第二十三話 ラケッティア、ヤミ的の恐るべき種明かし。
闇マーケットでは毒薬や袖に隠せる短剣、爆薬を詰め込んだカボチャと一緒にカノーリや食用油、ハンカチが売られていた。
いまや取引のきわどさではカノーリのほうが上だった。
マスカルポーネ・チーズのカノーリが欲しかったら、この事務所の辻向かいにある禁書を扱っている本屋に行けばいい。
合言葉を言えば、本棚の裏の隠し扉を開けてくれる。
埃っぽい古書が積み上げられた廊下を歩き、大きな鉄の鍵を使って入った部屋にはその日の朝につくられたマスカルポーネ・チーズのカノーリがひとつひとつ、高価な冷却紙に包まれてテーブルや棚に並べてあるが、その陳列コンセプトは貴金属製品のそれである。
今現在、マスカルポーネ・チーズのカノーリの相場は銀貨四十枚。
日本円にして二万円。た、高すぎる。
にもかかわらず、売れ残りが出たことはないし、本屋のジジイはもっとカノーリを持ってきてくれと言っている。
材料費は多少高騰しているが、ロンドネはおろかセヴェリノの酪農家がどうぞうちの牛でマスカルポーネ・チーズを作ってくださいとやってくるので、こちらには少なくとも選択肢がある。
基本的に払いは貨幣でもらっている。
紙幣については個人的にコレクションしているレアなやつがあるなら、それでもいいが、ありふれた紙幣を受け取るつもりはない。
闇マーケットが現物現金払いをしているからこそ、銀取引所は気楽な紙幣投機に身を任せられる。
セディーリャ紙幣とスヴァリス紙幣の価値を裏づけているのは闇マーケットでの取引なのだ。
そんな紙幣流しているようでは国として終わっている。いや、終わってしまえばいいというセディーリャの意図が見える。
――†――†――†――
ところで、さっき紙幣をコレクションしていると言ったが、やはりセディーリャのすることは面白いし、その証を残らず集めたいという欲求も出てくる。
ネトゲの課金ソルジャーみたいなもので、いろいろ手元に集まると、満足感で脳みそがふわふわする。
最も出来のいい三色刷りセディーリャ紙幣からただS&Sとハンコを押されただけのボロ紙、株券みたいな正四角形の紙幣から丸く切られた紙幣、鳥獣戯画のカエルみたいな落書きがされたスヴァリス紙幣(スヴァリス本人のサインがある)。
一番高価なのは一見普通のセディーリャ紙幣だが、刻印がS&S&Mと打たれている。
マリスが一度だけ狂気につま先をちょっと浸したわけだ。
「……」
マリス、ちゃんとご飯食べているかなあ。
なかなかロベルティナのことを伝えれないでいるけど、誤解はすぐに解けるんだけど、アーアーきこえなーい、されるからなあ。
「……」
ペンを置いて、帳簿を鍵付きの戸棚にしまうと、一階のコーヒースツールへ降りる。
名称不明の木の根っこでコーヒーを淹れる冒涜は紙幣ブームの前からあったが、偽コーヒーの利鞘はデカいからその誘惑に抗うのは難しい。
しかし、スターバックスが存在しない数少ない国であるイタリアにおいて、コーヒーへのこだわりを捨ててはマフィアがすたる。
ジョン・ゴッティはポール・カステラーノの家のメイドがエスプレッソマシンを使えないことを愚痴っていたし、ポール・ヴァリオは溶岩みたいに熱くて、物凄く濃いコーヒーをが好きだった。
紅茶を飲むマフィアというのはきいたことがない。マフィアはコーヒーの一手なのだ。
ただ、ブラック原理主義者ではない。
狂ったように砂糖を入れまくるマフィアもいたという話だ。
さて、ここの二階を借りたのは一時的なものだが、それでも自分がケツを預けている床の下で見た目が似ているだけのコーヒーもどきがカップに注がれるのは地獄より辛い。
マーケットの石と木材のモザイク・アーケードをぶらぶら歩いていると、床下に隠しきれなかった生活必需品が店先にあふれている。
ビラミッド型に積み上げられた蕪、ナマズを入れた水瓶、電気蟹の瓶詰、酒場が床にばらまくおがくずの袋。
そして、あちこちに『紙幣お断り!!!!!!』の看板。
昨日見たよりも『!』の数が三つ増えている。
紙幣の焚火は想像以上に相場に影響している。
紙幣は燃えるがコインは燃えない。
そんな簡単なことを認識するだけで相場が動く。
元から流動性の高い相場だったけど、これが極まっているに違いない。
売り抜けするなら今だが、金融業者たちはそれができないだろうな。
なにせ、おれは紙幣市場のレートを見ながら、焼く紙幣を変えている。
このレート激変の波に乗れれば、大儲けができる。
だから、売り抜けができない。あわれなり。
ただ、闇マーケットの立役者であるおれが言えた話ではないが、現金は小銭しか持ち歩かず、大きな銭はゴブリン銀行の預金証明書で持ち歩いている。
これはいつでも金貨に変えられる。兌換紙幣ってやつだ。
これが流行すれば、ゴブリン憐みの令が出て、駆け出し勇者たちは経験値に困ることだろう。
