第二話 パンケーキ探究者、伝説のパンケーキ。
パンケーキ仲間のあいだでしきりに語り継がれる伝説にホライズン・ブルー・パンケーキというのがある。
ターコイズ・ブルー・パンケーキをつくっていると、一億分の一の確率でできるパンケーキでターコイズ・ブルー・パンケーキを食べる人間としてはいつか完成させたい夢のパンケーキである。
だが、馬鹿正直にパンケーキを焼いているのではいつ出会えるかも分からない。
そこでアレサンドロは禁忌を犯すことにした。
「で、うちに来たと」
闇マーケットの禁呪本専門店ではいろんな客が来る。
顧客の要望はいろいろある。生死の境を越えたいとか、国ひとつを滅ぼしたいとか、神にとって代わりたいとか。
だが、青いパンケーキをつくりたいというのは初めてきいた。
「ありませんか?」
「ないということはない。探せばあるだろう。値が張るがな」
「お金のことでしたら、大丈夫です」
「これは個人的な興味だが、そのブルーなパンケーキを焼いたらどうする気だ?」
「むろん食べます」
「あんたに必要なのは禁呪じゃなくて、頭と胃袋の医者じゃないか?」
「行ったら、パンケーキ欠乏症と言われました」
「パンケーキ欠乏症?」
「体が一日を健康的に生きるのに必要なパンケーキを摂取せずに起きた頭脳と体の不調です」
「あんた、一日に何枚パンケーキを食べてるんだ?」
「そんなにではありません。ほんの五十枚ほど」
「その五十枚にバターとシロップをかけるのか?」
「もちろんですよ」
「女房にあんたのやってる減量法を教えてやってもらいたいくらいだ」
「簡単です。パンケーキだけを食べればいいんです」
「前言撤回。そんな食生活無理に決まってる」
「それで、ホライズン・ブルー・パンケーキを出現させる方法ですが」
「まだあきらめてなかったんだな」
「無論です。これが食べられるなら死んでもいい。そのくらい食べたいんです」
「一日に五十枚もパンケーキを食べている時点で死んでるようなもんじゃないか」
「あ、ちょっと待ってください。そろそろパンケーキをキメる時間です」
「おい、あんた、いま、キメるって言わなかったか?」
「いえ。食べるといいましたよ」
「どうもなあ。――って、おい。そのパンケーキ、青いじゃないか」
「そうですね」
「じゃあ、この話は終わりだな」
「違いますよ。これはターコイズ・ブルー・パンケーキ。わたしが欲しいのはホライズン・ブルー・パンケーキです」
「まさか一日五十枚食べるパンケーキはみんなこの色じゃないだろうな?」
「察しがいいですね。この食いしん坊さん。その通りです」
「朝からパンケーキ・マッドの相手をさせられるこっちの身になってくれよな」
「一枚食べます?」
「お誘いありがたいけど、死んだお袋に青いパンケーキだけは食べないでくれって死の床で約束されててな。食べたいが食べられない。いやあ、残念だ。死んだからって親孝行しちゃいけない法律はないからな」
「素晴らしい。そのお話、わたしの心にも響きました」
「そいつはどうも。それを食べたら、帰ってくれよな」
「いえいえ。ホライズン・ブルー・パンケーキの謎を解き明かすまでは帰ることはできません。なんとしても手に入れたいのです」
「……ラコリペルタス」
「それはなんですか?」
「海の戦王ラコリペの魂を封じ込めたと言われる禁呪物だ。ラコリペの霊に自分の魂を売り渡してもいいから、ラコリペの剣技をものにしたいときに使う。つまり、この禁呪物はまだ意思があり、交渉ができる。ラコリペルタスを使えば、そのパンケーキを海みたいな青いホライズン・ブルー・パンケーキにできるんじゃないか?」
「それは素晴らしい! では、そのラコリペルタスをください」
「うちにはない」
「じゃあ、ちょっと世界を旅してきます」
「まあ、落ち着きな。パンケーキ・マッド。うちの店にはない、ってだけだ。カラヴァルヴァにはあるかもしれない。正確にはカラベラス街。あそこの地下に禁呪を密かに取引する岩窟寺院がある。そこでなら見つかるだろうな。というより、そこにないなら、この世には存在しないって言ってもいい」
「ふむ、カラベラス街。どの通りですか?」
「教えてもあんたは入れないよ。入るためには鍵がいるんだ」
「だんだん見えてきました。あなたはその鍵を持っている。わたしはその禁呪品市場に行きたい。交換条件が成立するわけですね」
「そういうことだ。それで、こちらの条件だがな」
「結構です。飲みます、その条件」
「まだ何か言ってないんだが」
「ホライズン・ブルー・パンケーキができたら、半分食べさせろって話ではありませんよね」
「頼まれたって食べたくないよ、そんなパンケーキ。おれの出す条件はな、あんたの劇場のボックス席の権利一年分だ。それもヨセフィーネちゃんが一番よく見える、舞台左の一番下のボックス席だ」
「それでいいんですか?」
「は?」
「ヨセフィーネさんのファンなら、楽屋に入れますよ」
「が、ががが、楽屋?」
「ええ。楽屋です」
「いや、楽屋はまだ早いっていうか。もっと仲良くなってから――」
「では、楽屋はなしで――」
「いや、楽屋ありで! ほら、これが鍵だ! 待っててくれよ、ヨセフィーネちゃん!」
禁呪屋はアレサンドロの書いた楽屋入室許可状をひっつかんで走っていった。一番いい服に着替えながら走るものだから、薄汚れたシャツやパンツが闇マーケットの通路にバラバラと散らばった。
アレサンドロは手に押しつけられた鍵を見た。
白い銀でつくった枝のような形をしていて、古代ルーン文字らしいものがびっしり削り込まれている。
どこかでこれと同じものを見かけた気がする。
気がするだけか、本当に見たことがあるのか。
アレサンドロはこういうことはどちらかというと気になるほうだが、そのうち彼の思考はホライズン・ブルー・パンケーキに対する単純な食欲に乗っ取られ、気づけば、岩窟寺院につながる階段を急ぎ足に降りていた。




