第二十六話 怪盗、十月二日。
もう、夕暮れがだいぶ夜に傾き、星空が最後の残照を西の果てに押し込もうとしているころ、来栖ミツルはクリストフが大きな鏡の前でチャールズ・コバーンの〈モンテカルロの銀行破り〉にそっくりなというか、そのものの鼻歌を歌いながら、怪盗クリスの衣装を着つけているのを見つけた。
「そ、それは〈モンテカルロの銀行破り〉! さては、クリストフ、貴様も現実世界の人間か!」
「なに言ってんだよ、ミツル。あんた、このあいだ、これ口ずさみながら、タラのコロッケつくってただろ」
「あ、そうだっけ」
「しっかりしてくれよな」
「しかし、コロッケつくりながら、キテレツ大百科のコロッケの歌じゃなくて、イギリスの古いコミックソングを歌うなんて、前略、お母さま、ぼくはどうしてこんな子に育ったのでしょう?」
「生まれつきじゃね? ひょっとしたら、っていうか、たぶん徹夜で飲むと思うから、おれのメシはいらないぜ」
「おう。〈砂男〉によろしく言っておいてくれ」
――†――†――†――
ストリモールの狭い店にカラヴァルヴァじゅうの個性豊かな盗賊や泥棒が集まった。
それだけのパーティをやるには明らかに狭い店だったが、ストリモールは自分が全部持つといってきかなかった。
怪盗専門店のストリモールは〈砂男〉の帰還を我がことのように喜んだ。
自分の育ての親ともいえる大盗賊が殺しも平気の畜生盗りに堕ちたことがあり、立派な根性でいい仕事をする泥棒はみんな自分の子どものように思えたのだ。
一方、全て奢りにするときいたリザリアは九月の収支を考えて顔を蒼褪めさせていたが、時すでに遅し、ワインの樽や丸焼きにした豚が運び込まれていくうちに自棄になって自分も騒ぐことにした。
「おかえりなさい、〈砂男〉さん!」
「よく戻った、えらいぞ!」
「あはは、わたし、あんたが殺られちまうほうに金貨十枚も賭けたのよ。どうしてくれんのよ」
「胴元から盗んで取り返せよ」
「それもそうね。あはは」
「あんたがいないあいだにスリの腕を磨いたぜ。ほら、あんたの財布」
「ばか。それはオトリの財布だ」
「ありゃっ!」
「おい、おれのローストチキン、とるな。この泥棒」
「ここにいるのはみんな泥棒だ。ばーか」
「母ちゃんが言ってたな。泥棒から盗むのは罪にならない」
「じゃあ、クルス・ファミリーから盗んだら?」
「裁判所は何もしませんが、ぶっ殺されちゃいますわよ」
「それに比べて〈砂男〉、あんたはやつらにケジメと意地を見せたよ。ポルフィリオ・ケレルマンに泥棒から盗めば、罪にはならないが、倍の盗みを食らうことをしっかり思い知らせた」
「〈砂男〉カルロス・ザルコーネに乾杯!」
「ポルフィリオ・ケレルマン、くたばっちまえ!」
「くたばっちまえ!」
「おーい、誰かそのソースの入った壺をとってくれ」
「さあ、〈砂男〉飲んでくれよ」
「すまんな」
「あんた、相変わらず無口だなあ」
「それに相変わらず眠そうな顔をしてる」
「ああ、幸せですわ。ポルフィリオ・ケレルマンは山刀でズタズタにされて、ハチの巣にされてもまだ死ななかったそうです。往生際の悪い方ですこと」
「ミツルはスカーフェイスみたいだって言ってた」
「ふん。それが何だか知らないが、あの疫病神にはふさわしい死に様だよ」
「ストリモールさん。エールをもう一杯いただけますか? もちろんホップが入っていないほうで」
「そんなのないぞ」
「えっ? なんていうことだろう。ここにもホップの悪徳がはびこっているなんて」
「ルイゾン、お前が宮仕えすることになるとはなあ」
「〈聖アンジュリンの子ら〉はそこまで堅苦しいものでもないですよ。僕が今日、ここに来るのを見逃してくれましたし。それより〈砂男〉さん、〈聖アンジュリンの子ら〉に入りませんか? 隊長は是非にと言っているんですが」
「せっかくの誘いは嬉しいが、おれは生涯泥棒だよ」
「あてが外れましたわね、ルイゾンさん」
「エールにホップが入っていることほどのがっかりではないです」
「ホップが入ってたら、苦くて飲みごたえがあるじゃないか」
「そういう意見がいつも返ってくるのでいつも言っていることですが、素材の味が生きていないのです」
「それはおれも分かる。特に麦芽を店から買うのは最低だ」
「そうなんですよ、〈砂男〉さん。やっぱり一流は違いが分かりますね。〈聖アンジュリンの子ら〉に入りませんか? 質のいい本物のエールがいつでも飲めますし、つくれますよ? 大きな醸造施設があるんです」
