第五話 ラケッティア、サツにも負けずポリにも負けず。
ラ・バンナ通りのかき氷屋に入ると、カウンターに大きな氷の塊が六つ、ピラミッド型に置いてあった。
「アレンカはイチゴ味がいいのです」
「……メロン」
「知ってる、ジルヴァ? メロン味ってメロン農家じゃなくて錬金術でつくってるのよ」
「……がーん」
「マスターは何味がいい? ……マスター?」
この氷はどこから来てるんだろう?製氷会社かな?借金のカタにはめられた魔法使いが二十四時間ぶっ通しでつくってるのかな?氷屋をつくって氷をうちの会社だけから買わせて買わない店をぶち壊せば独占事業になるじゃないかうんそうじゃないか借金のカタにはまった魔法使いなんて〈ハンギング・ガーデン〉に腐るほどいるじゃないか借金マンアイスカンパニー発足脅迫独占ウハウハこれはいいぞガエタノ・レイナだって製氷事業で大儲けしてそれをマッセリアにとられそうになってトラブって死んだくらいだエーテル圧縮式冷凍庫が発明されるのはまだ先いや〈学
「マスター!」
「はい!」
「まさかラケッティアリングのこと考えてないよね?」
「え? 考えてるわけないじゃん」
「じゃあ、何を考えてたの?」
ちらりと戸口のほうを見ると、ヨシュアとリサークがスタンバってる。
おれの返答次第でお尻の純潔が――。
「いや、ほら、氷がさ、アレンカがつくった氷とここの氷、どっちがおいしいのかなあ、って」
「ふーん」
「もちろんアレンカがつくったほうがおいしいのです。マスターは何味がいいのですか?」
「おれ? じゃあ、ブルーハワイ」
「ハワイ? それってどんな魚なのですか?」
「まあ、何でもいいから青いやつ」
嗚呼、世のなかに悪の種は尽きまじ。
そこらじゅうに転がっているよ。悪の種。
ちょっと目に入っただけで違法なカネ儲けが浮かぶあたり、おれもいよいよサイコパスかと思うが、いまはとにかく頭のなかをクリーンにしないといけない。カタギみたいにしないといけない。
ギルド犯罪とか違法金融とかナンバーズとか賄賂とか中抜きとか脱税とか家畜泥棒とか保険金目当ての放火とかペーパーカンパニーで買い物しまくって計画倒産とか あっ、ヤバい、ジルヴァがじっとこっち見てる。
まあ、とにかくこういうことを思いつかないようにしないといけない。
「マスター、見て見てなのです。あっかんべー」
「おお、見事に緑色。この世界にも緑色八号とかあるのかな」
「何なのです、そのなんとか八号って」
「おれの世界にね、食べたらガンになる着色料があったんだよ」
「がーん、なのです。なんちて」
マリスとツィーヌとジルヴァが、おそらくこのためにつくったリゾート用ツッコミ兵器『赤と紫のペイズリー柄のハリセン』を片手にアレンカを追いまわす。
懐かしいね。
岸井ってやつが教室の床に油性マジックで線を引いて(これだけでも大事件だ)、おれと早河と塩部と安藤の四人にいまから極めて危険な放送禁止用語を言うから何があってもこの線から前に進むなよ、と念押しし、
『これから放送禁止用語をいいます。ほう、そうですか』
と、のたもうたので、おれと早河と塩部と安藤は『線から前に進むんじゃない!』と怒鳴る岸井の遺言を無視して、油性マジックを飛び越え、岸井を上履きで滅多打ちにしたのだった。
岸井は別にダジャレ親父ギャグが好きなわけではなかったから、なぜあんなことを言ったのかは謎だが、一学期の期末テストが終わった日でテンションがマジックマッシュルームだったのか、ただ気温が八月並みの三十七度で脳みそが溶けたのか。
さて、ラ・バンナ通りに戻る。
極彩色の果物を頭の上に高く積み上げた女たち。
椰子丸太造りのバルコニーを持つ家。
白い花が宙に浮かんでいる緑色の薄暗い行き止まり。
『チーズで食中毒』と鳴く虹色のオウム。
北国の刀鍛冶が毛織物に包んでから波止場に着くまで一度も人の手が触れなかった両手持ちの剣と人の命より安いサトウキビ用の山刀が並ぶ武器屋。
南国の太陽が地面に縫いつけるおれたちの影から空を仰ぐと、びゅうびゅう吹く潮風の上を赤貝やノルウェー産トロサーモンに似た形の雲が手で取れるくらいの速度で流れていく。
なんか回転寿司が食いてえな。
「マスター、またラケッティアリングのこと考えて――」
「いやいやいや! 考えてないよ! 回転寿司のこと考えてただけ!」
「スシって、あのマスターがトキマルたちと食べてた、あれ?」
マリスがウエッて顔をしてたずねる。
この世界では生の魚を食べるのはいかだで海を漂流するときくらい。
火の通ってない魚を食べたら、その日のうちにあたって死ぬと思ってるやつも多いし、生魚を食べるのは何らかの悪魔的儀式に関係していると思っているものも多い。
