワイングラスで飲んだりして(カルリエド、トマトジュースんが好きなんよー)。
だが、来栖ミツルは賭けボクシングには手を出しているが、闇闘技場はあまり気が進まない。というのも――、
「つくったら、きみら、絶対飛び込み参加するでしょ? 胴元が身内を試合に出してたら、それは賭け屋じゃない。縁日だ」
ヴォンモとフィッツがひょっこり顔を出したのは美しい花々とランプ草でできた闇闘技場だった。
中央の硬めの苔を芝みたいに育てた円形リング。苔と蔓草にまみれた倒木をベンチに。
VIP席は巨大な切株をくり抜いて、苔をたんまり詰めたクッションとテーブルがわりの巨大キノコを配置してある。
アサシンのなかでも常に誰かを殺したいとか、血を見ないと一日が始まらないとか、そういう公安監視ものの危険な連中が集まって、中央リングで暗殺術の粋を凝らした殺人ショーに『殺せ、殺せ』と合唱する。
流れる血は多いほうがよく、断末魔の叫びは甲高いほうがよい。
「なんだか、ようやくアサシン・アイランドらしくなってきた感じですね」
ヴォンモは、まあ、それは置いておいて、と近くの観客に外に出るにはどうしたらいいかをたずねたが、その客は買ったばかりの揚げ饅頭を口いっぱい頬張っていて、
「ほおおほほほおおほほ」
次は画家らしい若者で赤い染料をキャンバスに殴りつけるように塗りたくっていて、
「血血血血血血血血血血血血ィィィィィ! 血ィィィィィ!」
次はどうしてここにいるのか分からない男で目で手を覆っていて、
「終わった? もう終わりましたか? 終わりました?」
つまり、誰もヴォンモの質問にまともにこたえなかった。
観客がダメとなると、従業員。
幸い、近くに昆虫の串焼きをつくっている男がいた。
「へい、らっしゃい!」
「あの、地上への出口を探してるんですけど」
「チジョウヘノデグチ? そんな虫いたか?」
「いえ、外に出る道です」
「ソトニデルミチ! そいつならいるぜ!」
と、言って、三十センチオーバーの極めてゴキブリに似た虫を串刺しにしようとしたので、ヴォンモとフィッツは慌てて逃げた。
これまで外に出る目的はアサシン風邪の特効薬を手に入れたから帰りたい、だったが、ここにひとつ、飢え死にしたくないから外に出たいも加わった。
ここにいる人びとは大きなリンゴやシャキシャキしたレタスみたいな植物を無視して、虫の串焼きを食べる。
ヴォンモは絶対にそんなものは食べたくなかった。
「もっと上の人にきいてみるしかないんじゃないですか?」
と、フィッツ。
「上の人?」
闇闘技場の支配人は小太りな男で、最後にして唯一の暗殺は三十年前、それだって補助アサシンということで、自分はひとりも殺していない。
その部屋には歴代アサシンマスターの肖像画が飾っていて、見たところ、全員ヴォンモより年上なようだった。
支配人は経営者として避けられぬ様々な計算を必死に行っていた。
何かを経営することは様々な許可を得るための書類をつくることであり、書類Aを期限二日前に仕上げたと思ったら、書類Bの計算間違いが見つかって、さらに書類Cが急に期限が詰められて三日後になったりと、支配人はこの世の生き地獄を味わっていた。
来栖ミツルだって〈ラ・シウダデーリャ〉の事務室でエルネストとカルデロンの手を借りながら、提出期限や計算と闘い、それに急な来訪者――政治家、役人、他のファミリーの幹部、メッセンジャー・ボーイ、家を追い出されたかわいそうな老夫妻の応対をしている。
ラケッティアに定休日は存在しないのだ。
例外はカルリエドだろう。
彼も一応、石切り場の経営者だが、彼の書類で期日前に提出されたものは皆無だし、帳簿を覗けば計算間違いだらけだし、そもそも出さなければいけない書類が存在していたことを忘れたりしている。
魔族に月曜日と火曜日と水曜日と木曜日と金曜日と土曜日は存在しないのだ。
毎日が日曜日。まじサタンなんよー。
こんなわけで支配人はヴォンモの質問を受けつけてくれそうにない。
「あと、試していないのは……出場者、ですね」
「えーと。ヴォンモさん。出場者たちは質問にこたえてくれますか?」
「無理ですよね。うーん」
そのとき、ヴォンモの影からニコニコ笑いながらモレッティの姿がズブズブと持ち上がり始めた。
「そうだ! おれが出場者を全員倒せばいいんだ!」
モレッティが舌打ちして、指を鳴らした。耳元でささやき、そそのかすのが悪魔の本道。
「え、ええー」
「試合が終わっちゃえば、みんなすることもなくなるから、誰かがこたえてくれますよ」
「でも、殺されちゃうかもしれませんよ?」
「おれだって、アサシンのはしくれ。覚悟はしてます」
ヴォンモはウキウキで腕を大きく振り上げて歩いていき、参加者受付の切株部屋に入っていった。
――†――†――†――
