第十三話 マフィア、九月十二日。
忘れ物を取りに来たんだろうと思って覗き窓を閉じてドアを少し開けると、ゼンマイを巻ききったピストルが突き出され、〈砂男〉は咄嗟にドアを閉めた。
ピストルを持った腕がドアに挟まって、弾が漆喰壁に醜い傷痕をつける。
〈砂男〉は自分のピストルを抜くと、ドア板にぴたりと当てて、引き金を引いた。
ドアが燃え始め、殺し屋が空のピストルを落として、そのままへなへなと崩れ落ちた。
ドアを跳ね開け、殺し屋から予備のピストルを引き抜き、廊下を走って、路地を見下ろす木製の窓を跳ね開けると、走って逃げるポルフィリスタの姿が見えたので、その背中を狙って撃った。
男は両手を上に投げ出し、爪先で走るような奇妙な動作を見せた後、ぐるっとまわって仰向けに倒れた。
〈砂男〉は殺し屋の上着を剥ぎ取り、ドアの火を消すと、殺し屋の財布を抜き取った。
そばで昨夜抱いた女がうずくまり、手で頭をかばうようにして、あたしは関係ないと繰り返していた。
「女からは盗まない。命も含めてな」
〈砂男〉はフェルト帽を頭に乗せ、ツバをつまんで挨拶すると、大急ぎで階段を降りた。
一階には宿屋のオヤジがいて、震えていた。
「ドアの修理代だ」
そう言って、殺し屋の財布を投げると、路地に出た。
倒れているポルフィリスタのまわりに近所の住民が集まっている。
〈砂男〉はそれとは別の方向へ歩き、匕首横丁とデ・ラ・フエンサ通りの角に出た。
デ・ラ・フエンサ通りから獲物街へ曲がり、さらにグタルト通りへ、そして闇マーケットに入る。
ストリモールの店を訪れると、怪盗クリスが店番をしていた。
「ストリモールたちは?」
「仕入れに出ていった。といっても、怪盗ガシェットの材料じゃない。去勢鶏。今夜のメシ」
「そうか」
「〈キツネ〉のことは本当に気の毒だった」
「あんな死に方をしなきゃいけない盗みはしたことがなかったんだがな」
「〈キツネ〉の腕前はカラヴァルヴァじゅうの泥棒がよく分かってる。あんたは大丈夫なのか?」
「見ての通り、自分の足で歩いているし、体のどこにも風穴を開けられていない」
すると、クリスは自分の肩をトントンと叩いた。
見てみると〈砂男〉の上着の肩が少し焦げていた。弾がかすったのだ。
「しばらくのあいだ、街を出たほうがいい」
「それができないことは分かってるだろう?」
「ルドルフ・エスポジトを殺ったんだ。そこまで行けば上出来なはずだ」
「ポルフィリオ・ケレルマンにも報いを受けさせる」
「やつは隠れ家を転々としていて、しかも山賊どもが守りについてる。ザルコーネ。あんたはたぶん最高のギルド長だよ。メンバーの仇を取るためにここまでしてくれたんだ。〈鍵〉の連中もあんたに死なれたくないんだ」
「嬉しいことを言ってくれるよ、クリス。本当にな。だが、これはケジメの問題だ」
「ケジメなんて言葉出されたら、こっちは何も言えなくなるじゃんか」
「何も言わなくていいんだ。何を言おうとしてくれているか、よく分かってる。ストリモールとリザリアに伝えてくれ。〈砂男〉は相変わらず眠そうな顔をしていたと。じゃあな」
――†――†――†――
頭も切れ、話し合いを好み、それが通じなければ残忍な暴力を行使することもいとわないバジーリオ・コルベックには他のファミリーも認める実力者だが、ひとつだけ欠点があった。
年下の妻だ。
バジーリオは五十五歳できれいにそろえた口ひげと顎ひげ、それにこまめに整えている髪には相当白いものが混じっているのだが、去年マダム・マリア―ヌの〈槍騎兵〉で見かけた踊り子に一目惚れして結婚していた。相手の年齢はまだ十九歳でバジーリオはこの親子ほど歳の違う妻が望むものは何でも手に入れ、そのわがままもきいていた。
その日、その若妻のフィリッパは王立劇場でかかっている『ラスカロニア』をボックス席でどうしても見たいとわがままを言った。
もちろんボックス席にひとりで観劇などということは社交界の噂になるほどみじめなことだから、どうしても夫同伴でなければならない。
バジーリオは隠れ家を出て、妻と二頭立ての箱馬車で観劇に向かったが、フランキスタの切り込み隊長でバジーリオの右腕であるパティスタ・ランフランコは絶対にやめたほうがいいと反対した。
「襲ってくれと言っているようなものだ」
「王立劇場に抗争を持ち込むほど、やつらも馬鹿じゃない。それに行き帰りの馬車だって安全だ。家族は巻き込まない。このくらいの仁義はやつらも心得ている」
「バジーリオ、あんたらしくもない。ポルフィリオが仁義を心得ていたら、そもそもこの戦争は起こっていない」
ランフランコは何とか観劇を中止させようとしたが、結局、バジーリオは妻とともに馬車で出かけていった。それでもランフランコの説得で馭者を兼ねた護衛をふたりつけさせた。
ランフランコも最後には家族を抗争に巻き込まないという掟が守られるだろうというほうに傾いたのだ。
