第四話 ラケッティア、革命的男湯。
〈ちびのニコラス〉はクルス・ファミリーの本部的な扱いだが、普通に宿屋として経営しても十分イケると思う。
一階には〈モビィ・ディック〉があるし、部屋はいつも布団を乾かして湿気を追い出し、照明は一個金貨十五枚のエーテルランプ。水は泉から引いているから、それぞれの部屋に流しっぱなしの洗面台がある。
地下には地脈の流れを変えまくってつくった温泉大浴場。
風呂なしボットン便所が当たり前のこの世界を基準に考えれば、〈ちびのニコラス〉はウォルドルフ・アストリアみたいなもんだ。
ただひとつ後悔があるとすれば、風呂は男女分けてつくらず、混浴にすればよかったなあ。
カポーンと桶の音。
大きな浴槽があって、お湯が流れっぱなしになった洗い場が八つある。
温泉は有り余っているのだ。
【クリストフ】「もー、カノーリは見たくない。カノーリって言葉もききたくない」
【トキマル】「ちょっと。カノーリって言わないでくれる」
【ジンパチ】「トキ兄ぃだってカノーリって言ってる」
【フスト】「お前ら、カノーリって言うな」
【インターホン】「おい、お前らやめろ。カって言えばいいだろ」
【カルデロン】「それじゃカテドラルのカッちゃんと見分けがつかないが」
【イスラント】「あんなやつらカッちゃんに轢き潰させればよかったんだ」
【おれ】「潜在的購買層を轢死体にするのは待ったがかかる」
【ジャック】「オーナー、前から不思議に思っていたのだが」
【おれ】「ん?」
【ジャック】「この不思議な材質の桶はなんなんだ? 黄色くて、軽くて、少し艶があって、赤い文字が底に書いてある。なんと書いてあるんだ?」
【おれ】「ケロリンと書いてある」
【スヴァリス】「合唱団の可能性を感じさせる桶だ」
【おれ】「これは世界観無視を承知でフレイにつくらせたプラスチック製のケロリン桶だ。大浴場と言ったらこれだ」
【シップ】「ケロリンってどういう意味なんですか?」
【おれ】「薬屋」
【トキマル】「頭領はクスリに手を出さないと思ってた」
【おれ】「失敬な。ケロリンはちゃんとした薬屋だ」
【セディーリャ】「当てて見せよう。マスコットはカエルだね」
【おれ】「そうかもしれない」
【スヴァリス】「それはとてもよい喉をもっている」
【おれ】「そこまでは分からんちん」
【フスト】「ジンパチ、賭けをしよう。水に濡れても大丈夫なトランプを買ってきた」
【ジンパチ】「フストの旦那じゃ勝負にならないからなあ」
【フスト】「そっちが好きな勝負でいいぜ」
【ジンパチ】「じゃあ、神経衰弱で」
【ギル・ロー】「面白そうだな。おれも混ぜろ」
【イスラント】「来栖ミツル。あっちの風呂はなんだ?」
【おれ】「電気風呂」
【ジャック】「新しくつくった風呂だな」
【おれ】「そうなんだよ」
【イスラント】「よし。おれが入ってみる」
【ジャック】「気をつけろ、イース」
【イスラント】「ふん。ただの風呂だろうが――く、来るな、ヨハネ! 意思と関係なく体が跳ねる。これは罠だ!」
【ジャック】「イース! オーナー、イースが!」
【おれ】「〈インターホン〉。回収頼む」
【インターホン】「うっす」
【イスラント】「し、死ぬかと思った」
【クレオ】「ククク、面白そうなお風呂だ」
【エルネスト】「僕も興味がある」
【セディーリャ】「僕も」
【クレオ】「(ざぶん)なるほど、興味深い。ショットガンの弾に応用できないかな」
【エルネスト】「(ざぶん)このくすぐったさ。文書偽造に応用できないかな」
【セディーリャ】「(ざぶん)ふむ。マンドラゴラバブルを思いついた瞬間の感覚に似ている」
【おれ】「まじで? クール」
【クリストフ】「どーなってんのー♪、電気風呂ー♪」
【トキマル】「ちょっと、この人、唄い出したんですけど」
【おれ】「風呂と言ったら、唄だろ」
【トキマル】「どーでも」
【おれ】「セクハラ屋形船 ちんくらべー♪ 机にちんこを並べてるー♪」
【クリストフ】「故買屋なんて泥棒だー♪ 盗んだものを二束三文ー♪」
【おれ】「松竹梅の下はなにー♪ ドクダミミントぺんぺん草ー♪」
【グラム】「おい、〈インターホン〉。無性にポリを殴りたくなった」
【インターホン】「汚れたポリはみんな追放されただろ?」
【グラム】「そう言えばそうだった」
【おれ】「ドイツメタルはメチャ怖いー♪ キルとかヘルとか叫んでるー♪」
【セディーリャ】「さっき来栖くんの歌に出ていたちんくらべをしてみないか?」