『死んでも自己責任』『化けて出ません』の承諾書類に署名すると、ヴォンモは地下の参加者控室に降りていった。
三度のメシより殺しが好きそうなヤバい人たちがずらりと集まっていて、ここにいるアサシンにとって、問題は勝つか負けるかではなく、いかに芸術的に殺すかだった。
血をできるだけまき散らしたいやつ、一滴も流さないやつ、四肢は必ずバラバラにするやつ、頭以外は一切損傷させないやつ。
ワインレッドのアサシンウェア姿でやってきたヴォンモを見ると、あちこちでアサシンたちの忍び笑いがきこえてきた。
「ケッケッケ」
「ヒッヒッヒ」
「ウフフフフ」
ヴォンモは子どもらしく非常に分かりやすい方法でアサシンたちを区別することにした。
とんがったモヒカンで黒いマントに常にくるまっているアサシンは〈ケッケッケさん〉。
ノコギリみたいな大剣を手にしたメガネは〈ヒッヒッヒさん〉。
大きな拳の人型魔導機械を操縦している女性科学者は〈ウフフフフさん〉。
そして、ガリガリの黒ずくめの片腕が武器の赤毛が〈クックックさん〉。
「って、クレオさん! どうしてここに?」
「ククク、ちょっと面倒な勧誘を受けていてね。適当に逃げていたら、ここにいたんだよ。そっちは?」
「落とし穴です」
「世間は狭いねえ。クックック」
そのとき、巨体の持ち主の〈ゲッヘッヘさん〉があらわれて、クレオの次の対戦相手はおれだ、と頼まれもしないのに教えてきた。
〈ゲッヘッヘさん〉はかなりの巨体でひょっとすると〈インターホン〉よりも背丈があるかもしれなかった。
武器は巨大な二本の斧で、ヴォンモの体重はおそらくその一本の半分もないだろう。
「つまようじみたいにへし折ってやるぜ。ゲヘヘ」
「それは、それは、ククク」
クレオはちらっと横目で、にいっ、とヴォンモに笑いかけた。
「僕としてもきみと戦えることはとても興味深いと思っていたんだ。きみみたいに大きな図体で狭い通路で振り回すと厄介な武器を、それも二本も持っていて、しかも、防具に金属のとんがりを仕込んでいたら、うっかり壁を削って、ガリガリ鳴らして、ターゲットに気づかれそうなのに、そのきみが、どうしてアサシンを名乗れるのか。いやあ、不思議だ。クックック」
「喧嘩売ってるのか?」
「僕が売れるのはベリーのジャムだけだよ。非売品だけどね」
〈ケッケッケさん〉たちがクスクス笑っている。クレオを指差して、「あいつ死んだな」と言っている。
「おれさまはなあ、お前らみたいにこそこそしねえ。真正面から何もかも叩き潰してやるのよ」
「なるほど。見た目通りの知性の持ち主で結構。ククッ。きみみたいなトロルもどきがアサシンだなんて、アサシン・アイランドの未来は明るいねえ」
「あ?」
「何もかも順調っていうことだよ、豚くん」
「てめえ、豚呼ばわりしたのか? このおれさまを?」
「してないよ」
「さっき豚って言っただろ!」
「僕が? とんでもない。このクレオ・クレドリス、嫌いなものはいろいろあるけど、一番嫌いなのは誰かを豚呼ばわりすることなのさ。ククッ」
「豚って言っただろ!」
「だけど、僕には覚えがなくてねえ。そうだ、じゃあ、きみが証人をふたり用意してくれ。僕がきみを豚呼ばわりしたというね。そうしたら、僕はきみを豚呼ばわりしたことを認めようじゃないか。豚くん」
「豚って言った!」
「だからねぇ、ククッ」
「あの、クレオさん」
「なんだい、ヴォンモ?」
「もう、そのへんにしておいたほうがいいと思います。どうせ、殺すんですよね」
「そうだね。じゃあ、認めよう。僕はきみを豚と認めた」
「ぐぬぬぬう。ぶっ殺してやる! お前をメチャメチャにすり潰してやる!」
それから、とヴォンモを指差す。
「今度はてめえだ! ガキ!」
ベルが鳴った。鉄格子が上がり、クレオは〈ゲッヘッヘさん〉と一緒にリングへ出ていった。
ふたりの姿が見えなくなり、鉄格子が下がると、
「ケケッ、あの痩せっぽち、二分はもつか?」
「三十秒もてば儲けもんさ。ヒヒヒ」
「あら、わたしの魔導兵器の実験台にする予定だったのに」
ギャアアアアアアアッ!
鉄格子に閉ざされたリングのほうから断末魔の叫び。
十秒ももたなかった。
鉄格子が巻き上がり、闘技場職員たちが車輪付き担架で運んできたのはクレオだった。
うつ伏せになってピクリとも動かない。
少し遅れて、〈ゲッヘッヘさん〉がのしのし歩いてくる。
そこにいたアサシンたちは実力を測りかねた新米が潰された黒い愉悦にケケケ、ヒヒヒ、ウフフと笑っていると、
ドサッ。
〈ゲッヘッヘさん〉が顔から地面に突っ込むように倒れ、その背中にはありとあらゆる国のありとあらゆるサイズの刃物が後頭部から踵の後ろまでびっしり刺さっていた。
「クックック」
クレオはごろりと担架で寝返りをして、ベリーをひとつ宙に投げ、
「まったく充実した時間だったよ」
パクっと落ちてきたベリーを食べた。




