第二十四話 ラケッティア、恩知らず的マラトンの戦い。
わたくし来栖ミツル、体力には自信がありませんことよ。
だから、何をどう走っているのか。分からなかったし、そのうち追跡隊にヨシュアとリサークが加わったことに気づいたのも分からなかった(後で知ったが、ロベルティナはおれを見つけたら、狼煙をあげて知らせることをふたりに約束していたらしい)。
とにかくおれはJRのスタンプラリーのポスターに描かれるわんぱくなちびっ子みたいに元気を出さないといけない。
これからおれのケツの純潔が守られるかどうかはガッツとパワーにかかっている。
きびきび走れ。
端的に言うと、ロベルティナは腐女子の男性版であり、自分がどうこうするのではなく、お似合いのカップルを観察するのが過呼吸になるほど好きという、ある意味ヨシュアとリサークよりもヤバいやつだ――『ボクはきみに懸想をかけたりしないよ。とんでもない。だって、三人はとてもお似合いだからさ。ハアハアハア。来栖くんがフリル付きのエプロン姿でスフィンチョーネをつくって、ふたりの喧嘩のあいだに入って、なんだかんだでほっこりからの大人な展開へと転がり込む。そういう話が書けたんだけど、読んでくれるかい? ハアハアハア』
だから、そもそもマリスはボクっ子枠でかぶっていないのだ。
それを説明しようとしたが、アーアーきこえなーいされていたので、誤解が解けず、この有様。
ロベルティナのなかでは他にもアレサンドロとトキマルのペアも素晴らしいらしい。
このふたりには共通点はないのだが、そこはヤバい人一流の好みというものがある。
自分が巻き込まれていなければ、ゲラゲラ笑って腹を抱えていたが、自分が巻き込まれていると本当にシャレにならんのですよ。
ヨシュアとリサークは暗殺系の剣士なわけだから、素早さがある。ムキムキマッチョビキニアーマー系女戦士よりは素早かろう。
ただ、あいつらは一緒に走っておれを追うときはお互いの足を引っかけ合って、陥れようとするから、その俊足は大いに削られる。
そして、その後ろにはこのドタバタ喜劇を微笑ましく追っているロベルティナがいる。
男同士のくっつき合いを微笑ましく見守る性癖に何ていう名前がつけられているのか知らないが、とにかく今のおれは田舎に帰ったわんぱく小僧がカブトムシを捕まえに裏山に行くみたいなポジティブ・スタミナを体にみなぎらせ、ヘラクレスオオカブトが捕まるかもしれないという希望を心に宿らせ、『モブスターズ』のオープニングみたいにめちゃくちゃに走るしかない。
樽だらけの路地、居酒屋の並ぶ泥道、馬車が行き交う割と広めの通りはロデリク・デ・レオン街だろうか。
おれはいつまで逃げなきゃいかんのだ?
