第八話 ファミリー/司法、九月七日。
来栖ミツルがドン・ヴィンチェンゾの姿でケレルマン商会に行ってから、三日が経過した。
ディ・シラクーザがルドルフ・エスポジトを差し出すことに失敗し、クルス・ファミリーは予告通り、ポルフィリオの家畜の処分を肉屋ギルドを通じて禁止した。
ディ・シラクーザの恐れていた通り、運輸ギルドや宿場町にも手がまわり、ケレルマン商会は大量の家畜を持て余すことになった。
家畜の尻には持ち主の焼き印が押されているし、体も大きいので隠すのが難しい。
盗んだ後はすぐに売り飛ばし屠らせるのが家畜泥棒のコツなのだが、このコツが完全に封じられた形となる。
ポルフィリオがどうでるか、ボスたちから末端の犯罪者、それに司法や民間市井も注目していたが、何もなく三日が過ぎた。
もふもふたちはオーケストラと踊り子の貸し出しに関する話し合いをすべく、ロムノスを連れて〈ハンギング・ガーデン〉を出発し、アレサンドロとはデ・ラ・フエンサ通りで合流した。
「おはようでち」
「おはようございます。パンケーキに平和を」
「平和でち」
「おはよう」
「おはようございます。ロムノス。今日も耳はふかふかしていますか」
「ふかふかだ」
「それはよかった。きみの耳がふかふかでないと、パンケーキの粉が玉になってしまう」
「なぜ、おれの耳とパンケーキのあいだに関連があるような話し方をする?」
「あるような、ではなく、あるのです。というのも、この宇宙の果ての偉大なるパンケーキ銀河の光と影の交わう場所に垂れる†堕天使のメイプルシロップ†はきみの耳とふかふか連動しているのは誰でも知っていることですが、それというのも†堕天使のメイプルシロップ†が植えた木から樹液が垂れるのを待っていてはパンケーキの瞬間を逃がすことになり、そうなるとターコイズブルーのオウムはふくらし粉で固めた立方体を通してしかパンケーキの歴史の逆流を眺めることができなくなります」
「???」
「よく分かったでち。ロムノスの耳はふかふかでち。何にも問題ないでち」
ロムノスはもふもふにどういう意味なのだとたずねたが、もふもふは、
「ぼくにもさっぱり分からないでち。でも、こういうときはとりあえず同意しておくでち」
「……そういうものか。それで、アレサンドロ。カステロとはどこで会うことになっている?」
「リーロ通りの〈金塊亭〉ですよ。まあ、いい店です。普通のパンケーキしか出せませんが、我慢できます。ほら、ここにターコイズブルーのメイプルシロップがあるから、これを――」
「じゃあ、行くでち。ぼくは朝ごはんを食べてないからお腹ぺこぺこでち」
――†――†――†――
三人がちょうど通り過ぎたところで入れ違いにイヴリーがリーロ通りを抜けて、〈聖アンジュリンの子ら〉の隊舎へとやってきた。
隊舎のそばで合流する三つの通りでは近隣の農家が荷車いっぱいに土を落としていない野菜を盛り上げて、料理屋街の調達係や近所の家の女中を相手に銅貨一枚単位の値切り戦争をしている。
「このニンジン、もっと安くならないの? こんなにひょろひょろじゃない」
「勘弁してくださいよ、奥さん。ニンジンってのは細いほど味が濃いんですぜ」
「でっかいイモがあるよ。トマトもあるよ。さあさあ買ってってくれ」
隊舎のくぐり戸を叩くと、ドアが開き、イリーナがイヴリーの忘れ物を持ってやってきた。
「もっと早く取りにくると思っていたけど」
イヴリーはルーンの剣を剣吊りベルトに装着しながらこたえた。
「最近、ターコイズブルー・パンケーキがアズマ街で大きな飛躍を遂げたときいて、そのことで頭がいっぱいになっていました」
「ああ、あのパンケーキ・カルト」
