第十六話 兵士、そこにいる意味。
アルセウスは騎士だったが、他の騎士と同じく、騎士剣一本で戦場をうろつくのは馬鹿のすることだと知っていた。
だから、火縄銃と水牛角の火薬入れ弾丸を入れた袋と火縄をいつも持ち歩いていて、最近では剣よりも銃のほうが得意だった。
ある日、アルセウスは火縄銃兵三人と弓兵五人をたくされて、ヴォリオン通りの前哨陣地で哨戒にあたっていた。
前哨陣地と言っても、窓枠の跡がある壁がふたつある瓦礫の散らばりで、屋根はなく、割れた石のほかに、黒焦げの樽、呪術がらみの溶けない氷粒、陶器の破片、鉄格子があるだけで、火縄銃兵はヴォリオン通りにふたり、その裏手の路地にひとり、それぞれに弓兵がふたりついて、エルフとハーフで一番弓が達者なユヴェという若者がアルセウスのそばにたったひとりの遊撃隊として歩いている。
「騎士殿。敵がドラゴン戦車を新たに投入するという噂は本当だろうか?」
「密偵の話か? 密偵は持ち込んだ話のランクに応じて、ボーナスをもらう。デカいホラを叩けば叩くほど、ボーナスがデカい」
「じゃあ、密偵の嘘だと?」
「いや。本当だろう。ドラゴン戦車は来る。なぜなら、この戦争では常に最悪の状態が降りかかってきた。火縄銃と弓だけでドラゴン戦車を相手にするなんて、まさにおあつらえ向きの最悪だ」
「こちらのウィザード・スーツは?」
「手から火が出るあれか。それこそ、おれがそっちにききたい。エルフは人間よりも魔法に対する力は強いときくが」
「わたしはあれを着て、戦いたいとは思わない」
「爆弾背負ってるようなものだからな。だが、親衛隊のあいだでは大人気だ」
「子どもは火遊びを好む」
「違いない」
瓦礫の窪地で、弓兵ふたりが卵を小さな皿にといて、堅くぼそぼそしたパンをつけて、口に運んでいる。
アルセウスたちも小さくちぎったパンをひたして、口に押し込むようにして食べた。
すると、歳を食った弓兵がやってきて、
「隊長。あんた、ききましたかい? セブニアのスープのこと?」
先日、セブニア兵がどこかでラッパのような拡声器を使って、セブニア兵は毎日温かいスープを飲んでいると宣伝して投降を誘ったことがあった。
最初は信じなかったが、次々と入る目撃談や捕虜の話、そして何より顔の色つやがよくなったセブニア兵たちを見ると、スープの話は本当のようだった。
「やつらは戦場にも簡単に持ち込めるオーブンとスープ鍋のセットを買ったらしいんですよ。そいつがあれば、毎日だって熱いスープが飲めるって話でさ」
「おれたちの陣営にもぜひ売ってほしいものだ。もし、宮廷のおべっか使いどもがおれたちのことを忘れていなければ。しかし、セブニア王は特別に兵士の給養に気をかけるような王だったか」
「武器商人が貴族のおっかさんたちを焚きつけたそうでさ。あっちにも貴族の息子なのに、何が楽しいのか戦場にやってきたのがいて、そこのところの情につけこんだってわけで」
「こっちにだって、愛国心に目がくらんで前線行きを選んだ貴族はそれなりにいる。まあ、武器商人は両陣営に武器を売って儲ける連中だから、そのうち、こっちにも熱いスープがやってくる」
「それまでに死んでいなければな」
「違いない」
そのとき、突然、全てがきらめいた。
風のいたずらがノヴァ=クリスタルの空を覆う黒煙を一瞬だが切り裂いて、朝の光が前哨陣地を包み込んだ。
「やあ、これは――」
そう言いかけたときに老兵の胸にクロスボウの矢が飛び込んで、後ろへ吹っ飛んだ。
「敵襲!」
銃声が二度、ヴォリオン通りを見張る窓から鳴った。
アルセウスは手首に巻いていた火縄をつけながら、窓のそばに走り込み、大きな機械仕掛けのヴィンドラス・ボウを持って下がろうとしているセブニア兵を撃った。
背中から木の枝を折るような音がして、セブニア兵は倒れた。
すぐに瓦礫の隠れ場所からクロスボウ兵が湧いた。
アルセウスが顔をひっこめた直後、矢がうなりを上げて、飛び過ぎていった。銃身に火薬を流し込みながら、叫んだ。
「全員、応戦しろ!」
味方の火縄銃が次々と発射される。たった数度の発砲で陣地は目に染みて喉に辛い煙が立ち込めた。
