第十五話 ラケッティア、午後八時。
サケが飲みたい。
別に石狩川のヒグマになりたいというわけではない。
酒が飲みたい。
カールのとっつぁんはそうおっしゃられた。
溜め込んだストレスを飲酒で解消しようとするあたり、来栖一族によく見られる特徴だ。
「本当に信じられない」
そうカールのとっつぁんが感動するのは、いわゆるおれらの世界で日本酒と呼ばれたもの。
米から酒をつくるという発想がなかったという。
「本当に信じられない」
そう言いながら、三杯目の熱燗をくいっとやったのはアズマ街の橋近くで開いている板づくりの屋台。大きな赤い提灯に〈酒・肴〉と書いてある。
「本当に信じられない」
というのも、屋台の主が割烹着の似合いそうなふっくらきれい系の女の人だということ。
「本当に信じられない」
それはわたくし、来栖ミツルが下戸であることです。
「本当に飲めないのかね?」
「飲めないんす」
まあ、と割烹着美人。三十代の初めだけど、三十路がー、婚期がー、といった焦りはなく、むしろ、時間が味方についているとすら思える。
魅惑の人妻、である。
「じゃあ、何かおつくりしますね。何がよろしいかしら?」
胃もたれが凄いので、もう元の来栖ミツルの姿に戻っている。
すると、胃もたれが消えて、空腹になった気がして、お酒なしのおつまみだけいただきたくなる。
「きゅっと酸っぱいのがあったら」
「じゃあ、鯛の皮の酢味噌あえなんてどうでしょう?」
湯引きした鯛の皮を細切りにし、甘くてまろやかな味噌の味をきゅっと締める米酢。
きけば、どちらもここに移住してすぐに作り始めたものだとか。
鯛はこの近海で獲れたものであり、これは純粋なカラヴァルヴァ産の材料でつくられたカラヴァルヴァ・アズマ料理なわけだ。
実際、アズマ街では故郷から持ち出してきた技術とかタレとかが関わっている。
ただ、セイキチはそれがいつまでも続けられるとは思っていないし、商売の拡張に引っかかりかねない魚の骨と化すことは知っているので、現地で獲れる食材による置換をせっせと進めている。
スヴァリスはカエルだけでなく、サンショウウオにも合唱団の門戸を開いた。
すわりす塾の神童もまたそれを踏襲する。
まあ、スヴァリスは頭がおかしいので、あまりそれを真似し過ぎるのもよくない。
「おいしそうだ。奥さん、わたしにも同じものをいただけませんでしょうかな?」
「はい。お待ちくださいね」
肴を食いながら、カールのとっつぁんに今度起こるかもしれない革命についてきいてみた。
「どうだろうなあ。高利貸しを二、三人、川に突き落して終わるかもしれないし、王政が倒れるほどの内戦になるかもしれない。ただ、ときどきこういうことが起こる。血走った眼をした市民たちが道をバリケードで塞ぎ、片っ端から身分証の提示を求める。わたしが判事だったころにも何度かあった。それが起こる前は決まって、一週間前に貴族たちが逃げていく。逃げる別荘を持っていない下級貴族たちは酒場で庶民たちに安酒を奢ったり、教会の窓をなおしたりする。ただ、今回はそういうことがない。だからといって、革命がないとは言えない。ここに来る途中だって、焚火のまわりでわいわい騒いでいる連中がいた。いまはゴミを焼いているが、次は本、次は人だよ。ラケッティアとしては、どうするね?」
「おれがいた世界で、キューバって国で革命を起こしたやつがいる。カストロって言うんだ。そいつ、キューバにあったマフィアのカジノを片っ端から没収した」
「そいつは殺されたのかね?」
「計画はあったらしいけど、計画倒れになった。天寿を全うしたよ。そいつは人民に迷惑ばかりかけていた。おれがいた世界のテレビって箱のことはこのあいだ説明したと思うけど、そのテレビの劇ですごく人気のあるメロドラマがあった。人民は主人公のマルガリータが正直者のカルロスとクソッタレのペドロのどっちと結婚するのか知りたくて仕方がない。で、もうすぐそれが始まる時間だ、とわくわくする。でも、カストロが演説する気になったら、番組は中止。カストロがテレビ演説をする。それが長い。一時間二時間は当たり前。革命、工業化、鉄生産量増加、アメリカくたばれの四つでぐるぐるまわる。ときどき昔を思い出し、ゲバラはいいやつだったとか、カミロ・シエンフェゴスを殺したのはおれじゃないとか言う。演説が終わる。で、停電になる。人気のメロドラマは来週に持ち越す」
「〈清貧派〉はきみのカジノを没収するかな?」
「こっちだってバリケードをつくる。おれの持ち物に触れたら、どうなるか、まったく知らないってことはないだろうし。それに食い物はたくさんある。水もある。トランプもある。〈清貧派〉の革命が瓦解するまで立てこもってもいい。でも――」
「でも?」
「何か――何か面倒事が転がり込む気がする」