「パンケーキ仲間はカルトではありません。パンケーキによって世界人類の平和と共存を目指す団体です」
イヴリーはそう言っているが、〈青手帳〉が国王に提出する青い手帳には『パンケーキ仲間……体に害を与えそうな青いパンケーキを崇めるカルト。極めて危険! 要監視!』と書かれている。
クルス・ファミリーですら、ただの『危険』であり『極めて』と『!』はつかない。
イヴリーが忘れ物をしたのは昨夜、聖院騎士団カラヴァルヴァ支部騎士裁判所と聖院騎士団〈聖アンジュリンの子ら〉部隊が隊舎に集まって、現在、カラヴァルヴァにおける暗黒街の不安定な状態について話し合ったときのことだった。
イヴェスは出席しなかった。逮捕令状の発行でそれどころではなかったのだ。
イヴェスはもう行動に移り、聖院騎士団と〈聖アンジュリンの子ら〉はそれに協力することが決まっていた。
今回、秩序のための協約を殺人という形で破った最悪の行為にイヴェスはかなり頭に来ている、というのがアストリットとロジスラスの見解だった。
ふたりからすれば、イヴェスは冷静沈着の権化のように見えたから、激怒したイヴェスというのは想像がつかなかった。
イヴェスの名代としてやってきたギデオンは「そうですか? 先生、結構寝起きが悪いから、激怒とまでいかなくても、かなり不機嫌な顔は毎朝見られますよ」と言っていた。
「あー、お腹が空きました」
「朝食は?」
「食べていません。さっきまで書類仕事です。お腹が空き過ぎて、眠れないくらいです」
「聖院騎士団も大変ね」
「どこかターコイズブルー・パンケーキが食べられる場所を知りませんか」
「知らない」
「アズマ街の天ぷら屋でターコイズブルー・パンケーキが天ぷらにされたときいたんですけど」
「やめてほしい。ロジスラスはあそこの天ぷらが好きだから……パンケーキ……〈ガレオン〉は遠すぎるから〈金塊亭〉はどうかしら?」
「あそこのパンケーキも悪くありません。ただ、色が惜しいですね。でも、これがあれば」
と、イヴリーはターコイズブルーのメイプルシロップが入った壜を見せた。
彼女はこれを常に携帯している。
昨日、〈聖アンジュリンの子ら〉をたずねたときも持っていて、ルーンの剣を忘れることはあっても、ターコイズブルーのメイプルシロップは忘れない。
それがパンケーキ仲間の意地である。
――†――†――†――
〈金塊亭〉はいつだって客がいた。
この料理屋の稼ぎどきは夕方と夜であり、そのためにビロードで閉じる仕切り部屋がいくつもある。
だが、朝から一杯のエールと一緒に熱々のえんどう豆に酢をかけたものが食べたいものたちが大勢いて――しかも銅貨三枚足せば、豆に刻んだベーコンが入る――、仕事場への遅刻を屁とも思わない強者たちが豆と朝の一杯が来るのを待っていた。
イヴリーとイリーナはカウンター席につき、パンケーキを注文した。
カウンタ―にいたオヤジがイヴリーの顔を見て、あからさまに眉根を寄せてしかめだした。
「また、あんたか」
「どうも。また来ました」
「ふたりは知り合いなの?」
「大したことではありません。ちょっと色彩に関する共通認識が作れなかっただけです」
「自分がつくった料理にあんな青いソースをどぼどぼかけられて、面白がるコックがいると思うか?」
「大勢いますよ。ロデリク・デ・レオン街のモリッツォス料理店と〈天秤亭〉、〈棘魚亭〉、学生街のマルコ食堂、それにサンタ・カタリナ大通りの――」
「わかった、わかった。……ハァ、勘弁してほしいよな。で、今日は何を注文で?」
「パンケーキふたり分」
「はいよ。普通のパンケーキ一枚と青いソースでひたひたになる侮辱を受けるパンケーキ一枚」
