第九話 アサシン、革命的浄化機能。
廃教会を出て、匕首横丁を下り、レリャ=レイエス商会を通り過ぎていくと、かつての民衆劇場が見えてくる。
下品でお下劣なナンセンス劇をかけまくった劇場で、〈清貧派〉が天下を取ると、速攻で占領されてしまった。
現在は浄化裁判所という名の施設になっている。
ここに来る途中、身なりのいい男が両手のピストルをぶっ放しながら、全ての人間から逃れようとしていたけど、そのとき、暴徒たちが「浄化してやる!」って叫んでいた。
まあ、そういうことなのだろう。
浄化裁判所では不浄の人間――貴族、商人、常習的犯罪者――を起訴すべく働いている。
窓に鉄格子がかかった劇場の表では反革命者がドルニエ風の柱にしがみついていて、民兵たちがそれを柱から引っぺがそうとしていた。
その反革命者はお世辞にもお金を持ってそうに見えなかったし、貴族の称号を持っているようにも見えなかった。
帽子もなく、ジャケットの黄ばんだ糸くずは両袖がはるか太古の昔にちぎり取られた証を立てている。だいたい穴の開いたズボンから豆がぽろぽろ落ちてるやつの名字が、デ・××とかラ・××だったなんて話はきいたことがないし、殺したこともない。
まあ、でも好奇心はある。
僕は斧槍をもった民兵伍長にきいてみた。
「あの人、何をしたの?」
「さあな。でも、何かしでかしたんだろ。ああやって柱にしがみつくのがその証拠だ」
「それって連れていかれそうだからしがみついてるだけじゃない?」
「まあ、鶏が先か卵が先かってことになるな。でも、それがなんだってんだ。見ろよ。まわりには見物人が集まってる。そして、みんながあいつを反革命と言ってるんだ。いいか? おれたちは人民主義なんだ。だから、みんなが望むように反革命をぶっ殺すんだ。それにたとえ、やつが反革命じゃなかったとしても、ズボンの穴から豆をこぼして歩く男なんて生きてても大したことはしない」
「そうだね。殺しても文句は出ないよ」
「そうそう。世のなかの仕組みってやつだよ。坊主。上を見てみな」
そう言って上を見たら、ナイフで刺してくるかもしれないと思って、ちょっと体をそらしながら、天を仰げば、そこには『今日の密告が素晴らしき明日をつくる』の横断幕がビラビラバッタンバッタンと風にはためいていた。
「これを考えた人はなかなかユーモアがある」
「そうだな」
「これはおじさんが考えたの?」
「いや。これはミザリオってやつが考えたんだ」
「その人は今は何してるの?」
こんな目立つ場所に飾られる言葉を考えたのだから、全権広報大臣にでもされてるのだろう。
伍長はどうだったか思い出せないといい、黒い鶏をぶら下げた老人を呼び止めた。
「ミザリオはいま、何をしてるんだ?」
「反革命の罪でノヴァ・オルディアーレスにいるよ」
「へえ。誰がサしたんだ?」
「コルモロー」
「じゃあ、あいつがいまの思想担当か」
「いや、あいつもいまノヴァ・オルディアーレスにいるよ」
「じゃあ、誰が思想担当なんだ?」
老人は肩をすくめて行ってしまった。
「やれやれ。革命も楽じゃないぜ」
――†――†――†――
部屋の隅で揚げられるこってりしたフライと白粘土のパイプが吐き出す煙のにおい。
玄関の大部屋では反革命犯の密告情報を持ち寄った告訴者たちがうじゃうじゃしていて、偉大な革命を守るためというけど、実際はケチな取引でしくじったり、騒音がうるさくて眠れなかったりした連中の意趣返しに過ぎない。
清貧神権政治ではあっても、所詮はカラヴァルヴァ人。
やることは悪徳。
これなら、カノーリを無料で配るボクらはもっと表彰されるべきなんじゃないかな。
あちこちの大人たちの密告をきいてまわって手帳に書きつける、嫌な顔色に嫌な汗をかいている、ちょっとぶよぶよした男を呼び止めると、ボクは正しいことをするべく勇気を奮い起こした。
「ねえ。ちょっと。そこのハンサムさん」
「何か用か?」
「反革命者を密告しに来たんだ」
「名前は?」
「ロベルティナ・ペトリス」
「冗談だろ? ヴェナンシオ・ペトリスの娘じゃねえか」
「でも、反革命なんだ」
「あのな、昨日、どっかのバカがカサンドラ・バインテミリャをチクったやつがいたんだ。それを真に受けたバカが召喚状をつくって、カサンドラ・バインテミリャに渡しにいったんだ。それっきりそいつは行方不明だ。この仕事は一日で大銀貨三枚になるんだ。おれはこの仕事を失いたくないが、命はもっと失いたくない。だから、ほら、行った行った」
行った行ったと追い出されると、青いふにゃけた帽子をかぶった怒れる暴徒の群れにうっかり入ってしまった。
青い安物の帽子軍団において、ボクは唯一の赤いベレー帽をかぶった反抗の徒。
誰かボクを密告しに行くかと思ったけど、誰も密告はしない。
というのも、彼らは裁判が見たかったからだ。
裁判は劇場の舞台で行われていた。
土間席も桟敷席もみな埋まっていて、舞台の上に座る三人の浄化裁判官が不浄の反革命者を片っ端から極刑に処していた。
考えてみると、民衆劇場は革命前も登場人物が死にまくるコロシ劇をやっていた。
それが本物の殺しになっただけで、娯楽としての劇場の機能は損なわれていないわけだ。
ボクが入ったのは舞台から見て、右側の桟敷席の三階だ。
棒を一本横に渡しただけの欄干があって、隣のボックスとの仕切りは薄い板か重い布。
だから、隣で子づくりに励んだりすると、エッチな声が全部きこえてくる。
ボクと一緒にいるのは、遊び人風の優男、その男に胸を好きにまさぐらせる娼婦、酔っ払いのルフェイル人、民兵隊長の腕章をつけた主婦と秘密警察の腕章をつけた五人のわんぱく小僧たち。
さて、被告席のあたりは土間席の連中の煙草の煙でよく見えないが、そのなかから民兵が三人ずつ反革命者を引きずり出す。
正直、ボクと同室の傍聴人と大差がない連中だ。
最近、ボク、〈清貧派〉くんのことが分からない。
「やっちまえ! やっちまえ!」
ルフェイル人が叫ぶ。
色男と娼婦は子づくり一歩手前。
民兵隊長と五人の秘密警察は小さなコンロを持ち込んで肉を焼き始めていた。
賭博。賭博。過度の飲酒。賭博。麻薬。強盗。過度の飲酒。
これ全てが政治犯扱い。どう考えてもただの刑事事件にしか見えないんだけどなあ。
一度、部屋の外に出て、コーヒースタンドから甘くしたコーヒーを買って、桟敷に戻ると、ルフェイル人が口から酒臭い息をばら撒きながら、次は本物の政治犯だ!とわくわくしている。
そこで目を凝らすも、被告たちの待機席は相変わらず、煙草とフライの煙で見えない。
矛をもった民兵がその靄のなかに突撃し、三人の被告を引っぱり出した。
ひとりは貴族の少女。なんか、ぽわんぽわんしていて、地に足がついていないような。
ブッ!
思わずコーヒーを吹いた。
残りふたりの被告――ウェーブした豊かな白髪と禿げ頭のカツラにカツラをのせた頭――スヴァリスとセディーリャだ!




