第七話 怪盗、理屈ではなく矜持。
島で唯一ある酒場にはビールと芋でつくった蒸留酒を入れた樽があった。
島が閉ざされる前はラム酒もあったが、いまではすっかり手に入らない。
たいていの客はビールだったが、思いきり酔っ払いたいものは蒸留酒を飲んだ。オノリーヌから顔も見たくないと突然言われたルイゾンはもちろん蒸留酒であり、ワイン壺に入れた最初の一杯をほんの二分で空にし、二杯目も二分、三杯目もよこせといったので、酒場の亭主は蒸留酒のかわりにビールを入れた。もう酒の区別もなくなるくらい酔っ払ったルイゾンは物の上下も分からないまま、テーブルに突っ伏して寝てしまった。
まわりには地元の常連らしい頭を刈った楽士たちがひどく気になると言った様子でふたりの様子を見ていた。クリストフがそちらを見ると、楽士たちはさっと視線を自分たちのジョッキに戻すのだが、なぜ測量士がおいおい泣いてやけ酒をしているのか、どうしても知りたいらしく、亭主のテーブルまでつまみの木の実を取りにいくついでにふたりのテーブルの近くを通り、耳を澄ませたりしていた。だが、どう見ても、楽士たちのテーブルは亭主のテーブルに近いので、不自然な遠回りをする他にない。
ルイゾンはひどく酔っているので、気にならないらしいが、クリストフは楽士たちが近くに来ると、さっと握った拳をふりあげた。すると、楽士たちはもぐもぐ何かをつぶやきながら、自分のテーブルに戻っていくが、そのくせ、数分後にはまた厚かましいくらいに近づいてくるのだ。
これはもうルイゾンを引きずって、宿に帰ったほうがいいと思ったが、酒場の亭主がちょっと気になっているが、どうしてもと言うなら話さなくてもいいという風を装って、何があったかたずねた。そこでオノリーヌとのあいだにあったことを話すと、酒場の亭主はオノリーヌとは誰だとたずねてきた。
「宿屋の隣に住んでいる目の見えない子だよ」
「ああ、あの目の見えない子か。で、その子とそいつの涙はどんな関係があるんだ?」
「一緒に散歩する仲くらいになれたけど――急にもう二度と顔も見たくない、って言われたんだ」
「本当に急に言われたんです、ヒック」
亭主はちょっと考えたふうに唸り、それから、それは生贄に選ばれたのかもしれない、と言ってきた。
「生贄?」
「あんたたちも島をうろついて、きいたことがあるだろう? ときどき魔法使いが生贄を欲しがることを?」
その後、すぐに宿屋の隣のオノリーヌの部屋に行ったが、オノリーヌはいなく、そして家具もみな引き払われていて、ただ、押し花を貼りつけた紙が一枚だけ落ちていた。
ルイゾンは酔いも吹き飛ばすほどの勢いで自分の部屋に戻ると、大きなピストルを取り出し、クリストフも追いつくのがひと苦労の速さで、例の祭壇のある家へ。
すると、そこには奇妙な怪物がいた。赤い光を宿した小さな煤の雲から人形の顔と腕が宙に浮いているのだ。腕は四本あって、ひどく小さな手がくっついていた。クリストフを閉じ込めようとした例の丸い円はまだ未完成のままだが、祭壇にはトウモロコシやパンは除けられて、三角形の小さな石だけが禍々しく光っていた。
「オノリーヌさんはどこだ」
「生贄……喜ベ、測量士ヨ。アノ女ハ選バレタ」
「どこだときいている」
ピストルで人形の顔を狙う。
「城ダ。オ前タチモ呼バレテイル。魔法使イノ偉大ナ実験――」
それ以上きかなかった。ルイゾンはピストルをぶっ放し、祭壇の上にある三角形の石が木っ端みじんに吹き飛ぶと、煤の怪物は水でも浴びたように崩れて床に落ち、ただ人形の顔と腕だけが出来損ないの白い円のなかに残った。
――†――†――†――
怪盗の流儀としては綿密な下調べをして、予告状を出すところだが、人命にかかわる場合は例外を設けていた。流儀というのは必要な際の例外というものをきちんと判断できるようにしておかないと、ただのお役所仕事になってしまうのだ。
だが、役所というなら、〈聖アンジュリンの子ら〉は一種の役所だが、それを例外たらしめるのはルイゾンの仕事着で、平均よりもやや上なアサシンギルドが用いる黒装束でそれに投げナイフや煙幕、鍵の解錠用具、顔を隠すマスク、足音のしないブーツとかなり気合の入った隠密行動用の装備をつけていた。
クリストフも革の箱を開けて、怪盗七つ道具を身につけた。怪盗マスク、滑車付きの多目的ワイヤー、ハーピーの息吹と小型気球、とことこミツルちゃん人形、折りたためばポケットに入る携帯型ハンググライダー、キーピック、偽物のスポッと抜ける腕、これまた多目的な怪盗カード。実際は八つあるが七つ道具と呼ぶ。これも必要な例外なのだ。
「酔いは平気なのか?」
「酔っ払っている場合ではありません。それにお酒に強いのは〈聖アンジュリンの子ら〉入隊の条件のひとつです。犯罪組織に潜入捜査して、馬鹿みたいに飲まされて、それでおしまいでは話にならないですからね」
「じゃあ、さっき酔ってたのは?」
「まあ、心の状態というものが酒の効きにかかわることはあります。ともあれ、はやく城に行きましょう!」
城はいままで閉ざしていた入り口を急に開け放ち、第三段の町には城の門があらわれていた。
てっぺんに槍の穂先のような鋳鉄がある鉄格子のような門は開きっぱなしになっていて、荒れ果てた果樹園の向こうに城館が見えた。
ふたりとも要塞のような場所への隠密裏の侵入については経験があるから、正門から入るのは論外だった。裏をかいて、本当に正門を警備を薄くして他の場所の警備をその分厳重にしている可能性があるが、これは合理的な判断というよりも矜持の問題だった。釣り師が釣り堀での釣りを馬鹿にするのと同じようなもので、どれだけそれが理性的な選択としても正門から入ったりはしない。そういうことは武装強盗団のすることなのだ。
これについて一致を見たふたりはガシッと握手し、さて、どこから忍び込むかと考えた。
そのときクリストフは魔法使いの城の西にある崖を見ていた。そして、ルイゾンの身長と体重をざっと考えてから、こうたずねた。
「あんた、高いところは平気か?」




