第七話 ラケッティア、ソースと池。
冬のこたつに魔力があることはよい子のパンダのみんなも知っているだろう。
一度入ったら出られない。
みかんが切れたら、誰が取りに行くか、こたつのなかで足を使った殺し合いになる。
こたつに入れば、誰かと会う約束も、やっとかなきゃいけない用事も、こっちの命取る気で突っ込んでくるサイも、もうどうでもよくなる。
まさに堕落の象徴だ。
同じことが砂漠の池にも言える。
四十度の砂漠できれいな水に飛び込んで、ぷかぷか浮いていたら、もうどうだっていいやぁ~って気分になる。
課題はいろいろあるんすよ?
例の矢文のこととか、ホテル・ミツルフォルニアの今後の経営方針だとか、ダンジョンのモンスターとどうお付き合いするかとか、ダンジョンのモンスターみたいな人間たちとどうお付き合いするかとか、ダンジョンのモンスターよりもモンスターっぽい獰猛なカス人間たちとどうお付き合いするかとか、いろいろあるんだけど――。
「なんもかんもめんどくさーい」
おれたちは池にぷかぷか浮いている。
砂底の湧き水がもたらすかすかな水の動きがおれたちを左右にゆするのはまるでゆりかごのごとし。
池のそばには白漆喰に椰子の葉を葺いた海の家ならぬ池の家がある。
表に面して鉄板があり、バケツいっぱいの石炭がある。
ソース焼きそば、焼きおにぎり、ソーセージ。
それにちょっとジャックをダシにしてイスラントをその気にさせれば、かき氷もできる。
夢はひろがる、水にぷかぷか。
ただ、ウスターソースを自作するのが骨だな。
「日本にいたころ、なんでも手作りパラノイアにかかって、一度つくったことはあるけど、玉ねぎとニンジンとニンニクと、……あと、セロリもいれたな。それにリンゴ。スパイスがなんかたくさん入れた気がするけど、シナモンとナツメグしか覚えてない。ローリエも入れたかな。煮込んで、煮込んで、濾して、煮詰めて。アンチョビみたいに職人を雇うか。でも、スパイスが多いから、これ、値段は高くなるなあ」
その昔、自動車王フォードの息子エドセルは休暇に乗るための自分用の非売品特注のラグジュアリー・カーを持っていた。
そのうち、それが富裕層向けツードアの主力としてリンカーン・コンティネンタルの名で売られ始めたのが、1940年。
日本との戦争に突入したあいだはバージョンアップも生産もストップしたが、戦争が終わると、販売が再開され、ゴッドファーザーでソニーはこのリンカーン・コンティネンタルごと蜂の巣にされる。
まあ、最初はリンカーン・コンティネンタル同様、非売品のおれたち専用で職人たちに作らせるのがいいかな。
正直、この世界、ソースの種類は飽和状態だから、中濃ソースが売れるか自信はない。
味は庶民向けなのに、お値段が庶民向けじゃないのだ。
だから、中濃ソースはおれたちだけのリンカーン・コンティネンタルになればいい。
そのうち採算が取れるとみて、売り出して、広がって、いつの日かおれがハイウェイの料金所ではめられて、中濃ソースの瓶を握りながら蜂の巣にされる日が来るかもしれない。
まあ、いまは完全な道楽ソースだ。
それにスパイスの種類が分からないから、手探りになるだろう。
でも、一度くらいは自分で作ってみてもいいかも。
まあ、原材料は駅馬車使ってのカラヴァルヴァからの取り寄せになる。
他にも取り寄せたいものがあるが、まあ、それは後の話だ。
駅馬車の発着場へ行かなければならないが、差し当っての問題はどうやってこの気持ち良いプールから上がるかだ。解決の糸口は全くと言っていいほど見えない。
ひとり赤シャツだけはプールに入っていなくて、池の家の前の籐編み椅子に座りながら、ナイフで何か木彫りをしている。
ただ、しゃべらないから、お使いは絶望的である。
