第八話 怪盗、罠にかかったらさらにかかりにいく。
ミスリル紙を何枚も張ったハンググライダーは上昇気流に乗って、高度を稼いだ後、城の上空でゆっくり円を描きながら徐々に高度を下げていった。
折りたためばポケットに入れられるハンググライダーは怪盗専門技師ストリモールの傑作のひとつでこれが怪盗に侵入経路の可能性を無限に押し広げていた。もちろん変装を主体とする人びとからは嫌われたが、怪盗クリスはこれに何度も助けられた。とはいえ、怪盗同士のガジェット論争に加わって、悪い金持ちの家に忍び込む時間を費消したくなかったので、ストリモールには個人的に礼を言うことにしていた。
ちなみに今回使っているのは弟子のリザリアが作ったものだった。
なんにでも初めてはあるし、信じていないわけではないが翼から神経質な軋みがきこえるとひやりとした。何も知らないルイゾンはただオノリーヌ救出という考えにその頭脳を占められているので、何も感じないらしいが、そうでなければ、クリストフに何らかの罪を着せて、一生監獄送りにしたかもしれない。
眼下の城は夜闇に閉じた森のなかに青く浮かび上がっていた。
町を通して横から見た限り分からなかったが、城の周りにはきれぎれな空堀や小さな家が配してあって、果樹園や城館と独立した小さな砦などもあった。
何世代にもわたって、様々な領主の建築志向によって、どれも中途半端になってしまったようで、その城と付随する施設を、たいまつをもった、あの不気味な信徒たちが見回っていた。あれが人間ではないことはなんとなく分かったが、かといって魔法使いの信頼を完璧に勝ち取っているとも思えない。ただの使役のためにつくった魔法生物かもしれない。あるいは暗黒の世界から召喚した悪魔の眷属かもしれない。確かなことはクリストフたちを見つけたら、首を刎ねて、蹴転がすことぐらいだ。
「貯金はあるか!?」
クリストフの問いかけは風で途切れがちになった。
「なんですって!?」
「貯金だよ、ちょ、き、ん!」
「なんでそんなことをきくんですか!?」
「捕まったら、おれたちは打ち首だ。ちょっと気分転換。で?」
「それほどありませんよ! 貸せませんからね!」
びゅうびゅうと吹く風をものともせず、ひょうひょうとした調子でクリストフは言葉をつなぐ。
「なにもあんたから借りようっていうんじゃない! 遠い未来、運よく資産家になれたとき、おれに感謝したくなることを教えてやろう! 怪盗にお宝を狙われたときの唯一にして至高の対応だ! 怪盗からお宝をいただくって予告状が来たら、そのお宝を庭に転がすんだ!」
少なくとも怪盗クリスはそんなお宝を盗む気は起きないし、死んだ〈砂男〉や〈キツネ〉だって盗まなかっただろう。
だが、ルイゾンは宝ときいて、睫毛の長い目をいつも閉じたオノリーヌの姿が思い浮かぶのだった。
「僕は絶対庭にひとりでいさせたりしませんよ!」
高度が下がって、城の尖塔のてっぺんの風見鶏くらいの高さまで来ると、城の細かなつくりや装飾が見えてきた。窓の並んだ回廊や空の星の運行を知るための複雑な装置を見ると、聡明だが邪悪な老人がひとつの呪文の持つ意味をぶつぶつつぶやきながら、城をひとりで歩き回り、ときおり空を見て、星のひとつもかかっていないのを見て、島を世界から閉ざした自分の仕事ぶりに満足し、長いつららのような顎ひげを撫でる姿を想像できた。
ふたりは屋根のそばに開いた大きなテラスへと降りていった。
テラスは手すりもない危なっかしいもので、幼い跡継ぎがいるなら絶対に考えられないつくりをしていた。そこにはふたりの頭巾信徒がいて、灯もなくただ両手で素人くさく持っている曲刀の青い輝きだけを頼りに見回りをしていた。
クリストフとルイゾンはハンググライダーから足を外して、そのまま信徒の真上に着地と同時に足を蹴り出した。クリストフに蹴られた信徒はそのままテラスから声も上げずに落ちていったが、ルイゾンのほうは倒れるなり、すかさずトドメの短剣を左腕のすぐ下からぐさりと突っ込んだ。だが、短剣を抜いた傷から噴き出すのは血ではなく、煤で、頭巾とローブは支えるものがなくなって、煤を噴きながらぺたんと平らになっていった。
それでもまだ何かあるようなので、ローブを切り裂いてみると、焼け焦げた本が一冊、煤のなかから出てきた。
ちょうど館の主人が発作的な怒りにかられて暖炉に放り込まれたようで革表紙が真っ黒に焦げていて、本を開くと、黒いページがばらばらと崩れていくので中身を読むことはできなかった。
「〈聖アンジュリンの子ら〉は聖印騎士団なんだよな?」
「そうですけど、なにか?」
「体のさばき方が完全に暗殺者のそれだな」
「騎士団の汚れ仕事も引き受ける性格上、そうなります」
そう言いながら、解錠道具を取り出すと、クリストフが鍵穴のそばで指で一、二、三とやってからパチンと鳴らす。錠が解けて、自然と扉が開いた。
「あなたは骨の髄まで怪盗なんですね」
「魅せる盗みを心がけるとこうなる」
城のなかは、ほとんど真っ暗がりで夜目の利きに自信のあるふたりでも簡単に動けるものではなかった。ただ、右手の奥にテーブルがひとつあり、小さな陶製のランタンがぶら下がっていて、太った男がひとり、書き物をしていた。ずいぶん熱心に何かを書きつけていて、そのうち筆ペンをインク壺に突っ込むと、手紙を四つ折りにして、頭上のランタンを傾けて、真っ赤な蝋を垂らして、紋章入りの指輪で押して封をした。
その手紙をテーブルの反対側に押しやると、影になって見えなかった場所から火打ち石式のピストルを取り出した。そして銃身を自分の口に突っ込んで、引き金を引いた。轟音とともに男は鈍い色の血をまき散らしながら飛び上がったが、倒れるかと思われた瞬間には男も手紙も消え去って、ただテーブルとケタケタケタという笑い声が残った。
「なかなか面白い趣向の見世物だ」
「馬鹿にしてくれます」
「まあ、そう言わず。敵の罠を歓迎と考えて、あえてかかっていくのも怪盗の醍醐味なんでね。さて、次はどんなものを見せてくれるか。楽しみだろ?」




