第二十六話 アサシン、緑豊かな地下道。
はめられて落とし穴で落とされる場合、落とされ先にあるのは石造りの冷たい水が流れる地下道で暗く骸骨も転がっているから、ちょっと歩くだけで十ほどのしゃれこうべを踏み砕き、さまよう霊魂の恨みを買いかねない。
ところが、ヴォンモが落ちたのは分厚い苔が生えた緑のトンネルだった。
お尻から落っこちたヴォンモは苔の上でポンと弾み、同じような苔のクッションをポンポンと弾みながら降りていき、静かな緑の道に、ちょこんと膝をつくようにして着地した。
どのようにしたのかは分からないが、天井の蔦のあいだにできた亀裂が美しい白い光を斜めに差し込ませ、その光に照らされた苔が水滴をキラキラさせていた。
青いキノコ、苔、丸い光を投げる釣鐘草、ちぎった葉を背負うアリの列、タケノコ形の小さな岩の群れ、水が湧く切株。
森のような地下道はハッカの薬瓶みたいなにおいがして、とても幻想的だった。
落っこちている最中は、今度あの支配人代理を見かけたら、ちょっと思い知らそうと思っていたが、こうしてみると、そう悪いものでもない。
歩いていると、奥から水を撫でた風が香ってきた。
地表まで開いた光の隙間があるためだろう、このトンネル全体が大きな笛のようになっていて、神秘主義者の集会できこえてきそうな〈うーるんうーるん〉という単調なフレーズの繰り返しがずっときこえていた。
そのうち、その音のなかに、わああああ、という少年の声のような音がきこえ、音はどんどん大きくなって、ついにとうとう日差しのなかから探偵来栖ミツルの助手フィッツが、どこかでドジを踏んだのだろう、湿った苔のベッドに落っこちてきた。
「参りました。あの後、悩める人を導く矢印の看板というものがあるときいて、それに従っていたのですが、気づいたら、『おれはココナッツ・マンだ! お前その1の頭をココナッツみたいに叩き割ってやる!』って叫ぶおじさんに山刀を振り回されながら追いかけられて、それで落っこちたんです」
すると、ヴォンモの影からモレッティがズブズブとあらわれて、フィッツの度肝を抜いた。
「お呼びですか、ヴォンモさま」
「ココナッツ・マンさん、いますか?」
「そのことでちょうどお話があったんです」
「いなくなったんですね」
「その通りです。スペースの問題でココナッツ・マンとカテドラルのカッちゃんのどちらかを一時的に解放しなければいけなくて、より少ない悪として、ココナッツ・マンを解放しました。巨大魔列車が人も建物も見境なく轢き潰すよりはよいかと思いまして」
「スペースの問題?」
「概念としてですが、それはモグラの巣穴に似ているのです。ただ、あちこちに青く光る結晶とあの世へ通じるうねる道があるので、正確にはモグラの巣穴ではないのですが、ともあれ、その巣穴がいっぱいになってしまうことがあるんです。四つ目のカラスや暗殺部隊、ココナッツ・マン、カテドラルのカッちゃん。彼らだけならいいのですが、ミミちゃんがこれに加わると――」
「待ってください。ミミちゃんがおれの影のなかにいるんですか?」
「いる、というよりはこじ開けたなかを覗き込もうとしてくるのです。あの方は我々のスペースがヴォンモさまのプライベートな空間だと勘違いされているんです。こちらがつくる幻想のチャンネルにも絶えず、干渉してきます。もう、ポーションを見ただけで反射的にびっくりしてしまうほどです」
「悪いヒトじゃないんですけど」
「はい。ヴォンモさまを尊く思うあまりの行動とは理解しております。ですが、ハイ・ポーションをかけまくって、チャンネルに干渉してくるのはちょっと……。ともあれ、それでスペースがひどく不安定になって、誰かが出なければいけないということになりました」
「誰かが?」
「暗殺部隊やカラスたちも全部解放したら、大騒ぎですからね。カテドラルのカッちゃんは言うまでもなく。ココナッツ・マンならいいのではと思ったわけです。これも苦渋の決断でしたが、しかし、ここはアサシン・アイランド。みんながアサシンなのだから、まあ、逃げるくらいはできるだろうと」
「それって、モレッティさんが外に出るんじゃだめなんですか?」
モレッティが拳で手のひらを軽くポンと打ち、頭の上で電球が点いた。
「その手がありました。よいしょ、っと」
先ほどまでモレッティの両足はヴォンモの影に半ばどろっとした黒い煤みたいな状態で浸かっていたが、そこから引っこ抜くと、黒いテカテカした革靴があらわれた。
「あの。おれの影、光に逆らってませんか?」
「ちょっとイレギュラーなことが起きていますが、大丈夫、時間が解決します」
「どのくらいで?」
「最短十分、最長は、――まあ、五十年は続かないと思います」
「それはちょっと困ります。こんな影見られたら、異端審問送りです」
「いま、暗殺部隊とカッちゃんからメッセージが来ていますが、聖職者殺しなら任せろと言っています」
――†――†――†――
「ははあ。それをマッチポンプというのですね」
「先生は本当は機械の伯爵を壊したんですが、しらばっくれようとしたんです。でも、カンパニーからお客が来た後、突然、自白してしまったんです」
「なぜ、そんなことを?」
「あ」
ヴォンモの頭の上で電球が点いた。
「そうだ。師匠たちの薬を手に入れなきゃいけないんだった」
「薬? それはヤクやブツと呼ばれ、『服用する』を『キメる』と称する、ちょっと特殊で、クルス・ファミリーが決して手を出さない薬のことですか?」
「そうじゃなくて、普通のお薬なんです」
「難しい病気なんですか? 教えてください。これでも悪魔ですからね。疫病には詳しいですから」
「アサシン風邪って言うんです」
「ほうほう」
「これのためにこの島だけでも五人が死にました」
「それはそれは」
ちょっと待っててください、と言って、モレッティは手袋を外すと、そこらへんに生えているキノコや草を引っこ抜き、苔を削って、手のひらでぐちゃぐちゃに揉み、それに焼ける火薬の息を吹きつけて、カラカラになるまで焙った。
「これで治るはずです。まあ、信じられないでしょうが、これが効くのです。疫病で国ひとつ滅ぼしたことがある悪魔の言うことです。信じてみるのも面白いでしょう」




