第四話 ラケッティア、午前九時。
「こんな低レベルな絵は描かない」
ディアナがポイっと、カードを捨てると、たったいまギル・ローに小銭を洗いざらいまき上げられたフストがそれを見て、たずねる。
「低レベルってのはモチーフ的な問題か? 技術的な問題か?」
「技術的な問題だ。見ろ、この歪な線」
すると、どれどれとギル・ローもやってきて、この危険極まりないカードについて論評する。
「絵が右に一度傾いてる」
「インクが滲んでる」
「目の位置がおかしい」
「髪の描き込みが足りない」
「圧力が足りていない」
「ミツルのアヘ顔がわざとっぽい」
三人がぼろくそけなすのをやめさせる。
なんかおれがけなされているようでくさくさしてきた。
「それでこの絵がどうかしたのか?」
「どうかしたのか?じゃありませんよ、ディアナさん! こんな肖像権の冒涜的侵害を野放しにできないでしょ!」
「まあ、こんなへたくそなエロ絵師がいると、エロ絵師業界全体が低レベルに見られる」
「印刷師業界としても見逃せない」
「錬金術士としては見逃せるが、まあ、面白そうだからついていく」
ディアナを先頭にデ・ラ・フエンサ通りを北に上る。
どこに行くのか当てがあるのかきいたら、〈槍騎兵〉の裏路地にエロ絵師たちが集まる『活火山』というカフェがあるとのこと。
カラヴァルヴァ随一の高級娼館の裏側にポルノ業者が集まっている。実物ではなく絵でなくては欲情できなくなった哀しき男たちの集い。
『活火山』という店名とは男たちの性欲を爆発させる絵師たちの生業をなぞったのかと思ったが、実際は天井がかすむほどの紫煙がこもっているせいらしい。
喫煙で溜め込んだ害は健康によい聖水を飲むことで相殺されると信じる無邪気なポルノ業者たちがひと喫み数か月単位で寿命を縮めそうな濃い煙を吹かしている。
ポルノ絵師たちはみな喫煙のせいで声がガラガラでそれを指摘されるたびに『おれは声で稼いでいるんじゃねえ』とこたえる。
店の壁やテーブルにはエッチな落書きでいっぱいだった。
パイプを吹かしながら、ガリガリと削るような音を立て、様々なセックスモンスターを描いていく。青少年健全育成条例に引っかかるので詳述は避けるが、いわゆる触手はない。
そんなありきたりなもの書いては絵師の恥というわけだ。
そんな話をきくと、小粋な職人集団に思えるが、店内の客の半分はテーブルの上にのった一本のチン毛をじっと眺めながら、コーヒーを飲んでいた。
エロとお下劣のカルマの中心地でディアナが例の絵を見せて回る。
「下手な絵だな。モチーフは悪くない」
「線が荒い。いい荒っぽさじゃなくて、ただの技術不足だ。モチーフは悪くない」
「こんな下手な筆のやつがここに来たら叩きだしてる。モチーフは悪くない」
ディアナは店内の客全員にきき、全員が絵の技術をけなし、モチーフは悪くないと言った。
おれ以外の世界は狂っている。なんせこいつらはチン毛で筆をつくりエロ絵を描いているのかもしれない連中だ。そんなやつらがモチーフは悪くないといっても、それは世間一般を代表する世評からは大きく離れている! そう思わないと発狂する。
「当てが外れたか」
ディアナが帰ろうとすると、トイレのドアからもぞもぞと男がひとり出てきた。
三十代くらいのがっしりとした男で、ディアナを見ると、軽く挨拶した。
「ふーん。ディアナ・ラカルトーシュ。あんたがここにいるとは珍しいな」
「探している絵師がいる」
「どれどれ――下手な絵だな。だが、モチーフは悪くない」
「これを描いているやつを知らないか」
「こんな下手な絵師、知り合いにいない――いや、待てよ――なあ、ゴンサガ。これフリューゲの助手の落書きに似てないか?」
ゴンサガ、と呼ばれた店主がカードを受け取ると、カウンターの端にある鉄の箱から一枚の絵を取り出した。
弓使いシリーズで知られるエロカードの第三作で、詳しいことは述べないが、女エルフとオーガがきゃあきゃあしてる。
ゴンサガは二枚のカードを見比べて、フリューゲの助手だと認めた。
「そのフリューゲの助手ってのはどこにいるんだ?」
