第二十五話 転生者、散策犯罪だらけ。
農家の床には頭を斧で叩き割られた女とふたりの子どもが真っ直ぐ仰向けに横たわり、ギリギリ残っていたまぶたは閉じられ、銅貨が一枚ずつ乗せられていた。
つい今さっき、アスバーリは町の南のトウモロコシ畑を歩いていたところを狂った農夫に襲われ、斬り捨てた。
何があったのか確かめるために畑へと入り、やがて見つけた小屋で三人の遺体を見つけた。
道へ戻って、彼が胸をⅩ字に切り裂いた農夫のもとへ戻るが、家族を皆殺しにした理由は分かりそうにもなかった。
ひげに覆われた顔はひきつっていて、死んでもなお狂気は目から離れることを拒んでいる。
体はぎらつく太陽に干上がらされたみたいに縮んでいる気がした。
またしばらく歩いていると、いくつも重なる蹄音が響き、地がかすかに揺れた。
道の脇にまだ続いていたトウモロコシ畑に隠れると、鉄の胸当てをつけた騎兵隊が通り過ぎていく。
その後も、続いた音をきいている限り、彼らは農夫の死体を見つけても止まらず、そのまま走り続けたらしい。
あれはこの町とは関係のない騎兵隊だったのだろう。先頭をゆく騎兵は伯爵以上のものでなければ許されない紋章を旗にして高々と掲げていたし、それ以外の騎兵たちだって胸当てには下級貴族の紋章を刻んでいて、鉄兜も立派なもので、赤い羽根飾りが乾ききった空気のなかで生きているように揺れていた。この気温であんなものをかぶれば死んでしまうかもしれない。
彼らは二十人あまりで、ここにはただ通り過ぎるためだけに来たようにも見えるが、何か探しているふうでもある。
探す。
それはアスバーリも同じだ。
最初は〈星辰より来たるもの〉を。
だが、いまは自分のルーツを、そして、なぜ、彼らが自分をこんな体にしたのか、理由を探している。
今日はダンジョンに潜る気になれそうもない。
それで散策のつもりでメスカーロを歩いてみたのだが、この町ではあらゆる人間が憎悪と狂気に浸っていた。一本のカスアリナスの樹に矢で全身を針だるまにされた男が三人ぶらさがっていて、その日陰で周囲の町からやってきたらしい自警団がパンと卵の昼食を取っていた。
「彼らは何をしたんだ?」
自警団の長らしい男がこたえた。
「分からない」
「罪のない男を殺したのか?」
「いや、罪があるのは間違いないんだ。だが、それがどんな罪だか分からない」
哲学者ミツルからきいた話を思い出した。
ある男たちがキリストという男を磔にしたら、罪に落とされた。
キリストは神を父に持つという前代未聞のコネをもっていたから、事情の分かる人間がその場にいれば、「おい、やめろ! お前たちはとんでもない男を殺そうとしている!」と叫んだことだろう。
吊るされているのは真っ黒なヒゲで顔を覆われた大柄な男で、吊るした枝がしなったりしないよう、一番太い枝を選んでいた。神にコネを持っていそうには見えなかったが、そもそもアスバーリにとって、神がいるのかは少々疑問だった。
特に来栖ミツルと出会い、自分の出生に関係ありそうな事柄を教えられてから、特にそうだ。
たぶん、異端審問にかけられて火あぶりにされかけたのも、そのへんの考え方かもしれない。
「どうだろうな。人に利用されて、誰かを殺す暮らしをしていると、神を信じるのは難しい」
散策前に話したとき、ジャックはそう言った。
「ただ、逃げる自分の背中目がけて、矢が何本も飛んで来たら、もう、自分の脚力ではなくて、運の問題だ。そのときは神に祈る」
「都合よく神に祈るのか?」
「都合よく使われた記憶しかなかったから。そっちは?」
「……ただ、任務を遂行し、〈星辰より来たるもの〉と戦うのが唯一の正しいことだと思っていた。彼らのために自分は生きている。世界を守るために戦っていると思っていた。でも、わたしのなかのあの碧い力が、誰かに埋め込まれたものかもしれないと思うと、分からなくなる。……これは?」
「サボテン焼酎のなかでも特に度が強いやつだ。これをひと息に飲んで、酒を散らすための散歩をするといい。それで一緒に不安も散らせたら、まあ、儲けものだと思ってくれ」
畑がきれると、川の跡に出た。干上がった砂利の道に水たまりが点々と姿を見せている。
行商人らしい男がラバに荷物を載せて、川岸の葦の向こうへと消えていく。
