第四話 犬耳剣士、鮒を釣る。
鮒で釣りを始められるものは幸いかな。
彼は戻る故郷を得たのだから。
マン・イーターで釣りを始めたものは不幸なり。
彼は小魚釣りの妙技に見向きもできないのだから。
『狂気の釣師の備忘録』より
マン・イーターとは三メートルを超える淡水魚で文字通り人を襲う。
冒険者たちはこれを魔物と扱うが、釣り師はあくまでも魚と言い張っていた。
『備忘録』の言う通り、釣りを鮒で始めてみることにしたが、これはどこでも釣れる。
石材でつくった人工の池だろうが、蓮の花浮かぶ自然の池だろうが、水没した遺跡だろうが、海水が混じった河口だろうが、鮒は常にそこにいるのだ。
しかも鮒は用心深さというものがない。
針が餌で隠しきれていなくても、釣り糸がはっきり見えていても、そして、これが最たるものだが、不注意に姿をさらした釣り師の姿が水のなかから見えていても食う。
当たりも分かりやすく、餌に食いついたら、すぐに底へ向かって泳ぎ始めて浮きを沈める。
まさに初心者のための釣りであり、ロムノスもまずはこれから始めてみようと思った。
そして、〈ハンギング・ガーデン〉にいくつもある通路沿いの水路にミミズを曲げた針金に刺して、竿もなく、ひょいと投げ込んだのだが、結果は一匹も釣れなかった。
針にかかるのだが、針がすぐに外れてしまうのだ。
なぜだろうかと考えながら、『備忘録』を見ると、すぐに分かった。
ロムノスの手づくり釣り針にはカエシがなかった。
カエシとは釣り針の針部分とは逆方向に小さく伸びた針であり、これが魚の口に刺さることによって魚は釣り針から外れなくなる。
だが、ロムノスの針金釣り針にはこのカエシがない。
先端を折り曲げても今度は針そのものの鋭さがなくなり、魚の口に刺さらなくなるどころか、餌のミミズさえつけられなくなる。
どうやら、セルフメイドの釣り道具の限界が来たらしい。
でち屋に釣り針はないかとたずねたが、さすがに釣り道具をもってカジノに来るものはいなかった。
「でも、かっぱらい通りに釣り道具屋があるってきいたことがあるでち。ひょっとしたら、盗品かもしれないけど、でも、ちゃんとした釣り具でち」
――†――†――†――
かっぱらい通りはかっぱらうための通りではなく、ロデリク・デ・レオン街やサンタ・カタリナ大通りでかっぱらったものを処分するための通りだった。
貴金属や中身を抜いた財布、ときには着ていた人間から強引に剥いできた外套が買い手を探して、うろうろする罪深い通りでその釣り道具屋『逃がした魚は大きい』があった。
小さな窓がいくつか並んでいて、そこに糸巻や釣り針、毛鉤、女神や馬を象ったオモリなどが飾られていて、実際、店に入った感想もそうそう悪いものではなかった。
釣り竿、釣り針、糸、浮き、たも網がきちんと分けて並べてあり、さらに火属性や氷属性のポーション、対石化属性のポーションが並べてある。
釣りをするのになぜ、こんなポーションが必要なのだろうと思ってみていると、
「そいつは火吹き鱒を釣るときに使うのさ」
見ると、四十くらいの背の高い女がカウンターの奥の扉からあらわれて、腕を組んだ。
「糸にあの氷のポーションを縫っておかないと、あっという間に焼き切られるからね」
「じゃあ、あの石化防止のポーションは?」
「これは自分で飲むんだよ。バジリスク・バスを釣るときにね。それで何が欲しいんだい?」
「釣り針が欲しい。これよりいいものを」
そう言って、樫材のカウンターに針金の釣り針を置いた。
釣り道具屋はひゅうと口笛を吹いた。
「これ、自分でつくったのかい?」
「そうだ」
「これで何を狙ったの?」
「鮒だ」
「これじゃ鮒でもかからないよ。カエシがないから」
「カエシのある針をくれ」
「ここにあるのはみんなカエシのある針ばかりだよ。でも、まあ、鮒に使うなら――」
女店主は後ろの戸棚を開けて、青みを帯びたしっかり鍛えられたらしい針を取り出して、ロムノスの前に置いた。
「これが一番使いやすいんじゃないかな。値段は銀貨四枚」
「針一本にしては高いな」
「そのかわり、これは魚の重さで折れ曲がったり、あるいは折れたりしない。これをつくったやつの本業は刀鍛冶だからね。どうする?」
「これをもらおう」
「糸は?」
「糸? タコ糸をつかっている」
「あたしが商売繁盛できなくて、かっぱらい通りで小さな店をカツカツでやってる理由はお節介だからなのさ。悪いこと言わないからちゃんとした釣り糸と、それに釣り竿を買っておきな。釣り針よりは安いからさ。商売考えるなら、そのままタコ糸を使わせるよ。だって、すぐに切れるからね、その糸。で、釣り針とバイバイして、また買いに来る。あと、竿だけど、手で釣り糸をたぐると、魚が逃げようとするときの力がもろに糸にかかって、これまた切れる。手は釣り竿みたいにためがないからね。これでまた針が売れる。だから、あたしは針二個分、銀貨八枚の売り上げを放棄して、あんたに釣り竿と釣り針を勧めるのさ。まあ、鮒相手なら別に高いもの買う必要はないよ。ほら、糸と竿あわせて銀貨三枚。絶対あたしに感謝するときが来るさ」
――†――†――†――
爆釣。
まさに入れ食い状態だった。
前までは食わせるところまで行かせていたが、そこから先がなかった。
だが、釣り針が鮒の口にかかることによって、細い竿がぐんと曲がり、手に心地よい力がかかった。
結局、釣り上げた鮒の数は三十七匹。
一番小さなものが五センチ、大きなものは二十七センチだった。
釣り上げた鮒は全部逃がしてやったが、すでにロムノスには釣師の欲望が起き上がり、他の魚も釣ってみたいとロムノスをせかしていた。
自分の家に戻り、少女が相変わらず目を覚まさないのを見ると、釣師なら誰でもやること――そう釣り自慢を始めた。
なんとなくもふもふや来栖ミツルたちにはしづらいことも気を失っている少女相手ならどうということはなかった。
錆びた金色の鮒の話、背びれに引っかかった小さな鮒が一番大きな鮒よりも強く引きまくり大物を期待してがっかりした話、そして釣師なら必ず通る道――全部で七十匹釣り、一番大きな鮒は四十センチだったという、そう釣果の水増しをした。
この瞬間から、ロムノスはどこに出しても恥ずかしくない釣師になったのだ。




