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ラケッティア! ~異世界ゴッドファーザー繁盛記~  作者: 実茂 譲
〈ハンギング・ガーデン〉 ロムノス釣り紀行編
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第二十六話 犬耳釣師、ブラコンの道はブラコン。

 四季とは釣師に与えられた選択肢である。

 地形は釣師に与えられた試練である。

 旬は釣師に与えられた喜びである。


                  『狂気の釣師の備忘録』より

 果樹園に高レート・ポーカーのためのテーブルが設けられた二十五階から二十六階にかけて大きな滝がある。


 横に幅広く、飛び石を伝っていけるこの滝にはカイザー・サーモンが住んでいた。

 普通の鮭は卵を産むために滝をさかのぼるが、カイザー・サーモンは棲むために滝をさかのぼる。

 この魚は眠りながらでも滝をさかのぼるのだ。


 滝を専門に釣るというのはなかなか難しいが、カイザー・サーモンのような二メートル越えの大物を釣り上げれば、それは自信となり、マン・イーターや突撃魳に挑戦しようという気力がついてくる。


 滝つぼには大きな岩魚いわなが用心深く底についている。

 この岩魚は用心深く川面に釣師の姿がちらりと映っただけで餌を食べるのをやめてしまう。


 その知的な戦いは後でやるとして、いまはカイザー・サーモンである。


 世にはキング・サーモンという鮭があり、アズマではマスノスケと呼ばれる。サケノスケではない。


 だが、キングよりもえらい皇帝カイザーはどうだろうか?


 それがこのタフなカイザー・サーモンなのである。


 この鮭と鱒の世界を統べる皇帝は食欲旺盛で体も大きいので川虫やミミズでは満足できず、好んで魚を食べる。


 じゃあ、とニシンダマシダマシダマシあたりを鉤につけて釣れるかというと、釣れはしない。

 そのまま餌が滝つぼに落ちてしまうからだ。


 つまり、カイザー・サーモンを釣るにはカイザー・サーモンのように滝をさかのぼる魚を餌にしなければいけないのだ。


 これに気づくまでにロムノスはだいぶ時間を無駄にしたし、そもそもこの工夫に気づいたのは『備忘録』でもなければロムノス自身でもない。記憶喪失の少女である。


 ロムノスは滝を眺められるカフェで『備忘録』のページをめくり、滝をさかのぼれて、さらにカイザー・サーモンにおいしく食べられるくらいの大きさの魚はいないかと探してみた。


 その結果、見つかったのが、黄金ニシンダマシダマシダマシだ。


 これはパイナップルの生える池のそばに暮らすニシンダマシダマシダマシの仲間であり、これを背掛けにすれば、滝を上ってくれる。


 三十二階の野生のパイナップルに囲まれた池に行ってみると、なんとそこらじゅうに釣師が集まっていた。


 いや、彼らは釣師ではない。ただの釣り人である。


 彼らの狙いはパイナップルを食べて、体が黄金化した黄金鮒である。

 鱗一枚一枚が金でできているこの鮒を釣り上げて、セブンスタッド・ポーカーに挑みかかろうとしている不純の釣り人たちなのだ。


「見ろ、あれを」


 少女は見た。

 どの釣り人も鉤を隠すようにミミズをつける術を知らず、その辺に落ちていたしなりのない固い木の棒を釣り竿にし、自分の着ている服からほどいたような安物のよれた糸を使っている。


 そんな連中を前にえりすぐった道具と着実に伸ばしてきた腕前で魚を釣り上げるのは実にスバラシイことだ。


 しかもかかってきたのが黄金鮒。

 きらきら輝く泳ぐ大金を外道としてリリースするときのまわりの釣り人の顔といったら!


     ――†――†――†――


 黄金ニシンダマシダマシダマシの背中に鉤を刺して、滝に放ると、見事に滝を昇り始める。

 浮きは使えないが、餌の黄金ニシンダマシダマシダマシのきらめく鱗がちらちら輝いているのが分かる。


 あれが消えたとき、戦いの始まりだ。


 そして、あわせた瞬間――、


     ――†――†――†――


 少女は水のなかをどんどん沈んでいく。


 きらきら輝く白い泡に取り巻かれながら。


 自分から滝に落ちたのか。


 今日が期日だ。


 殺せなかった。


 もう、エミールには会えない。


 わたしがエミールを殺したのだ。


 だから、落ちたのだ。自分から。


     ――†――†――†――


「ゲホッ、ゲホッ!」


 頭をしっかりつかまれて横を向かされ、水を吐く。


 見れば、ロムノスの顔が口づけを連想させるほど近くにあった。


 その端整な顔が離れていく。

 たぶん自分でも気づかないのだろう、犬耳がぴくぴくと水を払っている。


 そこは高レート・ポーカーをする果樹園のテラスだった。


「死なせて」


 ロムノスは立ち上がって、前髪をかき上げた。


「あれを見ても、そう言えるか?」


 透明の風がキノット・オレンジの枝を揺らし、木漏れ日が踊る道から歩いてくる。


 小さな、何があっても守ろうと、人を殺すことになっても守ろうと思った、小さな――。


 涙をぽろぽろこぼしながら抱き合う姉弟を眺めながら、東セヴェリノからエミールを連れ帰ったディアナに礼を言う。


「すまんな。いつから気づいた?」


「初めて見たときから」


「蛇の道は蛇か」


「何が言いたい?」


「ブラコンも役立つことがある」


「ふん。お前も言うようになったな」


 ロムノスは滝のなかで振り子のように動く釣り竿――一度はあきらめた大物――を手に握ると、肩幅に足を開いて、腰を少しだけ低く落としてから、ぐっと竿を立てた。


 二メートルオーバーのカイザー・サーモンが釣り上がり、これまで十万枚の金貨がやり取りされたポーカーテーブルの上に落ちた。

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