第二話 ラケッティア、革命的大聖堂のスケッチ。
大聖堂の前庭は普段はカネで人を殺す剣士たちが集まっている。
オレンジの樹の下で誰それの命が取引される場所だ。
剣士たちはきれいさっぱりいなくなっていたが、それ以外の人間、スリや娼婦はまだいるようだ。
娼婦たちは〈清貧派〉のシンボルカラーである青いリボンを頭に結んで、自分たちは不幸な〈神の娘たち〉と称している。
人身売買委員会なるものが庭の石畳にテントを張り、カネで体を売らざるを得なかった女たちを救うべきだと代言人と詩人と兵士が騒いでいた。
どう救うかというと、娼婦の基本賃金の設定である。
娼婦制度を廃止せず、公娼制度にするわけだが、これは後でギロチン祭りを引き起こしそうだ。
その反対側の庭では『神の下にみな平等』と書かれた虹色の旗が立ててあり、物乞いたちが景気よく酒樽を開けていた
〈清貧派〉は確かに俗世の救済を叫んではいるが、聖職者から始まった以上、そこには精神的な自由に関する形而上学の問題がある。それがいくつかのプロセスを経て、真昼間から自分のものではない酒樽を叩き割り、浴びるように酒を飲む自由へと移行する。
実に興味深い神学の問題だが、おれたちの案内役である小太りの聖職者が早く来いとせっつくので、仕方なく興味深い神学問題を放り捨てて、大聖堂に入る。
最初に出迎えたのは二門の大砲だ。
青銅製でどちらも斜め前を向いていて、おれがいるところで弾道が交差するようになっている。
大砲のすぐ隣にずっしりとしたテーブルがあり、灰色の外套を着た灰色の髪の男が何か書きつけている。
そのそばには砲兵隊長がいて、大きな赤い顎ヒゲを手で梳きながら、あくびをしていた。
「少佐。これでリストはいいだろうか」
灰色の事務員が砲兵隊長に何かの書きつけを見せる。
「冗談じゃないぞ。マロゾ。大砲を素人同然のチンピラに任せるなんて。大砲は専門技術が必要なんだ。ちゃんとした教育を受けたやつじゃないと意味がない。どうして砲兵たちを追放したんだ」
「民衆は砲兵が高給取りであると非難していた」
「それは当たり前だ。専門技術にカネを払うのは何も変なことじゃない」
「だが、民衆はそういう意見を持っていて、説教師会議もそれを認めた」
「それで大砲が使えなくなるのはいいのか? 馬鹿馬鹿しい」
「じゃあ、少佐。きみは説教師会議の決定に逆らうのか?」
そう言われると砲兵隊長はバツが悪そうに、
「いや、そんなことは言っていない。ただ、きちんとした砲兵がいないと、この大砲を〈清貧派〉革命のために使えないってことを言いたいんだ」
「なら、少佐。きみは新兵たちをしっかり教育することだ」
大柄の砲兵隊長は忌々し気な顔をして、地面に置いた鋼鉄のカンテラを蹴飛ばしそうになり、我慢した。小さな火薬樽がそばに置いてあったからだ。
いまの話をきいた限り、説教師会議というのがこの革命のお偉方、五大ファミリーで言うところのコミッションらしい。
平等平等と言っても、やっぱり一番偉い人たちが出てくるのだ。
別にそれが悪いというつもりはない。
それどころか、おれとしてはとてもやりやすい。
権力が集中するということは説得する相手が少なくて済むんだし。
「マスター、行きましょう」
マリスに促され、二門の大砲のあいだを進む。
信徒席は片づけられ、スローガンを書いた横断幕がスラム街の洗濯物みたいに張り渡されている。
聖堂のあちこちに事務机があり、様々な命令書や覚書や手紙が生み出されては飛脚の箱に収められ、健脚軍団が外へ飛び出していく。
近くの張り紙には『禁止! 飲酒・賭博・喧嘩』とある。
革命前、カラヴァルヴァの悪徳は大聖堂のなかでも通じていて、側廊のスペースを勝手に板で区切って居酒屋や賭博場なんかが開いてあった。そこで数々の契約殺人と聖職売買が行われたし、向こうの門ではスリがよく吊るされた。
クレオはここで仕事を漁っていたというし、ジャックも珍しいリキュールを買いにここに来ることがあった。
バラックと絞首刑は残っていたが、悪党は残らず消えていた。
バラックはどれも仮眠室と薬草沐浴室とウォークインクローゼットになっていて、ここで働く聖職者をバックアップする体制が整えてある。
椅子が大量に積み上がって山をつくり、床に落ちた旗が靴底の餌食。
見上げれば天井のアーチはかすんで見えるほど高い。
女神のステンドグラスの差し込む光を一枚の紙がふわふわ飛んでいる。
大聖堂内部が無駄に広くて高いもんだから、あちこちに〈果物野郎〉がいる。
外にいる〈果物野郎〉と違うのは大聖堂の〈果物野郎〉は公爵の墓の上に立つ。
今でこそそこいらじゅうで見かけるが、革命が弾圧されたら消えてなくなるのが間違いないので、あとで懐かしむために〈果物野郎〉のことをちょっと話そう。
〈果物野郎〉は大きくふたつに分類される。
ひとつは世俗の〈果物野郎〉。
こいつらの出自は石工、コーヒー売り、農民、アマチュア剣士、機織り、大道芸人、タンバリン売り、冶金工場の労働者、連隊の鼓手、借金まみれの下級貴族、それにセヴェリノ人の無神論者もいる。
こいつらは何が言いたいのか分からない。