〈フライング・パンケーキ・モンスター〉のほうへ寄ってみると、相変わらず玄関まわりには屋外カフェみたいになっていて、ターコイズブルー・パンケーキが振舞われている。
……これは危ない。実に危ない。
というのも、この騒動が起きて以来、パンケーキの値段は数十倍に跳ね上がったのにターコイズブルー・パンケーキの値段は据え置きのままだ。
どうやってアレサンドロがターコイズブルーの小麦粉を仕入れているのかは知らないし、知りたくもないが、とにかく食に困った連中、食に困ってないけどおやつに困った連中がここに集まり、ターコイズブルー・パンケーキを注文している。
これまでターコイズブルー・パンケーキとは無縁の人生を歩んできた連中までがこのブルーハワイみたいなヤバい食い物が布教されているのだ。
「パンケーキ仲間として当然のことをしたまでですよ」
アレサンドロは半年以内に全人類の破滅を惹き起こしかねない所業について嬉々として言った。
その事務室にはターコイズブルー・パンケーキを定価で売ったことに対する感謝状が飾られていて、なかには元祖〈清貧派〉の狂える司祭トマソ・メイマーから送られたものもある。
「でも、あの真っ青ホットケーキにはワイバーンの肉から取った色素があるって」
「凶暴な竜の亜族にも人類救済の機会を与えるべきです」
「おれはパンケーキ以外の方法で人類救済を試みてもいいと思うよ」
「たとえば、何で?」
「スロットマシンとか」
「ふふ。そうですね。でも、スロットマシンで当たりをとって、出てきたお金の使い道は? そう、ターコイズブルー・パンケーキです。ターコイズブルー・パンケーキはいつも定価の御奉仕価格。そう、奉仕なんです」
パンケーキを讃えよ、ハレルヤ!とか言い出さないうちに話題を変える。
「そういやトキマルとふたりでロベルティナに追いまわされたって?」
「ああ。そのことですか。彼の、なんというか、ちょっと独特の嗜好の犠牲にされそうになりました。ロムノスとフストも犠牲になりそうになったそうです。ディアナさんに特別なカードを作ってくれと頼みに行ったそうですが、彼女には断られたようです」
「ティアナが拒否ってくれて何より」
「こういっては何ですけど、あれはなかなか気持ちが悪いですね」
「おれとヨシュアとリサークについて、何て言ってるか知ってるか? 恋のトライアングルだってさ、ショーワ歌謡かよ」
「ショーワ? それはパンケーキ用の新しいトッピングですか?」
「そういう時代があったの。昔。デカい戦争とカラーテレビが普及したショーワ時代」
「からーてれび? なんだか牛乳の産地みたいな名前ですね」
「それはカレエ・テレビナ。カラーテレビは、色付きの劇が見られる箱」
「占星術師の水盤みたいなものですね」
「そうだな。絵に見とれて、水盤に顔を突っ込んで溺れ死ぬやつがいるが、それと同じようにカラーテレビに頭を突っ込んで、アタマ限定のバーベキューになっちまったやつがいたらしい」
「彼らに足りないのは何か分かりますか?」
「パンケーキでしょ」
「その通りです。現在、ターコイズブルー・パンケーキが物価狂乱に取り残された人びとの主食となりつつある以上、この世界にからーてれびなる物があらわれても、頭を突っ込んでバーベキューになる不幸な事故はないことでしょう」
「いっそ、ヨシュアとリサークと、それにロベルティナにも食わせればいい。それで記憶が飛んでるあいだに三人で3Pなりなんなりすりゃいいんだ。だいたい、パンケーキ食ってるやつらはターコイズブルー・パンケーキが魔族居住区の〈大当たり亭〉の主力メニューだって知ってるのかな」
「知っていても不都合はないでしょう」
「最強のゲテモノ店なのに。クレオが月に最低十五回仮死状態になってる」
そのとき、ドアが控えめにノックされ、近所に住む受付係の少女があらわれた。
控えめで抑制されたノックはよい知らせを持ってくるものだ。
「あ、支配人。お客さんが来ていたとは知りませんでした」
「おれには構わないでいいよ。まあ、おれにきかれるとヤバいことなら、アーアーきこえなーいするけど?」
「いえ、来栖さんもきかれたほうがいいと思います。いま、そこにロベルティナ・ペトリスさんが――」
このとき、どうやってアレサンドロが(おれを残して)姿を消したのかは様々な危機が――そのなかにはセディーリャ紙幣がもたらした通貨危機も含まれる――去った二週間後まで不思議であり、いまもまた謎のままだ。
ひょっとしたら、ターコイズブルー・パンケーキ愛好家にだけ使える魔法があるのかもしれない。
「おやおや。アレサンドロと――」
流れる金髪はエルネストのものによく似ている。
だけど、彼女は女性だから違う?
いやいや。よい子のパンダのみんな。
観察力のご協力願います。
「や、やあ。ロベルティナ。今日はメロンは忘れたの?」
「ん? ああ、別にいいんだ。きみたちを見て、性別は別に大したことはないと気づいたんだ」
ご紹介しよう。
彼はロベルト・〈ロベルティナ〉・ペトリス。
ロン毛のイケメンだ。