川岸につく。
白い砂利が左右に蛇行しながら伸びていき、熱で池のまわりの像が揺れている。
シャツ姿になった紳士がひとつの鎖で足かせをつながされた三十人の男たちに干上がった川底の火打石を掘らせていた。
見張り役の紳士は馬にまたがり、サーベルを下げて、黄色い革手袋をつけている。
アスバーリを見かけると、挨拶してきた。
散歩を始めて、最初の挨拶だ。
これまで見かけた人間は殺されたり、不機嫌だったり、消耗していたりで、挨拶をすることもできなかったのだ。
そこでまた北へ曲がり、メスカーロに戻る別の道を取ることにすると、これまで見かけたことのない小さな宿屋を見つけた。
宿屋ということはホテル・ミツルフォルニアの商売敵になる。
だが、こっちの宿屋は部屋が四つあるだけの小屋でそれが、食堂、一家の寝室、客の寝室、厨房と役目が分かれている。その裏庭に井戸があり、小さな畑があった。
跳ね上げの油紙を張った窓のある日干し煉瓦の宿に入ると、五十代の小柄だが、がっしりとした主人が細身の妻と一緒に接客にやってきた。
厨房には娘がいて、食堂の端には大きな図体の息子がいた。
ぼーっ、としていて、何を考えているのか分からない息子はテーブルの木目でも見ているように黙っている。
「何か出すかな?」
店主が言った。
「豆の煮込みが絶品だよ。赤ワインとスパイスの鶏スープもいい。このへんでそこまでのスープをつくるのはうちだけだ」
「ホテル・ミツルフォルニアは?」
「あんたさん、あいつらの身内か?」
「あそこに泊まっているが……」
「まあ、大きな宿だ」
ボールに満たされた鶏のスープには鶏と名乗るのもおこがましい、皮と骨が浮いていた。
スープを嗅ぐと、毒が入っているようだ。
耐性はある。飲んでも死ぬことはないだろう。
普通ならここで斬りかかるところだが、なぜかアスダーリは冒険をしてみたくなった。
大きな木さじに一杯のスープを救い、それを飲んだ。
――†――†――†――
夢のなかでアスダーリはコンクリートの建物の屋上にいた。
それが中学校の屋上だと知れた。
彼はその中学の制服を着ていて、夏空に手を伸ばしていた。
解放感でいっぱいだったのは、その日から夏休みが始まるからだ。
彼には青い空のなかで特に碧が濃い入道雲の陰が見えていた。
その碧はただの陰ではない。それは星がもたらした陰なのだと、アスダーリには分かった。
突然、それがここにあってはならないものだと分かった。
だが、もう間に合わなかった。
逃げよう。
そう思って、踵を返すとき、ドアにミズキが立っているのが見えた。
ここにいてはいけない。そう叫ぼうとした。
だが、手遅れだった。
ひどい後悔は自分が取り込まれることではない。
ミズキを巻き込んでしまったことだ。
――†――†――†――
意識を取りもどしたその瞬間、大きな体の息子がアスダーリの頭に斧を振り下ろそうとした。
真上から真下へ落ちる刃をかわすと、相手の懐に飛び込み脇腹の低い位置へ短刀を突っ込んで、ねじった。
叫び声が上がったが、アスダーリは柄から外れた斧の刃を左手でつかむと、掌打を打つ要領で斧を下顎に叩き込んだ。
外へ逃げようとする母親の背へスローイング・ダガーを放ると、ギャッと叫んだ後、口から血を吐き、絶命した。
「よせ! 彼は関係ない!」
厨房から声がして、咄嗟に斬りかかったが、ギリギリで止めた――重い胸甲をつけた男たちが抵抗の意思がないことを示すために手を上げた。
「我々はきみに敵対するつもりはない。目的はベヌティスだ」
それがこの毒薬宿屋の一家の名前らしい。
ひとり旅の人間に毒を食わせ、斧で頭を割り、金目のものを全て奪う。
それが手口だ。
外に出ると、厨房の毒薬係の娘が腰丈の雑草のなかを走って逃げていた。
それをひとりの騎兵が追いかけていた。
そして、サーベルを高々とかかげ、陽光をぎらつかせた刃が輝き、それが娘の頭へと振り下ろされ、褐色の葉に血の滴が飛び散って……
騎兵たちは宿の裏手にある畑を掘り返していた。
三十分後、犠牲者と思しき骨がいくつも見つかった。
そのうちのひとつには指輪が肋骨のなかから見つかった。
その指輪の紋章は騎兵隊の旗の紋章と同じだった。
騎兵たちは涙を流しながら、震えた声で言った。
「閣下!」