バジーリオを乗せた馬車はシデーリャス通りの自宅で妻を拾い、そのままロデリク・デ・レオン街へ向かった。
「『ラスカロニア』は愛と野心の素晴らしい物語なの。グスマン伯爵夫人もミネロッタ子爵夫人ももう見たのにわたしだけ見ていないんじゃ恥ずかしいわ」
「そうは言うが、この劇は古王国語で上演されるんだろう? おれもお前も古王国語なんて、これっぽっちも分からんじゃないか」
「だから、演技が重要なのよ。演技を通じて、登場人物の感情を読み取るの」
「まあ、お前が満足なら構わんさ」
海洋商業学校前で馬車が止まった。
しばらく動かないので、扉を少し開けて、馭者にたずねると、道の真ん中で荷馬車が横転していて、警吏が交通を止めているのだという。
「赤ワイン通りに曲がって、そこからロデリク・デ・レオン街に出ろ」
「でも、あなた、それじゃ上演に間に合わないわ」
確かにかなり遠回りだ。
それにしても、シデーリャス通りを塞ぐとは、いったい何台の荷馬車が転がって――、
またドアを開ける。警吏が右側へと横に歩いてきている。
アニエロ・スカッコが警吏のバフコートを着ている。ポルフィリスタの殺し屋、スカッコ兄弟の兄のほう。
「くそっ、罠だ」
ドアを閉じ、妻を引っぱって床に寝かせ、自分もその上に覆いかぶさるのと同時にドアの窓が粉々に砕け散った。
銃声がするたびにニスを縫って仕上げた木が裂け、馬車が揺れた。
いったい何丁の銃で襲ってきたのかとおもうくらいの発砲音が続き、窓を見上げると、体に風穴を開けられて落ちる馭者が見える。
永遠に感じられたが、実際の時間は二十秒ほどに過ぎない。
割れたガラスや木片を踏みながら近づく殺し屋たちの足音がきこえる。
バジーリオは妻のハンドバッグをひっつかみ、そのなかから自分がだいぶ前にプレゼントした小さなピストルを取り出した。
真珠層の握りにダイヤモンドをはめ込んだ女性向けの小さな特注ピストルで銃身が二本ある。
バジーリオは左のドアを開けて、なかを覗こうとした偽警吏――アニエロ・スカッコの顔に至近距離で発砲した。
鶏みたいな悲鳴。小口径弾が目のすぐ下に飛び込み、スカッコが顔をおさえて倒れる。
すぐ右側のドアを蹴飛ばして、見えた人影を撃つと、男が真鍮メッキのラッパ銃を抱えながら倒れた。
バジーリオは馬車を飛び出すと、そのラッパ銃に飛びつき、山刀と斧を手に走ってくるふたりの賊目がけて撃った。ふたりは一度に吹き飛び、斧の賊はすぐそばの料理店の窓に飛び込んだ。
両手に短剣を持った殺し屋が馬車のなかの妻を狙っているのが見え、背中から殴りかかる。
殺し屋はとっさにふり返って、刃をひらめかせながらバックステップで間合いを稼いだ。
見れば、バジーリオの礼装用チョッキが一文字に裂けている。
きひひ、という下品な笑い。
殺し屋が突く。
バジーリオはそれを右にかわし、股に膝蹴りをした。
殺し屋が倒れる。バジーリオは殺し屋の鼻を食いちぎった。
悲鳴。ナイフが手から離れる。バジーリオはそれを拾うと、目と顔と喉を刺し、最後に喉を搔き切った。
そのとき、馬車の陰からもうひとりの殺し屋があらわれて、バジーリオの頭のすぐ後ろに銃口を突きつけた。
殺し屋がのけぞって斃れる。
バティスタ・ランフランコが馬から降り、ピノ・スカッコへ発砲していた。
バジーリオも立ち上がり、ランフランコが斜にかけたベルトから二丁のピストルを抜き取ると、路地から走ってきた逃走用馬車を撃った。
馬車は割れたガラスを散らしながら、ロデリク・デ・レオン街へと逃げていった。
バジーリオはランフランコの肩を叩き、急いで馬車のなかに戻ると、妻の無事を確かめた。
「もう、大丈夫だ。な? もう大丈夫」
優しく妻をなだめると、ランフランコが生き残りを連れてきた。最初に顔を撃たれたアニエロ・スカッコだった。
「コルベックさん、お慈悲を! どうかお慈悲を!」
目の前に転がされた命乞いを前にバジーリオが指を鳴らした。
ランフランコが大きなナイフを渡す。
震えながら馬車の戸口に這ってきた妻の瞳――かつて〈槍騎兵〉でバジーリオを夢中にした大きな瞳に映ったのは残忍な獣の顔で笑いながらアニエロの頭の皮を剥ぎ取る夫の姿だった。
ポルフィリオ・ケレルマン派(ポルフィリスタ)
ポルフィリオ・ケレルマン
†ミゲル・ディ・ニコロ 9/9 殺害
パスクアル・ミラベッラ
ディエゴ・ナルバエス
†ルドルフ・エスポジト 9/8 殺害
ガスパル・トリンチアーニ
†アニエロ・スカッコ 9/12 殺害 【New!!】
ピノ・スカッコ
フランシスコ・ディ・シラクーザ派(フランキスタ)
フランシスコ・ディ・シラクーザ
バジーリオ・コルベック
バティスタ・ランフランコ
†サルヴァトーレ・カステロ 9/7 殺害
アーヴィング・サロス
アウレリアノ・カラ=ラルガ
ロベルト・ポラッチャ