「……考えておく」
「おい、ルイゾン、やめろ! 〈砂男〉はおれたち泥棒陣営にいるんだぞ」
「違う。〈砂男〉はおれたち盗賊陣営にいるんだ」
「みなさん残念でした。〈砂男〉さんはスリの友ですわ」
「怪盗だね!」
「海賊さ!」
――†――†――†――
真夜中の四時までには宴は終わり、参加者はみな狭いストリモールの店の床に思い思いに手足を伸ばしていびきをかいていた。
狭いがゆえに折り重なったり布団がなかったりしていたので、近所迷惑もののいびきがなければ大量毒殺事件の現場みたいに見えただろう。
そして、眠れるゾンビのなかから喉の渇きで目が覚めたクリストフは自分の上に乗っかっていた育ちが非常にいい女スリの体をどけて、眠れる泥棒たちを踏んづけて、店の表に出た。
そこは闇マーケットの屋根付き商店街で、道の中央に噴水があった。
そこの水をがぶがぶ飲んでいると、〈砂男〉がふらりとあらわれた。
「眠れんのか?」
「喉が渇いてね。そっちは?」
「タチの悪い山賊集団に追いまわされたんだぞ? 睡眠時間を一、二時間で済ませるのが癖になってな」
「そのおかげで生き残れたんだぜ」
「まあ、そうだろう」
「どこか行ってたのか?」
「盗賊教会だ。〈キツネ〉に蝋燭とラムを一本捧げておいた」
「〈キツネ〉か。おしゃれな泥棒だったな」
「あいつが死んだのがきっかけで、この有様だ。おれがポルフィリオ・ケレルマンの言うことなんぞ信用したばかりに」
「あんたが気に病むことじゃない。それは相手が悪いんだから。それにあんたが無事に戻ってきたときいて、これだけ集まった。あんたは慕われてる。あんたはいい泥棒だ」
「怪盗クリスにそう呼ばれるのは気分がいいな」
「おれなんて、あんたに比べれば、駆け出しだ。でも、あんたは――なんていうか――」
「分かるよ。いいたいことは。言わんでも大丈夫だ」
「〈鍵〉を立て直すんだろ? 手伝えることは?」
「今のところは大丈夫だ。みんな生き残ってくれたしな。すぐに仕事に戻れるだろう」
「わかった。でも、何か手伝えることがあったら、必ず言ってくれよな」
「ああ。かならず」
「約束だぞ」
「ああ」
――†――†――†――
クリストフたちがストリモールの店で宴会を始めていたころ、フランキスタもまたロデリク・デ・レオン街の料理屋で主な幹部と組員を五十人集めて、勝利宣言とケレルマン商会の継承を祝う宴を始めていた。
海水と砂の樽で冷やした赤ワインが次々と景気よく開けられ、グラスを満たし、近所の美声で有名な少年ふたりが荘厳な勝利の歌のために細い喉を震わせ、そして下がると、右にバジーリオ・コルベック、左にバティスタ・ランフランコが座るなか、中央の席についていたディ・シラクーザは立ち上がり、部下たちの労をねぎらった。
「みんなよくやってくれた。このなかには兄弟を失ったものも多いだろう。だが、わたしは約束する。これからみなにやってくる未来は富と尊敬にあふれるものだと。山賊団と麻薬、ギルド利権が一か所に集約され合理化されたケレルマン商会が他のファミリーを抜く日はそう遠くない。ポルフィリスタの持っていた商売は全て諸君のものだ。その勝利を祝うための、我々の成功の始まりを祝うための料理を用意した」
すると、非常に大きな銀の覆いをかけた料理皿が運ばれてきて、中央のテーブルにのせられた。
ディ・シラクーザがうなずき、覆いを取ると、どよめきがおこる。
皿の上にのせられていたのは手足を折り曲げて縛られ、皮がパリパリになるまでローストされ、口にパセリを詰められたガスパル・トリンチアーニだった。
ポルフィリオ・ケレルマン派(ポルフィリスタ)
†ポルフィリオ・ケレルマン 10/1 殺害
†ミゲル・ディ・ニコロ 9/9 殺害
†パスクアル・ミラベッラ 10/1 殺害
†ディエゴ・ナルバエス 9/25 殺害
†ガスパル・トリンチアーニ 10/2 殺害 【New!!】
†ルドルフ・エスポジト 9/8 殺害
†アニエロ・スカッコ 9/12 殺害
ピノ・スカッコ
フランシスコ・ディ・シラクーザ派(フランキスタ)
フランシスコ・ディ・シラクーザ
バジーリオ・コルベック
バティスタ・ランフランコ
†サルヴァトーレ・カステロ 9/7 殺害
†アーヴィング・サロス 9/13 殺害
アウレリアノ・カラ=ラルガ 9/25 逮捕
ロベルト・ポラッチャ 9/25 逮捕
〈鍵〉の盗賊ギルド
〈砂男〉カルロス・ザルコーネ
†〈キツネ〉ナサーリオ・ザッロ 9/3 殺害




