第七話 ラケッティア、一を話せば革命的に十を知る少女。
「ねえ。マスター。男ってみんなバカなのかい?」
「おや、マリス。世界の真実をズバリ突く質問だな」
「昨日のお風呂のこと、みんなきこえてたから」
「昨日のお風呂? おれ、昨日、風呂入ったっけ?」
「ああ、記憶が飛んでるならいいんだ」
「記憶? 飛ぶ? 誰のが?」
「マスターの」
「いやいやいや、テキーラ二十ショット連続した翌日の晴幸叔父さんじゃないんだから、そんなに簡単に記憶は飛ばないよ」
「まあ、それなら一応言っておくね。マスターがしてくれたことにみんなは好意を感じてる。その生贄精神というか自己犠牲というか。まあ、三時間かそこらの記憶と引き換えに得られるものとしてはとてもいい感情をボクらは抱いたから」
「なんか、マリス、変なこと言うなあ」
――†――†――†――
「で、カノーリ配給をみんなに任せて、ボクらはどこに行くの? デート?」
「匕首横丁の廃教会に行くんだけど、これって場所的にデートにカウント……うん、できないよね、バカ言ってすみません」
ところでレリャ=レイエス商会は酪農に結構強い影響力を持っている。
カノーリのクリームづくりで連携しようということになり、この『カノーリがなければ闇カノーリを食べればいいのよ計画』に参加してもらっている。
匕首横丁の行き止まりにある廃教会は側廊や聖具室に干し草が詰め込まれるだけ詰めてあって、飴色の乳牛たちが黄金色の草の壁に頭を突っ込んで、もぐもぐ反芻している。
教会にこもる牛糞のにおい。壊れた箱馬車が一台――そのなかで事務員が赤字をペン先に引っかけて、帳簿に綴っていた。
割れたステンドグラスが三枚ハマった窓の下、精霊の女神の祭壇にはヴェナンシオ・ペトリスがいた。
黒のジョヴァンニからボスの座を得て、まだ一週間と経っていないし、その一週間だって神権政治の独裁聖職者から始まり、同盟相手がカノーリをタダで配るから協力してくれと頭いかれたこと言ってくるという波乱に満ちた一週間なのだが、ドン・ヴェナンシオは何も文句を言わず、疑問も呈さずにいてくれる。
黒のジョヴァンニから生前、何かあったら、クルスを頼れ、と言われてきたらしい。
ドン・ヴェナンシオは黒のジョヴァンニの粛清に最後まで反対していた。
ふたりの仲はガキんちょのころからで、黒のジョヴァンニを兄貴兄貴と慕っていた。
そんな黒のジョヴァンニの粛清が全ファミリーで決まったとき、ドン・ヴェナンシオはぐしぐしと大いに泣いた。
感動しやすい性格で感情が高ぶれば大きな粒の涙を流し、慕った人間はとことん慕う。
だからといって、泣き虫呼ばわりするのはやめておいたほうがいい。
おれがここに来るよりも七年か八年以上前、まだモデスト・レリャ=レイエスが健在で黒のジョヴァンニもドン・ヴェナンシオも一介の幹部だったころ、モデスト・レリャ=レイエスと黒のジョヴァンニがある詐欺師と仕事をした。確か海老の鞘取りか何かをめぐる貿易絡みのペテンだった。
それが治安裁判所にバレて、まず詐欺師が捕まった。
詐欺師はムショに入れられるのが嫌で、モデスト・レリャ=レイエスと黒のジョヴァンニを売った。
このまま詐欺師が証言すれば、ふたりの懲役は七年になる。
それをきいたヴェナンシオ・ペトリスは激怒して、詐欺師を探しだした。
治安裁判所が何を考えていたのか知らないが、詐欺師は釈放されていた。
一応、四人の警護をつけていたらしいが、ヴェナンシオ・ペトリスが鉛の水道管を片手に馬車から降りてきて、詐欺師の頭に三十五回振り下ろしていたとき、なぜか四人とも靴紐を結んでかがんでいたので何も見ていないと言い張った。
一体、どんな靴を履いているんだ、お前らは、と治安判事がたずねると、警護兵は靴紐のないブーツを履いていた。
「靴紐を探すのに手間取ったんです」
慕った人間はとことん信じるが、裏切り者に対する罰は苛烈を極める。
それがヴェナンシオ・ペトリスなのだ。
「やあ、来栖ミツル! この通り、牛どもは一日じゅう、搾取されているよ。だが、あんたの言うことだからなあ」
豪快に笑う。
中背だが、がっしりとした体格。細いが角ばった鼻。ボリュームのある髪と顎ヒゲは黒いのに、口ひげだけ白い。
「ジョヴァンニが言っていた。自分に何かあったら、まずクルスを頼れって。あんたには礼を言わないといけない。よく殺ってくれた。あんたも殺りたくなかったのは知っている。それでもあんたは兄貴に最高の敬意を表してくれた。本当に、あんたはよく殺ってくれたよ」
ぐずっ、と涙ぐむ。
おれの経験上、感情の起伏が激しい犯罪者は要注意だ。
「もう過ぎたことですから。ドン・ヴェナンシオ。それよりも随分といい牛をそろえたんすね」
「うん。まあ、かなりの牛だよ。そこの黒いのはサマンヴァル種の特にいいやつで、〈侯爵〉で一頭金貨百枚もしたんだ」
ドン・ヴェナンシオが大切にしているものが三つある。
ひとつは今は亡き黒のジョヴァンニ。
そして、酪農だ。
レリャ=レイエス商会が酪農に強いのはひとえにこのドン・ヴェナンシオのおかげだ。
郊外にデカい牧場を持っていて、そこには一頭何百万円クラスの牛が何頭もいる。
ドン・ヴェナンシオの機嫌を取るのは簡単だ。〈皇帝〉はどうしてる?ってきけばいい。
「〈皇帝〉はどうしてます?」
「元気にやっている。あのチーズは、まったく神のチーズだ。惚れ惚れする。毎日、〈皇帝〉の乳でチーズをつくらせてくれと言ってくるチーズ職人が後を絶たない。なかには国王の食べるチーズを専門でつくる職人もいる。だが、そんなのは関係ない。要は腕だ。最高のチーズは最高の職人につくらせる。このあいだ送ったチーズはどうだった?」
「あれを食べたら他のチーズが食べられない」
これはお世辞抜きだ。それだけのチーズだった。
みんなに行き渡る分だけあったが、最後のひとつは殺し合い一歩手前までいった罪なチーズだ。
〈皇帝〉は子牛の時点で金貨四百枚した。1200万円だ。
そんな高値じゃ元は取れないが、ドン・ヴェナンシオは元を取るために〈皇帝〉を買ったわけではない。
愛のために買ったのだ。
もし、〈皇帝〉のチーズが食いかけで地面に転がっているのを見られたら、どうなることやら。
さて、そんなヴェナンシオ・ペトリスだから、着ているものはもさもさしている。
粗い仕上げの低級ラシャの外套と胴があっという間に白い傷だらけになる長靴、クラヴァットはバランスが悪い。
酪農以外のことにあまり興味がないのだ。
そんなドン・ヴェナンシオの三つ目に大切なものが、
「父さん。ここにいたの? ん、やあ、来栖くん。こんにちは」
ロベルティナ・ペトリス。
ドン・ヴェナンシオのひとり娘。
そして、カノーリをタダで配ると宣言したとき、「ああ」と納得いった顔をした三人目の人類である。