【カルデロン】「わたしはパスだ。年寄りをいじめると地獄に落ちるぞ」」
【おれ】「ぅおう、おうおうおう、ちんくらべー♪ ち・ん・く・ら・べー♪」
【クリストフ】「おれはかっぱらいマーン♪」
【おれ】「フィンランドメタルはメチャヤバいー♪ 福祉とかサウナとか叫んでるー♪」
【ギル・ロー】「おれ、サウナに逃げるから」
【イスラント】「おれもそっちに逃げる」
【ジャック】「お前も? 大丈夫なのか?」
【イスラント】「何が?」
【トキマル】「溶けるんじゃない?」
【イスラント】「氷魔法使うからといって猫舌になるわけじゃない」
【ギル・ロー】「おい、この神経衰弱、めちゃくちゃ難しいぞ!」
【フスト】「お前らの記憶力が悪いだけだ」
【ジンパチ】「んなこと言ったってよー。水に浮いてるから覚えても覚えても動いちまうんだ」
【フスト】「おれも覚えてるわけじゃないんだ。実は。だが、おれには勝負師としての天性のカンがあるんだなあ。参っちまうぜ
【ギル・ロー】「おい、ジンパチ。お前、何か賭けたか?」
【ジンパチ】「あ、忘れてた」
【シップ】「あのー、マスター」
【おれ】「あぉあぉあぉ。THE・ち・ん・く・ら・べエエエエェ♪」
【シップ】「あのっ!」
【おれ】「ん? おお、シップ! 三十七ミリ多目的突撃砲がお湯に浸かってるけど大丈夫?」
【シップ】「はい。それよりもおききしたいことがあるんです」
【おれ】「いいよ。なんでもきいてよ」
【シップ】「ロムノスさんとアレサンドロさんはどこに行ったんですか?」
【おれ】「ああ。ロムノスは〈ハンギング・ガーデン〉を離れないって連絡があった。〈清貧派〉からすれば、魔族の住処に立つカジノなんて殺してくださいって言ってるようなもんだから。で、アレサンドロだけど、やつなら追放された」
【シップ】「つ、追放!? ファミリーからですか?」
【おれ】「それも悪くないが、追放したのは〈清貧派〉だ」
【シップ】「どうして、そんな」
【トキマル】「パンケーキ・カルトだから」
【おれ】「盗みは禁じないくせにパンケーキには厳しい」
【エルネスト】「意味が分からないよね」
【カルデロン】「神権政治など、どこもそんなものだ。まずパンケーキを禁じる。だが、いいじゃないか。わたしはパンケーキが特別好きなわけじゃない。次はポルカが禁じられる。だが、いいじゃないか。わたしはポルカが特別好きなわけじゃない。次は真珠が禁じられる。だが、いいじゃないか。わたしは真珠が特別好きなわけじゃない。こうしていろいろなものが禁じられ、そして、年寄りであることが禁じられる。すると、追放されるわたしを見ながら、他のものたちはこう言うのだ。『だが、いいじゃないか。おれたちは特別年寄りが好きなわけじゃない』」
【おれ】「ラケッティアはいつ禁止されるかな?」
【カルデロン】「既に禁じられているから平気だろう」
【クレオ】「唐突だけど、あのケロリンは人の重みに耐えられるかい」
【おれ】「ホントに唐突だな。だが、何を考えているか分かるぞ」
【クレオ】「へえ」
【おれ】「まず、あのピラミッドをピラミッドみたいに積み重ねる」
【クレオ】「うん」
【おれ】「そして、そこに上り、あの天井の隙間から女子風呂を覗く」
【クレオ】「その通りさ。ククク」
【おれ】「動機は?」
【クレオ】「僕のゲテモノ趣味は知っているだろう?」
【おれ】「やめたほうがいいぞ」
一応、止めた。
クレオはケロリンでピラミッドをつくり、その上に登って、天井の隙間から女子風呂を覗き込み、二秒も経たないうちにケロリン洗面器が飛んできて、クレオの体は頭から電気風呂に突っ込んだ。
「誰がゲテモノだ!」
「殺すぞ!」
女子風呂から叫び声がきこえてくる。
風呂を覗くというスケベ行為よりもゲテモノと言われたことに怒っているのだ。
「ゲテモノって言われた」
「わたしたち、そんなに魅力ないかな」
分かってる。
こういうとき、男としてしなければならないこと。
彼女たちの自信を修復する必要があることを。
【ジャック】「よすんだ、オーナー!」
【シップ】「やめてください! 死んじゃいますよ!」
【カルデロン】「止めてはいけない。誰かがしなきゃいけないことなのだ」
おれはケロリンピラミッドに登り、女子風呂へと顔を向ける。
そして、叫ぶ。
「桃源郷だあ!」
「きゃー、マスターのエッチ!」
黄色い桶が飛んでくる。世界がさかさまになって、そこからは覚えていない。




