第四話 ラケッティア、スラム街の禁呪売り。
カラヴァルヴァのうち、川から離れた地区は東に行くほど、崩れた風情になっていく。
恐怖の欠陥煉瓦建築が大きく傾いていたり、釉薬の禿げた水瓶が並んでいたり、よく分からない獣肉が軒からぶら下がっていたり、通行人が身につけている装身具の九割が盗品だったり。
そして、これ以上ないくらいボロボロになったころには、そこはカラベラス街だ。
同心円状の道が重なる古代遺跡の上に立つスラム。
墓を荒らせば、副葬品をかっぱらい、ミイラは煮炊きの火にしてしまう街。
貧乏神が泣いて銭を恵んでくれる素寒貧の街の地下に国ひとつ吹っ飛ばす禁呪が売り買いされ、国際的な相場をつけているなんで、誰が信じられるだろうか?
地下にある岩窟寺院は地上の神官や司祭たちに目の敵にされた邪教の寺院らしいが、その唯一無二の教義は『素っ裸でファック』。
いや、ホントなんすよ。
この世界は本物の神ではなく、神が作った偽者の神がつくったものであり、世界は大手ゼネコンの欠陥建築のごとく欠点を持っている。
そんな世界でいくら品行方正に生きても、所詮は狂った世界の約束事、所詮天国には行けないのさ、なら、みんな、思う存分ファックしようぜ、ということらしい。
もちろん邪教徒のなかには本物の神がつくった世界を探求する身ぎれいなやつらもいたが、まあ、ほとんどはマザーファッカーどもなんだろう。
そんなマザーファッカーどもの夢の跡で禁呪を販売する。
やっぱり世界は狂っている。
さて、岩窟寺院は人でいっぱいだ。
核兵器を取引する闇マーケットにこんなに人が集まっていると想像してほしい。
この世界はギリギリで持ちこたえているのだ。
しかし、まだ甘い。
禁呪じゃない普通の魔法が禁呪クラスの強さを持ってしまう美少女がいる。
「えへん、なのです」
おれも結局はヤバい邪教の信者なのだ。ただセックスしないだけ。
さて、ゼメラヒルダは鍵で、アレンカとおれは顔パスで、ヴォンモは影からぞろろとあらわれた悪魔のモレッティが帽子をとって挨拶して、問題の禁呪市場にやってきた。
賢者の石まであと少しだと主張する錬金術士やどうしてもカエルに変えてやりたい女がいる童貞魔術士、それにあちこちの国の諜報機関から派遣された暗黒騎士たちが、この暗黒コミケで禁呪の書を拾い上げては、ペラペラとめくり、また売り場に戻す。
使ったら一生パアにするくらいの代償を払わせるまさに禁断の呪文書が荒縄で縛られて、十冊いくらで売られているのはなかなかアタマがイカれているが、ホライズン・ブルー・パンケーキ、ホライズン・ブルー・パンケーキとぶつぶつ唱えながら歩き回るアレサンドロに比べればかわいいものだ。
あいつ、何してんだ?
いや、ホライズン・ブルー・パンケーキとかいう危険度一億倍のパンケーキを求めているのだろう。
パンケーキを青くするために人間をやめることはないと思うが、アレサンドロたちパンケーキ仲間の最終目標は世界一青くておいしいパンケーキになって食べられることなんじゃないかと思うことが多々ある。やつらはアンパンマンの亜種なのだ。
うん。正直言って、目を合わせたくない。
目が合えば、ホライズン・ブルー・パンケーキがターコイズ・ブルー・パンケーキの一億倍優れたものであることを延々と語られる。
これだからロン毛のイケメンは。
もし、この禁呪のなかに世界じゅうの男たちをロン毛のイケメンにする魔法があるなら、そいつを使う前に『博士の異常な愛情』を見ておくべきだ。それともダニー・ボイルの『28日後』かな。
あいにく素晴らしいマフィア映画の世界にはパンケーキ・マッドを反映させた作品がない。
いやあ、残念、残念。
さて、禁呪取引の世界ではきいていた通り、金貨のみの取引が幅を利かせている。
土地の権利書はおろか美術品や宝石すら受けつけない。
とにかく現金なのだ。
そのくせ禁呪の書一冊金貨五千枚とかするのだから、なるほど、これは為替業務の出番だ。
手ぶらで入って手ぶらで出る。
そのためには信頼できる金融業者が為替を受けつけないといけないわけだ。
この死の商人のエキスポを仕切っているのはガランメルタンという魔法使いだ。
一年じゅう、こんな地下で暮らしているのと、〈蜜〉にハマっているせいで、真っ白のごぼうみたいになっている男だ。
カネは唸るほど持っているから〈蜜〉がきれて、ヒイヒイ言うことはないが、着実に寿命は削っていると思う。
ただ、ここで売っているものは寿命とか倫理といったものに中指を突き立てている。
〈蜜〉で一生をダメにするくらい、どうってことはないのだ。
「退屈なんですよ。ドン・ヴィンチェンゾ」
そこまで齢ではない。三十代半ば。
だが、嗜好が嗜好ゆえ、七十歳のじいさんに見える。
髪も伸ばしっぱなしだ。禁呪界のハワード・ヒューズ。
「今日は面白い話を持ってきた」
ガランメルタンは〈蜜〉の入った水ギセルをチュウチュウ吸いながら、ゼメラヒルダを見ている。
濁った光のない目をした、退屈すぎて、体に毒をぶち込んでいるこの人類はこのゴブリンの才媛にはどう見えているのだろう?
