第六話 忍者、池メンになる。
忍術は丹田で錬った気を放つ。
かつて来栖ミツルが丹田ってどこにあるんだ?ときいてきたので、地獄の訓練細目を書き並べ、これが全部できて、忍術免許皆伝になったら教える、とこたえると、ふーんと頭の後ろで手を組んで、あくびしながら、どこかに行ってしまった。
ざっくばらんに言うなら、丹田はへその下、三寸くらいの位置にある。
三寸くらい、と言ったのは、体を縦に走る気脈と腰回りで横に走る気脈の交差する点を丹田と呼んでいるからだ。
「おいらの丹田、最近、へその下三寸五分くらいのところに下がってきてるんだよね」
ゲテモノ料理討伐遠征で来栖ミツルがキラー・オニオンのスープと知らずに「んまい!」と舌鼓を打っているあいだ、ジンパチとトキマルはホテルの裏庭で忍術の試し撃ちをしていた。
気は万物に存在し、それが忍術に影響する。
どうも、ここでは火の術と風の術は撃てるが、地の術と水の術が錬成できなかった。
丹田にて、意識と呼吸を乱さず、とろ火で錬っても、土地が渇き切り、死んでいるのではどうしようもない。一滴の水もひねり出せない。
できない術を無理やりできるようにするよりは、できるものをあらかじめ把握して、その限られた術で任務を達成できるようにするほうがスマートだ。
「ねえ、トキ兄ぃ。逆に丹田が下がって、チンポコのところくらいまで下がっちまったら、どうなるのかなあ」
「どーでも」
「せっかく錬った気がションベンと一緒に気が流れちまうって思わない?」
「どーでも。おれの丹田。ちゃんとへその下三寸だし」
ちなみに来栖ミツルは異世界に吹っ飛ばされる少し前、山田風太郎の忍者小説をなんとなく読んだことがある。短編だったが、ひとつ読んだだけで図書館に返した。感想は「クソやべえ」。
ともかくふたりの忍者はいろいろ術を試す。
すると、元鉱山町の意地なのか、金遁の術がうまくいった。
虚空から焼き物の壺があらわれ、蓋を開けるとまばゆく光る小判がぎっしり。
すると、これまで気配も感じさせなかった赤シャツが安楽椅子から立ち上がり、無言で壺を持っていってしまった。
「あいつ、博打に行くのかなあ、トキ兄ぃ?」
「あいつの気、感じられた?」
「ぜんぜん」
「ひょっとしたら、おれたちがここに来る前から、そこにいたのかも」
「トキ兄ぃ、あの人、こえーよ」
「おれだって怖い」
「壺の小判。いつまでもつんだっけ」
「そんなに。追いかけてくる敵目がけてばら撒いて足止めするだけの幻術だから、長くはもたない」
「賭場で半殺しにされなきゃあいいんだけどな」
「あんなに強いんだから踏み倒せばいいのに」
「仁義の問題らしい」
「仁義、ねえ。忍びにはまったく関係ない言葉だね」
「ちげえねえや」
さて、最近、金遁の術の従兄弟らしきものをふたりは試している。
その名も名遁の術。
富と名誉。貪欲な人間はどちらも欲しがる。
最近、いろいろ試しているが、出てくるのは大名の感状だったり奉行に命じる朱印状だったりで、こっちの人間には効果がない。
なんかだんだんやっていることがエルネストじみてきたなと思い、そこまで落ちたら人間終わりだと思い始めて、そこにたどり着くとひどい疲れを感じた。
ふたりはホテルのバーに戻り、カウンターをのそのそと越えて(ひょいと飛び越えられなくなるほど疲れていた)、冷蔵庫を開けると、イスラントが貯めていた氷を取り出して、頬ずりしたり、苦無で砕いて、口に含んだりした。
術は体力と精神力を同じくらい消耗させる。
やっていることは魔法使いと大差ないはずなのに、術の理論の違いか、忍術はひどく使用者を疲弊させる。しかも、この天気である。
だから、手裏剣や焙烙玉がなくならない。
まず体術で、次に道具で、術は最後の手段だ。
「ぬるい水に死ぬほど氷を入れてつかりてえよ」
「まず、水が手に入らない」
それからトキマルとジンパチはこのホテル・ミツルフォルニア成功の鍵となる水風呂の設置について、かなり真面目な議論をした。
水の術で地下水脈を曲げて、ちょっとした池をつくることができないか。
いわゆるオアシスだ。