クロスボウ兵は横一列に並んで、矢を窓に放ち、顔を出せないようにしている。
それでも一瞬の隙をついて、発砲すると、ワァッと声がして、白煙の向こうの敵兵の影が仰向けにぶっ倒れた。
「隊長! 路地から重武装兵!」
「ユヴェ!」
ハーフエルフの弓兵は路地を臨む窓のそばへ飛ぶように走った。
セブニアの重武装兵は矢をはじきながら、大きな斧槍を手に近づいてくる。
兜の面は下ろされていたが、ユヴェの狙い澄ました一射は兜に開いた視界確保の小さな穴へ入り、目玉を貫いた。
ヴォリオン通りに展開するセブニアのクロスボウ兵はアルセウスたちの左翼から回り込もうとしていた。
アルセウスの銃が火を吹き、クロスボウ兵の下士官らしい大男を仕留めた。
大男は胴に一発食らいながらも、まだ立っていて、それどころかクロスボウを捨てて、歩兵用の剣を抜くと、わめきながら突っ込んできた。
銃を捨てると、咄嗟に抜いたのは騎士剣ではなく、最近支給されたトレンチナイフという真鍮のナックルがついた短剣だった。
そのナックルはセブニアの鍛冶屋を集めて大量生産された粗悪な歩兵刀を一撃で叩き折り、黒ずんだ青の鋼刃は易々と相手の革の胸当てを貫いた。刃をねじると、肋骨がポキポキと折れる感触が手のひらに染み込む。
刃を抜いたとき、まだ生きていたので真鍮のナックルで顔の中心を一撃すると鼻がグシャリと潰れて、大男は卒倒した。
その後、アルセウス部隊は敵の接近を許して白兵戦に及ぶこと数度あったが、死に物狂いで弾を込め、矢を放つうちに、敵の戦列が乱れ始めて、それはやがて潰走となって逃げる背へ矢玉を撃ち込むようになっていた。
「逃げた……勝ったのか?」
その楽観を火球が吹き飛ばす。
瓦礫片が降るなか、見たのは竜の頭だった。
「ドラゴン戦車だぁ!」
アルセウスは爆発のショックで朦朧としているユヴェの腕を取り立ち上がらせる。
「防衛線まで逃げるぞ! 全員、走れ!」
それから数分は生きた気がしなかった。
次に炎がどう飛ぶか分からず、今度足を止めたら火だるまになるのではという恐怖と一緒に走るのは吐き気がせり上がるほどだった。
誰かが焼けた気もしたし、自分も焼けた気がした。
だから、第二の防衛線まで下がったとき、全員生きていたのを見たときは空っぽだと思った財布に金貨を一枚見つけたような気になった。
「何でもいい! 動くものは全部撃て!」
アルセウスも撃った。
弾丸はドラゴン戦車の装甲に跳ね返され、無我夢中で弾と火薬を銃に押し込んだ。
そのとき、ふと思った。
あの炎を吐く機械仕掛けの顎に一発命中すれば――。
「ユヴェ! あの化け物の顎が閉まらないように射てるか!?」
「やってみる!」
顎が開いた瞬間、ユヴェの放った矢が上顎と下顎の連結部分に大きな矢じりがハマった。
アルセウスはその顎で燃える、装填されたばかりの油まみれの火球を撃ち抜いた。
炎の帯がまわりを薙いで、随伴していた歩兵たちは火だるまになって転がりまわっていた。
だが、道にひろがった燃える海の向こうから、同じ型式のドラゴン戦車が三台、横一列になって炎を吐きながらやってきた。
戦意が折れた。
降伏した騎士やハーフエルフを拷問しない確率に賭けるのはきわどいが、黒焦げになるよりは――。
「ボストニア王国万歳!」
そう叫ぶのは火炎外套を着こんだ親衛隊員たちだった。
手のひらから炎を出しながら、ドラゴン戦車に正面からぶつかっていく。
その後ろを重武装の親衛隊が続く。
すると、セブニアの親衛隊の旗を掲げる円錐戦車がやってきて、見かけた敵全てに青銅砲を撃ち込み、燃え上がる親衛隊員がふたつにちぎれて、空に舞った。
火炎外套の親衛隊員がひとり、円錐戦車の死角にある瓦礫の後ろから飛び出すと、その手袋を砲口に押しつけて、炎を流し込んだ。
なかで爆発音がして、火だるまになった戦車兵たちが這い出してきたのを、火炎外套がさらに焼く。
そのとき、軽飛空艇が空にあらわれて、火薬樽を無差別に落とした。
それがどっちの艇かも分からなかった。
アルセウスは、この兵器同士のぶつかり合いと殺戮をまるで他人事のように眺めながら、ふと思った。
「おれはここで何をしているんだろう?」