「初めまして。ガランメルタンさん。わたしはゼメラヒルダ。ゴブリンの長をしております」
ガランメルタンは肩をすくめた。
「ようこそ。ゴブリンのお姫さま。はしたお金と引き換えに人間にぶち殺された同胞の仇を取りたいなら、ここに来たのは正解だ」
「いえ。そうではありません。わたしは人間との調和を重んじます」
「ききましたか、ドン・ヴィンチェンゾ。わたしたち同胞にきかせてあげたいじゃないですか。なにせ、わたしたちときたら、同じ姿格好をしていてもお構いなしに殺し合う。退屈ですよ、ドン・ヴィンチェンゾ。国王や将軍というのは本当に安上がりな趣味をお持ちだ。民の血が流れて、領土が増えたら、それで満足だなんて。極めて安上がりで、うらやましい限りじゃないですか」
「あんたほどなら〈蜜〉を買うカネには困らないだろう」
「最近はわざと〈蜜〉を抜くんですよ。体が軋むほどの痛みというのは面白いかもしれないと思ったのですが、ダメですね。まったく、面白くない。実はですね。ドン・ヴィンチェンゾ。五日前まではわたしは〈蜜〉を抜くことができて、健康体になっていたんですよ」
「意志の勝利だな」
「とんでもない。健康でいることがあんなにも退屈だったなんて。まったく絶望ですよ。地上の世界では安っぽい物質主義とお涙ちょうだいのクソ倫理が幅を利かせていて、わたしときたら、〈蜜〉を抜いたのにちっともわくわくしない。こうしてまた〈蜜〉を体に満たすけれど、ああ、どうしても退屈だ」
「なら、ゾンビになって、スケルトンになってみるといい。わしはサラザルガの葡萄園を連中に任せているが、なかなか面白おかしく生きている――いや、死んでいるよ」
「それも悪くないかもしれませんね。ところで、そっちの葡萄酒色の小さな暗殺者さんはずいぶん面白いものを憑かせている」
すると、モレッティがずぶずぶとヴォンモの影からあらわれた。
上半身のほとんどはクレヨンで塗ったみたいなムラのある姿で、その顔と帽子だけがなんとか輪郭を保っている感じだ。
「こんにちは、禁呪の王よ。わたしは悪魔。名はわけあってモレッティと名乗っています」
「こんにちは、悪魔。生きていて楽しいかな」
「はい。人間を瘴気でボロボロにし、切り刻み、叩き割り、轢き殺す機会を与えていただいていますので、退屈しません」
「わたしに取りついていた悪魔は一日に十回〈蜜〉をやるわたしに、もう耐えられないと言って、出ていった。わたしが知る限り、きみたち悪魔はわたしたち卑小な人類の道を誤らせるためにささやきかけると思っていたが」
「悪魔と言ってもいろいろございます」
そのとき、ドカン!と音がして、一冊の魔導書から吹雪の竜巻が狂ったように立ち上がり、うっかり逃げ遅れた魔法使いたちを雪だるまに変えてしまった。
「それで、こちらのセニョリータ・ゼメラヒルダはどんな用事でこちらに?」
ここからはビジネスの話だ。
ガランメルタンは〈蜜〉をキメているので、真面目に話ができる雰囲気ではなかったが、寺院の聖具室だった場所を改造して、そこを銀行にする許可は得られた。
「ところで、ドン・ヴィンチェンゾ。先ほど、ここに客があったのですよ」
「ほう。どんな?」
「下着売りですよ」
「下着売りとは、また」
「その男は、まあ、数字をいじって一生を終えそうなタイプの男ですが、いい売り物があると言いました。ここで見る人種でもないから、会ってみたのですが、鍵の合わないトランクを無理やりこじ開けると、パンツだの替えのシャツだのがバサバサ出てきました。ちょっと面白かったので、酒宴の見世物にしようとしましたが、トランクを抱えて逃げるように帰ってしまった。あなたにもお見せしたかったですよ、ドン・ヴィンチェンゾ」
それなら、退屈しないものがある。
アレサンドロだ。だけど、紹介はしなかった。
だって、もしアレサンドロを見て、面白そうだ、ってガランメルタンが乗り気になったら?
そんな勇気、おれにはないですよ。