ホテル・ミツルフォルニアの敷地内にオアシスができたら、地価も上がるし、カクテルもぐっとおいしくなる。水着の美女たちを配置すれば、ろくでなし大工にホテルの床の穴を塞ぐくらいのやる気を出させることができる。
「問題は元手だな」
つまり、術だ。
砂漠で水脈を動かすぐらいの術など、そうそうできるものではない。
試すのは結構だが、三日間ぶっ通しになるかもしれないし、ひょっとしたら――いや、ほぼ間違いなく死んでしまう。
「水を引いて死ねば、この名前もトキアニィ・タウンに変わるかもしんねえぜ」
「ちょっと。おれが死ぬこと前提?」
「おいらが死ぬと手の指と足の指全部で数えても足らないくらい泣く女がいるのさね」
「言ってろ」
「まあ、ジャックの旦那ほどではないんだけど」
「あいつ、人気あるの?」
「〈モビィ・ディック〉のイケメン・バーテンダーと言えば、そりゃあ、結構な人気者だぜ。カラヴァルヴァのイケメン・バーテンダー、トップ3に入るって」
「……どーでも」
「まあ、本人はあの通りだからさ。前にすっげえきれいな女の子がきれいなおリボン結んだプレゼントを渡してきたことがあったんだ。おいらが、さっきの子、すっげえきれいな子だったな、って言ったら、旦那は首をかしげて、『いや。よく見ていなかった』って言うんだ。そういうところだよなあ」
「へ、へえ。どーでも」
シズクのことが気になるが、それを口に出すのは何か負けた気がする。
「まあ、いまは池だよなあ。池があれば、ちったあ我慢もできるけど」
「それほどの術者がいない。術者、か……いや、待て。ひとりいる」
そのとき、ロビーの表のほうから「たっだいまあ! フェイク玉ねぎにだまされたマヌケのおかえりだぜ! どいつもこいつも頭が高えんだよ!」ときこえてきた。
――†――†――†――
トキマルが幻術返しから復活すると、ニマニマした来栖ミツルが親し気にトキマルの肩を叩いてきた。
「いやあ、トキマルさーん。水遁の術は使えないとか言っといて、なんすか、これはぁ。ちゃんとできるじゃないですかぁ」
「頭領? じゃあ、おれは幻術返しから……」
見れば、他の連中はみな池で潜ったり、魚を追いかけたりしていた。
そこには大きな池があった。岸辺を日干し煉瓦で固めた、青い水をたっぷりたたえた大きな円い池。
木陰を落とす椰子が生え、簡単な食事をつくれる白漆喰の草葺き小屋もある。
肝心の水は透明度といい、水温といい文句がない。
底の石が宝石のようにきらめいている。
湧き水に踊る砂がひとつ、ふたつ、三つ、四つとあり、水は新鮮だ。
早速、サボテン酒蒸留所をつくろうとした連中を追い払い、来栖ミツルはホテル・ミツルフォルニアをメスカーロ唯一のリゾートホテルにせんとあれこれ考えている。
はぁ。
トキマルはため息をつく。
確かに幻術返しを食らったなかで、どんな池をつくるか自在に決めるための力を与えられた。
トキマルは湧き水の数、水草、魚、海老蟹、海の家の淡水版、池の形(ひょうたん型、真四角、中折れ帽型)を設定していったのだが、来栖ミツルは頻繁に邪魔をしてきた。
この素晴らしい池に死体をトランクに積んだクライスラーを沈めたり、麻薬カルテルの密輸ボートを浮かべたり(ただし麻薬は本物ではなく片栗粉だった)、セメントの靴を履いたボー・ワインバーグを沈めたりしようとしたのだ。
死体をひとつ消去すると、ふたつになって返ってくるこの妨害はなかなかハードで、幻術返しに頼らず、三日三晩、術を使って死ぬほうが楽に思えた。
実際、幻術返しのなかで戦いは三日三晩に及んだ。
最終的に勝ちはトキマルの手に。来栖ミツルは「お前は池メンだ」と肩を叩こうとしたところで、幻術返しが消え、それから本物の来栖ミツルの手がトキマルの肩を叩いた。
「ベンジャミン・〈バグジー〉・シーゲルはネバタの砂漠のど真ん中に冷房完備のリゾート・カジノ・ホテルをつくった。そこまではいけないが、まあ悪さする拠点にプールがあるというのは実にいい。まあ、ともあれ、これで矢文野郎を探すのにうんざりしたら飛び込める淡水プールがある。これが大事だよ。大事」




