第三話 ラケッティア、ゴブリン・マネー。
「銀行をつくる?」
ゴブリン金融ネットワークのCEO、ゼメラヒルダはうなずいた。
〈ラ・シウダデーリャ〉に吹き込む風が初夏へと移りつつある今日この頃、レンベルフ公国からやってきたゴブリンの世界の金融女王は何とも面白そうな商売を持ち込んだ。
カラヴァルヴァでは銀行というのはカジノのことを示すが、ゼメラヒルダの目指すのは本物の銀行で最低でも為替取引はできるようにするとのこと。
「貸付とかは?」
「まだ、考えていません」
「おれとしては賛成だよ。人間がやってる金融屋の七割はゴブリン金融の半分の信用もない。ただ、カラヴァルヴァは天下御免の犯罪都市だから、新参の金融業者が割り込むにはもってこいの土地だけど、問題は、ほら、その――」
「わたしたちがゴブリンであることですね」
「残念ながらゴブリンを倒せば、お金と経験値が自動的に得られると思っている手合いがまだいる」
「わたしたちもサンタ・カタリナ大通りに銀行をつくるつもりはありませんよ」
また初夏の風が吹き込むと、ゼメラヒルダの長い鼻を覆う柔毛がふわふわなびいた。
「カラヴァルヴァ市内には禁呪関連の書籍や呪物を取引する場所がありますよね」
「カラベラス街にある。あそこをカラヴァルヴァ市内に入れるかどうかについては議論があるけど」
「禁呪関連の取引は現金決済が原則ですよね」
「ものがものだからね」
「ただ、多額の現金を持ってカラベラス街に入るのはリスクがあるでしょうし、それに聖院騎士団や他の司法機関は禁呪にはかなり神経を尖らせています。そんななか、多額の現金を持って、あそこに行けば、目をつけられます。ですから――」
「ゴブリン銀行が為替を受けつける」
「その通りです。手ぶらで禁呪を買いに行き、きちんと現金払い。その環境は待ち望まれたものだと思います」
「場所が場所だから、ゴブリンが銀行を開いても、それを文句言うやつはいないしね。そんな細かいこと気にする人間は禁呪なんて手を出さない」
「考えれば考えるほどいい立地です。ただ、ひとつ問題が――」
「あそこは一見さんお断り。鍵がないと入れない」
おれは立ち上がると、机の後ろの棚を開けて、金庫に鍵を差し込んで、蹴飛ばした。
すると、扉がひとりでに開いて、額面金貨千枚のゴブリン金融の預け入れ証の束、星金貨が入った箱、宝石でごてごてに飾られた金貨一万枚の価値がある短剣があらわれる。
そのうち、さらになかにあるチビ金庫にまた鍵を突っ込み、デコピンを食らわせると、また扉が開いて、小さな銀の枝のような鍵があらわれた。
それをゼメラヒルダの前に置く。
「やっぱりお持ちだったんですね。どこで手に入れたのですか?」
「もう時効だから話しちゃうけど、以前、これを持っていた貴族の息子がフェリペ・デル・ロゴスの愛人にちょっかい出して殺されかけた。おれがドン・フェリペと話をつけて、街を出たら、命だけは助ける条件をつけた。そうしたら、その父親がくれた。持っていっていいよ。ひとつ条件があるけど」
「おききします」
「二日後に街全体をフィールドにしたサッカーがある。その賭け屋を開帳するんだけど、信頼できる計算係が欲しくてね。これを手伝ってもらえるなら、こいつはきみのものだ」
ゼメラヒルダは驚いて目をぱちくりさせていたが、世界の半分をくれてやると言われても、こんな顔をするかどうか。
「まあ、それなりの打算があるんだ。信用できる銀行はこっちも商売ができるし、それにいざというときのためにまとまったカネを貸金庫に入れたいと前から思っていたんだけど、この街じゃ一番信用のおけるカネの預け方は街外れの森に埋めることなんだ。金貨二百枚くらいなら預けられるが、一万枚預けたら間違いなく高飛びする。それを追いかけて、とっちめて、取り返すのも無駄な費用だし、高飛び先が南の島だったりしたら、取り返しても半分残ってるかどうか。命で支払わせてもカネにならない。それにここでゴブリンたちが市民権を得れば、ゴブリン金融はもっと商売を広げられる。おれもパン焼きだの運送だののギルドを持ってるから、そのネットワークを使わせてもらえれば馬鹿な徴税役人の示威的な課税をくらましてやるのにいい」
「手数料、おまけするよう伝えますね」
「助かった。かっこつけて言ってはみたが、やっぱりもうちょっといい条件にしたかった。じゃあ、伯父が案内するから」
「ドン・ヴィンチェンゾがですか?」
「きみに鍵をあげたから、おれは入れない。けど、伯父さんなら顔で入れる」
「ありがとうございます」
――†――†――†――
「アレンカも行くのです!」
「鍵がないんだけど」
「アレンカも顔パスなのです。アサシンウェアに着替えてくるのです。待ってるのです」
「おれも一緒に行ってもいいですか?」
「入れるの?」
すると、ヴォンモの影からズブズブズブと悪魔のモレッティがあらわれて、帽子をとって挨拶した。
「わたしが顔パスなんです」
そんなわけで、おれとアレンカ、ヴォンモを連れて、ゼメラヒルダの銀行計画に付き合うことになった。
ゼメラヒルダ相手にアレンカとヴォンモはアサシンモードで、アレンカは「なのです!」を封印している。無理は体に良くないと思うが、彼女だって大人に見られたいときがあるのだ。
「そんなとき、愛に生きる小売王がアレンカちゅわんを支えるんですよ」
「お前、何ついてきてるんだよ?」
「いえ、禁呪市場に生き別れの妹がいる気がして」
「何が生き別れだ。お前はひとりっ子の魔法生物だよ。製造過程を全部見たおれが言うんだから、間違いない」
「そんなこと言わずに連れていってくださいよ」
「どうせ入り口で弾かれるぞ」
「そんなことありません。愛に生きる小売王に不可能はないのです」
そんなわけで、おれとアレンカ、ヴォンモとミミちゃんを連れて、ゼメラヒルダに付き合うことになった。
「やあ、ゼメラヒルダ嬢とはあなたのことですな。わたしはヴィンチェンゾ・クルス。甥からきいていると思うが、まあ、不良老人だ。こっちはアレンカ、こっちはヴォンモ。挨拶をなさい。ふたりとも」
ふたりはなんちゃってミニスカートの端をつまんで、軽く身を下げた。
あんな挨拶、おれ、一度もしてもらったことがない。
「うひーっ! ちょこん挨拶尊いーっ!」
「あの、ドン・ヴィンチェンゾ。あちらは?」
「ベンダーミミックだ」
「ベンダーミミック?」
「ダンジョンでポーションや毒消しを売らせるためにつくったミミックだよ」
「魔法生物なのですか? まるで本物の生物です」
「〈学院〉のその道の玄人につくらせた。挨拶なさい」
「はい。愛に生きる小売王、ベンダーミミックのミミちゃんです。ところで、あなた、年齢は?」
「十八歳ですが」
「ちっ」
「え。いまの舌打ちされました?」
ゼメラヒルダは身長が人間の九歳児くらいしかない。
だが、実年齢のおかげでその毒牙にかからずに済んだ。グッジョブ。実年齢。
「では、お嬢さん方、出かけるとしよう。地下銀行。実に面白い。自分の足の下にあるのが、地獄ではなくて、現金だと思えれば、心も安らかだ」