もし、やつらの言うことを矛盾も承知でそのまんま受け取ったら、この世界を統べるべき存在は石工でコーヒー売りで農民でアマチュア剣士で機織りで大道芸人でタンバリン売りで冶金工場の労働者で連隊の鼓手で借金まみれの下級貴族であるドーナッツの穴ということだそうな。
ときどき馬を没収された騎兵をそのまま徒歩警吏にするべきだとか、まともな意見も出ることは出るのだが……。
次のタイプは神聖なる〈果物野郎〉。
つまり、聖職者だ。正確に言うと、説教師。
こっちは苛烈で、地獄に対する非常に明瞭なビジョンを持っている。
まるで一度そこに落ちてまた這いあがってきたみたいにだ。
サトシがさよならバイバイしたのはマサラタウンじゃなくて現実です。
この聖職者は電気ネズミと旅に出るかわりに天国への門を非常に小さく設定した。
飲酒や賭博、麻薬、自慰、肉を食べる、一か月の半分を断食しない、働くことも禁止する。
これならまだポケモンマスターになるための旅のほうが現実的だ。
働くことを禁止しても、そんなのできるわけがない。
それができるのは貴族だけだ。
だが、〈清貧派〉は貴族を攻撃する。
よく分からんちん。
ただ、聖職者の演説をきいていると分かるのだが、なんと〈清貧派〉は盗むことを禁じていない。
つまり、〈清貧派〉においては盗人こそが天国へと招かれる唯一の存在なのだ。
もちろん盗人は盗むのが仕事なのだから、盗みが働いたことになるだろう、なんて指摘は、誰かの財布を盗み取り、民衆に捕まって、パブリックジャスティスの餌食になり、大聖堂の西門に吊るされたふたりの泥棒の末路に比べれば大したことではない。
――†――†――†――
おれを相手にパンと肉の供給について話し合いの席を持ったのはトマソ・メイマーという説教師だった。
名前だけはきいたことがあった。
農村や林業で暮らしている村にやってきては年貢は悪だ、貴族は悪だ、と明瞭だが、なかなか表だって言えないことを言ってのけるやつだと。
ドラゴンブレスのごとき説教をあちこちでしてまわり、何度か官憲に逮捕されたし、打ち首ぎりぎりで恩赦が下ったり、遠くに島流しにされたこともあるそうだ。
メイマーに同調した聖職者が〈清貧派〉を形成し、贅沢三昧で貴族を擁護する聖職者をめちゃくちゃに攻撃し始めた。
その攻撃のなかにはフラガルロ地方でのふたりの聴聞師殺害や王立狩猟林におけるグアラネッラ男爵殺害も含まれる。
つまり、もう立派なテロリストなわけだ。
そして、テロリストとラケッティアが今日、顔を合わせる。
場所は女神の大聖堂の祭壇。
テーブルにはトマソ・メイマーがいた。
想像していたのより、ずっと小柄で色も白く、角ばった鼻と驚くほど青い眼をしている。
黒いローブに潰れた帽子をかぶった貧乏な説教師らしい格好をしていて、おそらく四十代、ロバで町から町へと移動しまくったせいで腰が痛くなっているようだ。
〈果物野郎〉の総元締めみたいなもんだから、どんな修飾語を使ってくるんだろうと思ったが、その要求はざっくばらんだった。
「あなたが押さえているパンと肉を公定価格で手放してもらおう」
「定価の三分の一か」
半値どころか三分の一。
楽しいことをしてくれるじゃないか。
「全て無料で手放そう」
「わかった。神に感謝を」
床に頭をこすりつけて礼を言えというつもりはないよ。
そんなこと通じる人じゃなさそうだし。
「違法活動を停止してもらおう」
「違法活動?」
「飲酒の奨励と賭博だ」
「わしはそんなことに関わったことはないが、まあ、あなたの言う通りにしよう」
凄い殺気を背中に感じる。
ガールズたちがこの野郎無茶難題言ってきやがって、殺すぞ、ってオーラをギンギンに出している。
いいんだ、ガールたち。これはこれで。
「そして、最後だ」
「なんだね?」
「アレクサンダル・スヴァリスとアウグスト・セディーリャ」
ゲッ!
「ふたりを引き渡してもらう」
「理由は?」
「異端と涜神行為」
カエルの合唱団は異端であり、セディーリャは生きているだけで冒涜的だ。
しかし、あいつら、ホントに転がり込むトラブルなんだなあ。
「そんな名前のものは知らないな」
「マンドラゴラを使った愚かな投機で会ったことがあるだろう?」
「ああ。彼か。何分だいぶ昔の話だ。あまり年寄りの記憶力を当てにしないでくれ」
「見つけたら引き渡すか?」
「しないね。では、失礼。パンと肉の配布の準備があるので」
――†――†――†――
ガールズたちは荷馬車の馭者がどっちサイドの人間かも考えずに、メイマーぶち殺し計画を立てていた。
口にも出した――蛇を突っ込んでからケツの穴を縫いつけるとか。
「別にそんなことしなくてもいい。こういう条件突きつけられるのは、まあ、あり得ることだと思ってたし」
馭者にきこえないよう、しゃがれた声をできるだけ小さくする。
「問題はスヴァリスとセディーリャだ。あいつら、指名手配を食らってる。〈ちびのニコラス〉から一歩も出さねえぞ」
「もう出かけてたりして」
「そんなわけがあるか。ハハハ。ハハ……」
このとき、わたしたちは知らなかった。
これからきっかり十分後、〈ちびのニコラス〉から変装もせず帽子もかぶらずに意気揚々と出かけようとするスヴァリスとセディーリャをおれとガールズたちが体を張って塞ぎ、部屋に押し戻すことになることを。
……
いや、普通に予想できたわ。ハハハ……