「フリューゲにきけよ」
「フリューゲはどこにいる?」
「三か月前から別荘にいる」
「フリューゲのアトリエは?」
「甲冑職人街にあるよ」
「印刷機も?」
「そこにある。しょぼいのがな」
――†――†――†――
「開けろ、この野郎!」
扉をドンガンぶったたく。
フリューゲの助手はおれたちを見るなり、大きな中庭の粗末な石小屋に逃げ込んだ。
あのエロカードの出元はここだ。
「てめー、こともあろうに、あんな絵作りやがって! あれをやつらが知ったら、どんなことになるか分かっててやってるんだろうな、おい!」
「おれは自由印刷同盟のメンバーだ」
「はあ!?」
「おれは自由印刷同盟のメンバーだ! おれには印刷の自由がある!」
「てめー、ますますふざけんな! てめーの自由のためにおれがケツ裂けるまでレイプされてもいいってのかよ!」
「おれは自由印刷同盟のメンバーだ!」
「らちが明かねえ。ディアナ先生、お願いしやす」
「だが、やつは自由印刷同盟のメンバーだ」
「それ、なんなの?」
「エロ絵師の互助団体だ。もし、やつが本当に自由印刷同盟のメンバーなら、このドアを破ることはできない」
「そんなの嘘に決まってるでしょ!」
「悪いが別の手段を選んでくれ」
「フスト! ギル・ロー!」
「寒いししんどいなあ」
「おれも」
「どいつもこいつも――ジンパチ!」
「オイラだって破れないよ、こんな鉄の扉」
「いや、〈ちびのニコラス〉に飛んでいって、シップを呼んできてくれ。例の玉も忘れるなって伝えてくれ」
ジンパチがひとっ走りすると、間もなくシップと一緒に戻ってきた。シップの主砲にはフェリス炸裂弾を装填してある。
「ヘイ、シップ! あの小屋を吹き飛ばしてくれ!」
「あの小屋ですか?」
「世界平和のためと思って、どかんとやってくれ」
待て、とディアナが止める。
「あれは自由印刷同盟のメンバーだ」
「シップ。そのことには耳を貸すな」
「だが、一応伝えておかないといけない」
「……あのー、ディアナさん?」
「ん?」
「その、えーと、自由印刷同盟というのはボクが攻撃しちゃいけない理由になるんでしょうか?」
「む」
「そうだよ、シップ! かんけーねえ! かんけーねえから! さあ、どかんとやってくれ!」
自分が自由印刷同盟のメンバーであることを唱え続ける人間のクズが立てこもった小屋――そこらの石ころを積み上げてモルタル塗っただけのクソッタレ小屋にシップの三十七粍多目的突撃砲が照準を合わせる。
「よっしゃ! 地獄に落ちろ、ドクズ! 発射ぁ――」
待て、とディアナが止める。
「止めてくれるな、ディアナさん!」
「いや、わたしは何も言っていない」
「へ?」
「言ったのはわたしだ」
見ると、中庭から表通りへつながる小道にイヴェスが立っていた。
「イヴェス? なにしてんだ?」
「コートを公営質屋に入れた帰りだ」
「コート?」
確かにそうだった。イヴェスがいつも着ている大きな襟に燕尾服風のダブルのコートがない。シャツとベストだけで、寒そうに震えていた。
「え、なんで、コート、質に入れちゃったの?」
「そうしないと年末を越えられない。食料が尽きたからな」
「……前々から思ってたんだけどさ。もう意地張らないで賄賂もらいなよ」
「それは断る」
「そのうち凍死するぞ。それか餓死」
「ダメだ。それにギデオンが倒れたのでな。滋養のあるものを食べさせてやりたい」
「なになになに? ギデオン倒れたの? 病気なの? 行きてえ、行って冷やかしてえ」
イヴェスは肩をすくめ、あまり派手にやるな、と言いながら、古い二階建てが並ぶ一角を曲がって、甲冑職人街のほうへと出ていった。
「まあ、いいや。それじゃ、ヘイ、シップ! ドカンと吹っ飛ばしちゃってよ!」
フェリス弾は予想以上の爆発力を見せた。
石をつないでいたモルタルが吹き飛び、中庭じゅうに飛び散り、一枚刷り印刷機がひん曲がって落ちてきた。
かつて家があった場所に開いた砲弾孔から白旗がふられる。フリューゲの助手は自由印刷同盟のメンバーシップを盾のように構えながら、穴から這い出してきた。