【来栖ミツル】「誰か駅亭に言ってきてくれよ。シナモンとナツメグと――」
【トキマル】「やだよ、頭領が自分で行けばいいじゃん」
【クレオ】「アア、沈む、沈む」
【ジンパチ】「気持ちよすぎるぜ~」
【ジャック】「誰か水から上がれ。ホテルに誰もいないんだろう?」
【イスラント】「そういうものは最初に口にしたものが率先するものだ。ヨハネ、行け」
【クレオ】「沈むー」
【ジャック】「イース。もし、いま、水から上がれば、おれはお前に完全に負けたことになる」
【イスラント】「そんな嘘に二度も騙されるか。馬鹿」
【トキマル】「かば」
【来栖ミツル】「賠償金」
【ジャック】「短い命だった」
【クレオ】「ぶくぶく」
【来栖ミツル】「おい、しゃんとしろ。矢文野郎がここにきて、直接おれたちの体に矢をぶち込んでもおかしくないんだぞ。誰か水から上がれよ」
【ジャック】「矢文のアサシンも一緒に水に浮かべばいい」
【イスラント】「そこに気づくとは。ヨハネ、やはり貴様、侮れない男だ」
【クレオ】「浮上。復活」
【来栖ミツル】「ったく。どいつもこいつも恩知らずどもが。いいか? おれはお前らにソース焼きそばを作ってやろうって言うんだぞ。ソース焼きそばだぞ。ソース焼きそば。この八月みたいな四月の砂漠のプールのそばで食べたら最高にうまい食い物だ。そして、ソース焼きそばにはソースがどうしても必要なんだ」
【トキマル】「ヴェルデ・ソースやトウガラシ・ソースでいいじゃん」
【来栖ミツル】「確かにそれでもうまいだろう。だが、海の家もどきでつくる焼きそばは中濃ソースでつくらなければいけない。そう、法律で決まってるんだ」
【ジャック】「だが、オーナー。そんな法律、おれはきいたことがないんだが」
【クレオ】「アア、やっぱり沈むー。ぶくぶく」
【来栖ミツル】「いいか? これは神々の法だ。雲の上にはおれたちちっぽけな人間が結婚したり離婚したり血反吐を吐いたり飲んだりしながらチマチマシコシコ生きていくのを上から見て面白がるやつらがいる。そいつらはときどき自然をいじくりまわして、クソみたいなルールを新しくつくって、おれたちがきりきり舞いするのに腹を抱えて笑ってる。その根性悪の神々が決めたんだ。ソース焼きそばのソースは中濃ソースのみとするって」
【トキマル】「それじゃ頭領。塩焼きそばは?」
【来栖ミツル】「なんだ、トキマル。ちゃんと知ってるんじゃねえか! もちろん塩焼きそばはおいしい。いいものだ。だが、それは中濃ソースによるソース焼きそばが確立された上での選択肢として存在を許される。神々はそう言ってる」
【イスラント】「おい、オーナー。その神々は全てを決めるのか?」
【来栖ミツル】「そうだ。全部も全部。超全部」
【イスラント】「じゃあ、ヨシュアとリサークがあんたを襲うのも神が決めたのか?」
【来栖ミツル】「それは邪神が決めたことだ。邪神はターコイズブルー・パンケーキ神と呼ばれている」
【トキマル】「あいつら、邪教徒だったんだ」
【来栖ミツル】「あんな色のゲテモノ、パンケーキに対して無礼だし、ターコイズブルーという色彩に対しても無礼だ。誰も幸せになれない」
【ジンパチ】「でも、アレサンドロは幸せそうだぜ?」
【来栖ミツル】「やつはパンケーキきめて、ラリってるんだよ」
【クレオ】「ぶくぶく」
このままじゃいけない。
いけないとは思ってるんだけど、できんのです。
まあ、これはあれだな。
おれを水から上がらせるとしたら、西部の砂漠の世紀末ギャングの隠れ家がどんなものか、そのディテールを全身で感じるため以外ありえない。
そのとき、おれのすぐそばに石がトポン!と落ちてきた。
見上げると、赤シャツがお客を連れてきた――西部の砂漠の世紀末ギャングを。




