第十一話 ラケッティア、革命的バリケード。
通りを塞ぐバリケードはそこに住んでいる人間によって造りの度合いが違ってくる。
石工や大工が住んでいる通りだと、そりゃあもう立派なもんで、道にはめられた石を剥がして、高さ五メートル以上の、城壁といってもいい代物が出来上がる。
白ワイン通りから横に入る路地には、完成度が芸術的段階まで引き上げられた見事なバリケードが出来上がっていた。
高さ五メートル、敵に腐った野菜を投げるときに重宝な銃眼が刻まれ、気が早いもので捕虜の死体を吊るすための出っ張りまでつくってある。
おれが出かけたときはこんなものなかったんだけどなあ。
バリケードはものの見事に市民生活の血栓となって、その石の防壁のふもとには家に帰れなくなった同志市民がぎゃあぎゃあ文句を言っている。
「このやろー、こんな壁つくりやがって」
「入れろ、このやろー」
どうもきいた話ではリーロ通りや北河岸通りから入れる路地もこんなふうに塞がれているらしい。
つまり、〈ちびのニコラス〉がある区画は要塞になってしまったということだ。
「どうしたものかな」
同志市民と一緒に壁のそばまで寄って抗議の声をあげるのもいいが、それで腐った野菜や卵を投げつけられるのも面白くない。
まあ、うちの身内が事情を知れば、ウェティアとフェリスをすっころばせてそれでおしまいだし、ジャックあたりがおれを助けるために動いてくれたりするものだが、スヴァリスとセディーリャがパクられている以上、あまり時間はない。
でも、おれひとりで浄化裁判所に行けば、おれが浄化されてしまうかもしれない。
でも、ひょっとすると、浄化裁判所の浄化とは処刑とか熱帯の島への流罪じゃなくて、ちょっと軽い説教をして解放かもしれない。
だが、異端者呼ばわりされて、白い三角形の、晒す目的でつくられたへんてこな帽子をかぶされて、こいつは異端者ですのプラカードを手にサンタ・カタリナ大通りを端から端まで往復するのは面白くない。
「どうしたものかな」
で、このセリフに戻る。
この「どうしたものかな」循環は人間が落ちやすい消極的思考であり、これをぶち破るのは織田信長やラッキー・ルチアーノみたいな行動力と先見性が必要だ。
しかし、織田信長にもラッキー・ルチアーノにもなれないおれはたぶんこの循環をあと五十回くらい繰り返す。
まあ、よっぽどのことがない限り――、
「おれを通して、リサークを処刑しろ。ミツルが待ってる」
「わたしを通して、ヨシュアを処刑してください。ミツルくんが待っているんです」
「ミツルがお前なんか待つもんか」
「そっちこそお呼びではありませんよ。恥をかく前に帰ったらどうですか?」
「そのセリフ、そっくりそのまま返してやる」
……なんで、浄化裁判所はあいつらをパクらないんだろう?
ヨシュアとリサークは、神さまを呪いたくなるほどスタイルと顔のいい体をバリケードのふもとでぴょんぴょんさせて、革命と反抗の象徴であるバリケードに歯向かっている。
だが、考えてみると、ロンドネ国王の軍隊が革命を叩き潰すなら、カルヴェーレ街道からやってくるわけだし、そっちにバリケードなり鉄条網なりつくればいいじゃんか、という気もする。
さて、そんなわたしですが、いま全速力で匕首横丁を走っています。
名だたるラケッティアたるオイラがこんなふうに走る理由はふたつ。
ひとつ目はそこにリトル・ニッキー・レンジリーがいるから。
そりゃ、殺人会社を潰すときに検察に寝返ったとは言えども、やっぱりリトル・ニッキー・レンジリーなわけですよ。
さて、ふたつ目はゴールではなく、スタート地点からの問題。
つまるところ、ヨシュアとリサークに気づかれた。
スヴァリスとセディーリャのことを心配するのは、おれの貞操の危機を乗り越えてからでも遅くはない。
ペトリス親子の廃教会に逃げ込むと、側廊にこんもり積まれた干し草に頭から突っ込んで、世界が終わるその日までやり過ごそうと思ったが、すぐに足をつかまれ、引っぱり出された。
「タスケテーッ!」
ヨシュアはおれの左足をつかんでいて、いろいろな既成事実をつくるためにこれから一緒に川下りに行くんだから放せといい、リサークはこれから闇マーケットでふたりの愛の巣になる空き物件を探すんだから放したまえといい、おれの右足を引っぱっている。
こういうとき、大岡越前なら強く引っぱったほうにミツルをやろうといい、股が裂けると甲高い声をあげるおれをかわいそうに思って、手を緩めて放してしまったほうにおれをくれてやるわけだが、かたや既成事実、かたや愛の巣というパワーワードを発している以上、それはちっとも解決策になっていない。
「誰だい? 股が裂けるだの、愛の巣だの。ここは変態専門の売春宿じゃないよ、そりゃあ牛がたくさんいるけど、この子たちはそんな穢れた欲望を満たすためにいるんじゃなくて、――って、来栖くん? そっちのふたりは――また、名高い暗殺者たちだね」
「ロベルティナ! 助けて、おまたが裂ける」
どうやったか知らないけど、ロベルティナ・ペトリスはふたりにおれの足をつかむのをやめさせ、状態を初期化した。
「ふむ。ふたりは来栖くんを愛していて、どちらがふさわしいかを競い合ってると」
「おれはそのケはない」
「本人はああ言ってるけど?」
「本物の愛を知れば、変わる」
「変わりたくねー……そういえば、ロベルティナ。マリス、見なかった?」
「さあ。見ていないね。どうして?」
「〈ちびのニコラス〉に入れないんだよ。馬鹿どもがチキチキ封鎖合戦に夢中になってバリケードで街路を行き止まりだらけにしてるんだ。ところがこっちはトンチキふたりがパクられたってきいて、浄化裁判所に行かないといけないんだよ。でも、浄化裁判所ってどう考えても、おれがひとりで行ったら、じゅわあっと浄化されちゃうでしょ? そこでクルス・ファミリーの切り込み番長なマリスに一緒に来てもらおうと思ったんだけど」
「水くさいぞ、ミツル。おれが一緒に行く」
「わたしももちろん行きますよ」
「だから、マリスを連れていきたいんだよ」
「そういうことか。ボクにマリスの代役が務まるとは思えないけど、この拙い剣術でよければ、同行しよう」
「ホント? いやったあ! よっ、男前!」
チンパンジーのおもちゃみたいに手を打ち鳴らして喜ぶおれだが、このロベルティナの正体を、このときのおれはまだ知らない……。




