第十一話 測量士の助手、とことこミツルちゃん人形。
密輸人の家を離れて、島の裏手の磯沿いの道を歩いているうちに太陽がじんわりと消えかかり、日は陰って、夜の世界へと沈みつつあった。青い愛想のいい海は信用ならない人さらいの海に変わり始め、見えない波が磯で砕けて、道まで跳ねかかる音が前方の闇のなかからきこえてきた。
「これをあんたに言っていいかわからないが、あの老人は密輸人じゃない。この閉鎖された島からどうやって外に行けるのかは分からないが、密輸人じゃないことは確かだ」
「その根拠は?」
「おれが来栖ミツルの名前を出しても無反応だった。本物ならミツルの名前に無反応はありえない。このあたりの海でなら、なおさらだ。ミツルの密輸網に一枚噛めれば、途方もなく儲かるからな」
「今の仕事に満足しているのかもしれませんよ」
「儲けに対して、そんな謙虚な態度をとるくらいなら、最初から密輸人なんてしない。確かに儲けを度外視する密輸人もいることはいるが、そういうやつは密輸で役人を出し抜くことを生きがいにしている。なら、やっぱりミツルはいいパートナーだ」
「そういうことは分かるのに、自分の名前は分からないんですね。どのくらいまで分からないんでしょう?」
――†――†――†――
「礼拝堂?」
ああ、そうだ、と密輸人がいったのはほんの一時間前。
「この島の東の果てにある。ここから磯の道をたどれば着く」
「誰か祀られているんですか」
「まあ、そうだな。この島の人間は名前を失い、職でしか人を判断できない。だが、礼拝堂のことはうっすら覚えている。本当にまずいことになったら、そこに行けばいいくらいのことは考えられるんだ。あんたたちがすべきことは〈勇気の小瓶〉をそこに持っていくことだ」
ともかく、そこに行ってみよう。
そういうことになり、出かける直前、ルイゾンは密輸人にたずねた。
「あの……オノリーヌはなぜ自分の名前を覚えていたのでしょう?」
「ときどき魔法使いの力をもってしても、名前を取り上げられない人間がいる。そういう人間が生贄に選ばれるんだ」
――†――†――†――
生贄の儀式はそう簡単に命を奪わないが、かといってゆっくりしていていいわけでもない。
「ともかく、先を急ぎましょう。ん? 何を持っているんですか――って、わー!」
クリストフの手のひらではとことこミツルちゃん人形が横に倒れて、じーじーとゼンマイを鳴らしながら足をバタバタさせている。
「ああ、これか? なんか、面白いな。ミツルにそっくりで――」
ルイゾンがひったくって、海に捨てなければ、どえらいことになっていただろう。
「先が思いやられます……」
「なあ、握手しよう」
「急に何を言ってるんですか?」
「いいから。握手」
「はあ、まったく……」
そう言って、握手をすると、クリストフの腕がスポッと抜けた。
偽の腕だ。それだけならまだいいが、この腕、上のほうにチリチリと火花を散らす導火線があった。
二度目の爆発が海を沸騰させる。
「もう! いいかげんに――って、いない。どこに?」
おーい! と頭上から声が。
見上げると、ハーピーの息吹を吹き込んだ小型気球に掴まったクリストフの姿が!
「……飛んだはいいが、降りれなくなった。どうしよう?」
「それはこっちのセリフですよ」




