第六話 ラケッティア、彼はココナッツ・マンだ。
「おれはココナッツ・マンだ」
見た感じ、危険な不法移民、失敗した絵描き、ベジタリアンに追いつめられたフライドチキン愛好家、あるいはその全部を併せ持った究極生命体に見える。
「おれはココナッツ・マンだ」
彼の趣味は自己紹介と、
「お前その一とお前その二とお前その三の頭をココナッツみたいに叩き割ってやる」
敵対者の頭をココナッツみたいに叩き割ることだ。
相変わらず狭いゴッホの寝室なのだが、現在ココナッツ・マンの間合いにいるのは、おれとモレッティとマーダー・ブルー・インクがひとり。
誰がお前その一なのか分からないが、おれたちはその二になりたがった。
何事も中庸が一番だし、それにお前その一ではココナッツ・マンの攻撃パターンが分からないが、その二なら攻撃パターンは一度は見ているから対処ができる。その三だと最後のひとりになり寂しい。
まあ、中庸を求める裏に打算あり。何事もタダじゃあないのよ。タダじゃ。
「おれはココナッツ・マンだ」
ココナッツ・マンは見た目はアナーキストのカリカチュアに見える。
時代時代でテロリストがいて、テロリストにもステレオタイプがいる。
現代日本ではテロリストと言われて思い浮かぶのはイスラム原理主義者。
アイルランド紛争があったころはIRAの過激派。
そして、19世紀末のテロリストといえば、アナーキストだった。
アナーキストというのは無政府主義者という意味だが、政府も宗教も、ありとあらゆる掟も認めない、人は自分の決めたルールにだけ沿っていきればいいというファンキーな考え方をする人びとだ。
自分の決めたルールのなかに必ず他者をいたわることが入っていると主張する夢見がちな連中や洗濯機が発明されたときいて発狂するほど喜んだ複雑な理論家など、まあ、いろいろいるのだが、なかには『おれは何事にも縛られないぜ、やっふー』と銀行強盗を繰り返したりするバカタレもいる。
1910年代、イリーガリストという連中がフランスで銀行強盗団をつくっていた。
この世の法律は資本主義者が作ったものだから、真に自由な人間は従わなくてもいいという連中で、リーダーの名前をとって『ボノー・ギャング』と呼ばれた。
こいつらの手口は簡単で、道で車を待ち伏せする。
で、車がやってきたら、道の真ん中で仲間のひとりに死んだふりをさせる。
すると、車が止まるから、車の持ち主と運転手を射殺する。
車だけ盗めばいいのに、こいつらは持ち主と運転手を必ず撃ち殺した。
この時代、車は非常に高価だから、資本家しか乗っていない。だから、殺しちまえと。
まあ、ケダモノですよ。
で、こいつらはフランスで銀行強盗をする。
カネだけ取って逃げればいいのに、こいつらは窓口の出納係を必ず撃ち殺す。
それが資本主義に対する戦いらしい。
で、車に乗ってベルギーに逃げる。
ベルギーに逃げれば、フランスの警察は手が出せないというわけだ。
で、ベルギーの道の真ん中で死んだふりして止まった自動車を奪い、運転手と持ち主を撃ち殺し、また銀行を襲ってカネを奪って撃ち殺しを繰り返したが、ついにとうとう年貢の納め時。
フランスで逃げ切れず、納屋に追い詰められたボノー・ギャングはフランス警察と撃ち合い、最終的には納屋に火をつけられ、布団にもぐって防御しているところを踏み込んだ警官にハチの巣にされた。
百年前のテロリストといえば、まあ、こんな連中なのだ。
それにアナーキストたちはあらゆる国家元首を目の敵にしていて、一人一殺の捨て身根性でえらいやつを殺しまくった。
アメリカの大統領とフランスの大統領、オーストリアの皇妃、ロシアの皇帝、スペインの宰相、ギリシャ国王、イタリア国王と現在のテロリストどもでは到底手の届かない大物たちを仕留めている。
未遂も入れれば、もっとたくさんでそのなかには明治天皇や昭和天皇も含まれる。
「おれはココナッツ・マンだ」
そして、ココナッツ・マンは百年前の新聞に出てきそうなアナーキストの風刺画みたいな恰好をしているのだ。
体は風刺画風に三・五頭身。
顔はいわゆる懲役面。大きいが痩せていて頬はへこみ、寄せられた眉根は盛り上がった肉の上でぴくぴくしながら歪み癖をつけられている。
ぼさぼさした口ヒゲと山羊ヒゲのあいだに常にへの字に曲がった口があり、この極端に薄い唇が開かれるのは「おれはココナッツ・マンだ」と名乗るときだけ。
毛織物のハンチングみたいな帽子はかぶっているが、どうも頭のてっぺんから後頭部にかけて、まっすぐ斜め四十五度の坂になっているらしく、帽子が頭にかからず、たびたび手で直さないといけないようだった。
特筆すべきはお目目で大きな白目のなかでビー玉みたいな黒目が鼻っ柱に寄っていた。
これがギラギラしていて、こんなヤバい眼はサツを前にしたグラムかターコイズブルー・パンケーキを勧めてくるアレサンドロくらいのものだ。
それが右手に血糊錆のついた肉切り包丁、左手に陶器の酒壜を握っているのだが、怖いのは酒を飲むと目の異様な光が消えることだ。
つまり、こいつにとってシラフは異常であって、泥酔がスタンダードなのだ。
「おれはココナッツ・マンだ。お前その一とお前その二とお前その三の頭をココナッツみたいに叩き割ってやる」
「オーケー。分かった。ちょっと仲間と協議したい」
三人でベッドの上に乗り、ひそひそ話したのだが、問題は魔界にココナッツがあるのかどうかだ。
「ないはずでやんす」
「じゃあ、やつは偽ココナッツ・マンか?」
「いえ。彼が子どものころ。人間界から魔界に来るときは、既にリトル・ココナッツ・マンだったのです。そして、魔界で研鑽を積み、ココナッツ・マンとして、ヴォンモさんの闇魔法に召喚される資格を得たのです」
どうやらこの世界、特定の選ばれし人間はちょっと遠いコンビニ感覚で魔界に行けるらしい。
最寄りのコンビニじゃなくて、あそこのコンビニのおでん食べたいなあ、ちょっと遠いけど歩いてこ、の感覚。
「でもまあ、一応、きいておくか。付けヒゲ買わない?」
「それはココナッツか?」
「いや、付けヒゲだよ」
「ココナッツの付けヒゲか?」
「ココナッツってヒゲ生えるの?」
「生えねえからヒゲをつけるんだよ」
「ああ、そうか」
「おれはヒゲをつけたココナッツを叩き割るのが大好きなんだ」
「あー、おう。イエース」
「それに帽子をかぶったやつがいい。農場のジジイがかぶるようなやつじゃない。貴族がかぶるような気取ったやつだ。孔雀の羽根がついてるようなな。それが一番スカッとする。だが、一番楽しいのはな、女の帽子をかぶったココナッツを叩き割ることだ。女のココナッツほど叩き割って楽しいもんはねえ」
「ココナッツに性別ってあるの?」
「お前、何のためにおしべとめしべがあると思ってんだ?」
「あー。ほんとだ」
「とりあえずヒゲは三つ買ってやる。目が覚めたら、お前はヒゲの代金を握っていることに気がつく。覚えておけ、おれはココナッツ・マンだ」