「アレンカは魚はムニエルにしないと食べないのです」
ぐうう、と誰かのお腹が鳴った。ジルヴァがさっと目をそらす。
「じゃあ、昼は土地の魚でも食べよう。いい店はないかな?」
――†――†――†――
「それでよ、魔女のアマがいやがると空気で分かんのよ。呪文が煤みたいな黒い霞になって、宙を漂ってるんだよ。あの嫌な感じがなくなるまで、ホセ・ワリーバは家を売れなかったそうだ。買い手がいねえのよ。だって、そうだろ? 魔女の呪文が漂ってる家なんて誰が欲しがるよ? 拝み屋のジジイに拝ませて呪文を取り去るのに白銀貨でとこ三枚も張り込まなきゃいけなかったそうだ」
たとえばリゾートの一等地があってそこが魔女の呪文で汚染されていたらこっちの言い値で売るわけだがそうやって安く手に入れた土地をまた相手に買い戻させてついでにそこに諸費用いろいろつけたら違法賭博の売上もそこに隠して堂々と使えるカネにするいや待てよむしろ雑貨店を開いてカラヴァルヴァから付け木用の硫黄を四樽買って五樽買うことにして硫黄ギルドの在庫担当者につかませればきっとそいつは硫黄をこの島のおれ以外の誰にも売らないから町の有力者たちは嫌でもおれが椰子丸太の商売することを認めざるを得ないなにせこの島では椰子丸太はコンクリートと同じくらいうま味のある建材でギルドも農園主も丸抱えだそこにちょこっと
「マース―ター」
「え、なに?」
ふたつ離れたテーブルのオヤジどもの会話から我が身と我が精神を引っぺがす。
「なに考えてたの?」
「いや、あそこに見事な鶏があるなって」
「マスター、あれ、イカ」
「知ってるよ。あれはイカだ。イカはな、鶏の遠い親戚なんだぜ」
ああ、心臓に悪い。
〈デ・ラ・ポルタ〉はカナリア島で一番いいシーフード・レストランということになっている。
全ての料理にパイナップル・ソースというスイーツ向けの調味料をメシにかける。
だが、何度も言うようだが、ここはカナリア島で一番うまいシーフード・レストランなのだ。
そもそも魚というのは不思議な生き物で見た目が華やかできれいな魚ほどまずく、見た目が不細工な魚ほど(たとえばアンコウとか)うまい。
ここのコックも限られた海産物からイカとフエダイをチョイスして炭火で焼いたり、揚げたバナナを添えたりしている。
無数のトラック運送会社とつながった魚市場がない世界にはよくあることだが、メニューはその日の魚市場の獲れ具合によって激しく変わる。
明治時代なんか天ぷら屋に行ってみたら、定休日でもないのに店が閉まっていて、今日はやらないのか?とたずねたら、今日はいいエビが市場になかった、といって店を開かないことがあったそうだ。
それにいちいち怒ってレビューサイトに晒すとか反応していたら、まあ、うまい天ぷらは食べられない。
ただ、バナナを揚げたやつは凄まじいこってりだ。揚げたものをもう一度揚げている。
それに揚げたフエダイ。パイナップル・ソースをかけて。
甘くて甘くて食えたもんじゃない。醤油がほしい。にんにく醤油がほしい。
後で地元住民が通う場末の町の料理屋に行ったら、ちゃんとイカのフライにトウガラシと胡椒のピリッとしたソースをかけていた。パイナップル・ソースは使わないのかときいたら、あんなもんかけるのは舌が馬鹿な観光客だけだ、と言われた。
なぜ観光客はこうも傷つけられ、蔑まれるのだろう?
「マスター、きっと醤油のこと考えているのです」
「いやいやいや! 醤油のこと考えてないよ! ラケッティアリングのこと――あ、じゃなくて、あ、うん、醤油かけたいと思ってました。ラケッティアリングのこと、考えてないよ、マジで」
店の隅、ふたつの逃げ道を視界に収められる位置のテーブルにヨシュアとリサークが座っていることを思い出し、冷や冷やする。
「うーん」
おれ、やっぱりワーカーホリックなのかなあ。
マフィアのボスって基本的に休日はないんだよ。
週休二日制とか有給休暇とか、そういうプリティな概念はない。
年中無休で悪に励む。
サツにも負けず。
ポリにも負けず。
東に疲れた勤め人あれば。
行ってスロットマシンを置き。
西にケダモノがあれば。
行って地獄に堕ちろと言い。
南に抗争があれば。
行って仲裁してやり。
北に何もなければ。
行ってラケッティアリングをつくりあげる。
そういう人に。
わたしはなった。
ポテト万歳
南無ポテト
「よし!」
と、イカの串焼きパイナップル・ソースあえを食いちぎりながら立ち上がる。
「吹っ切れた! バカンス楽しむぞ! 水着回といったら、あれっきゃない!」
そう! ビーチバレーだ!