フルマラソンだって42.195キロ走れば終わるのに、このマラソンは終わりが見えん。
体育の授業を思い出す。
マラソンの語源が古代ギリシャの兵士がマラトンの戦いに勝利したことを、アテネまで走って走って走りまくり、その兵士は「おれたちの勝ちだ」と叫んだのちに死んでしまった故事を取り上げて、マラソンの愚かさを体育の長谷川に解こうとした。
つまり、マラソンとは走者が死ぬことが前提の、スポーツの皮をかぶった処刑に他ならず、マラソンを未成年者にさせることはアムネスティ・インターナショナルがスリッパ片手に助走つけて殴りにくる極悪非道の人権侵害であり、ついでに死ぬまで走ったのに競技名はその兵士の名のかわりに戦場の名前をつけるというのもまたこの愚行のくたびれ損を意味している。我々は故事に学ぶべきだと長谷川に言ったのだ。
「先生、ランボルギーニ・カウンタックやスペースシャトルみたいに移動手段がより取り見取りの文明社会において、走るなんて馬鹿げてますよ」
「そうか。だがな、来栖。お前、ここから半径百キロメートル以内にランボルギーニ・カウンタックやスペースシャトルがあると思うか?」
「それはないかもしれないっすけど、でも、可能性を捨てては教育の発展が阻害されますよ」
「お前の言う通りだな、来栖。じゃあ、お前、ここから百キロ走って、ランボルギーニ・カウンタックやスペースシャトルがあるか確かめてこい」
長谷川は鬼畜だが、おれも悪かった。
こうして異世界で美形のホモふたりにケツを狙われると分かっていれば、ランボルギーニ・カウンタックもスペースシャトルも、ユニコーンやネッシーと一緒に〈絵空事空想コーナー〉に放り込み、マラソンを頑張っただろう。
それにしても、アサシンや忍者、それに怪盗状態のクリストフは何であんなにぴょんぴょん、ジャンプしたり走ったりできるんだろか。
鍛錬の賜物だボケと言われりゃ、それまでだけど。
ああ、精霊の女神さま。
ランボルギーニ・カウンタックやスペースシャトルなんて贅沢は言いません。
自転車、いや、スーパーのカートでもいいです。乗り物をボクにください。
「やあ! きみもボクっ子になるのかい!」
なんで分かったんだ!? おれの心の祈り!
「やだあ! おれはおれじゃ、頼むから追いかけないでーっ!」
ガシャン!
振り返ると、足を引っかけられたのだろう、ヨシュアが服屋の窓ガラスに突っ込んでいた。
よっしゃ!
追跡者がひとり減ったと思った、次の瞬間、窓からヨシュアが飛び出して――それも割れていないほうの窓から飛び出して、追跡を再開したのだが、その腕にはウェディングドレスをまとったマネキンを抱きかかえていた……。
絶望した人間をさらに絶望させる方法は希望のにおいをちょろっと嗅がせて口のなかにつばがたまったところで、また絶望を食らわせることだ。
それといま気づいたのだが、リサークも服を用意していたのだが、あれは間違いなく絶対領域のあるアサシンウェアだ……。
そのとき、ツィーヌとウェティアが果物屋で買い物しているのを見つけた。
助かった! 地獄に仏とはまさにこのことだが、アサシン娘と爆発エルフに自分を重ねたことに仏さまは怒るだろうか?
いや、そんな簡単にキレているようじゃ、仏はつとまらない。
「おーい、助け――」
すると、ふたりはおれのほうをちょっと見ただけで、びゅん!と姿を消した。
ええー。おれ、ふたりが怒るようなことしたかな。こないだふたりの椅子に仕掛けたぶーぶークッション、ジンパチに罪をなすりつけたけど、真犯人が分かったのだろうか?
ああ、自業自得。悪事の報いは必ず己が身に降りかかる。
ほら、八つ墓村とか。
(あとで分かったのだが、おれは自分でも分からなかったが、かなり速く走っていたらしい。何か風のようなものが吹いた後に、おれの声がきこえた気がしたが、気のせいだと思ったそうだ)
トロピカルな色に塗った銀行の並び。いまサンタ・カタリナ大通りを西へ走っている。
もう全身乳酸地獄。
体は悲鳴を上げていて、内臓と体の部分たちが会議している。
心臓はこれ以上いじめるなら止まるぞ!と脅している。
両足ももつれる寸前だ。
アッ、と通行人が叫ぶのがきこえると、おれはもんどりうって倒れて、冷たい石床にキッスした。
「タスケテーッ!」
犯られる! そう思った瞬間、赤いベレー帽の風が走った。
おれの神さま。ブッダさま。ランディ・バース。エルヴィス・プレスリー。リトル・ニッキー・レンジリー。
「これ以上来るなら、ボクが相手だ」
元祖ボクっ子の凛々しい声、銀取引所の中庭のど真ん中、第三次世界大戦が終わったみたいな紙吹雪が紙幣大暴落を知らせる歴史的瞬間。