コックがパンケーキ仲間の色彩に対するこだわりに皮肉を言って厨房へ消えると、イヴリーは頭のなかを天ぷらにおけるターコイズブルー・パンケーキの可能性について考えをめぐらせた。
その考えがまとまりかけたところで、イリーナに肩を叩かれた。
「なんですか? いま、世界じゅうをターコイズブルー・パンケーキの天ぷらで埋め尽くす計画が出来上がるってところだったんですけど」
「事前に阻止できてよかったわ。それより、あれ――」
見ると、丸いテーブル席にクルス・ファミリーとケレルマン商会のフランキスタに属するサルヴァトーレ・カステロがいた。
ふたりが座っている席にももふもふの声がきこえてきた。
「これでいいでち」
「そうですね。書類に問題はありません」
アレサンドロが書類を丸めて鉛管に詰め、内ポケットにしまう。
サルヴァトーレ・カステロもうなずき、契約を確認していた。
「マフィアの幹部と同じ店で朝食とはね」
イリーナが皮肉っぽく言う。
「顔ぶれを見る限り、興行関係の話し合いのようです。ただ、劇場の出し物を決めているだけですから、わたしたちに手は出せませんね」
「はい、パンケーキ、お待ち」
イリーナはタートルネックにナプキンをねじ込み、白い陶器の入れ物に入ったメイプルシロップを使い、イヴリーは当然のごとくターコイズブルー・メイプルシロップを使った。
コックはイリーナがパンケーキにナイフを入れるのを見ながら、しみじみと言った。
「普通に食ってくれてるだけでこんなにありがたく思えるんだもんなあ」
「わたしのおかげですね」
「なんで、偉そうなんだ?」
「ラズベリーはあるかしら?」
コックが厨房からぶら下がっている果物籠からラズベリーを小皿に盛って帰ってくる。
イヴリーはというと、入り口から入ってきた三人の男に注意が向いていた。
まだ残暑も厳しい九月のはじめなのに、三人のうちふたりは外套を羽織っている。
ひとりは若く、もうひとりはずんぐりした年かさで伸ばした白髪まじりの髪を後ろで結んでいた。
最後の三人目がポルフィリオ・ケレルマンだと分かった瞬間、先のふたりが外套の下からホイールロック式のピストルを抜いた。
「全員動くな!」
若いほうが叫んだ。両手に持った騎兵用ピストルは相手の馬を撃ち倒すことを考慮した大口径のピストルで人間が生身で食らえば、四肢がちぎれる。
ふたりの男はその銃を油断なく店内に向けて、馬鹿な真似をするものがいないよう睨みをきかせている。
ポルフィリオ・ケレルマンはマフィアたちのテーブルに近づいていく。
「サルヴァトーレ。仕事の最中で邪魔したか?」
「あんた、自分が何をしてるのか分かってるのか?」
「分かってなかったらなんだ? ディ・シラクーザに言いつけるか?」
「いかれてる」
そう言った途端、カステロがギャッとわめいた。
ポルフィリオのふるった山刀が頭のてっぺんを深々と叩き切り、カステロは山刀を頭にめり込ませたまま、えんどう豆の皿に顔を突っ込んだ。
剣の柄を握って、立ち上がろうとするロムノスをもふもふが小さなぷくぷくした肉球の手で押さえる。
「大丈夫、大丈夫でち」
ふたりの手下がロムノスに銃を向ける。
「落ち着くでち」
それに目を配りながら、ロムノスは既に抜いていた指二本分の刃を鞘に戻し、大人しく座りなおす。
そのあいだ、ポルフィリオ・ケレルマンはナイフを取り出してカステロの右耳と切り落とし、それを白いハンカチに包んで、内ポケットに入れた。
「ヴィンチェンゾ・クルスに言っとけ。邪魔するなら、てめえの耳もコレクションにしてやるってな。じゃ、朝飯を楽しめ」
ポルフィリオが棚に積んであったナプキンを一枚取り上げ、それで手の血をぬぐいながら立ち去る。
次に若いほうが、そして最後に年かさのほうの賊が銃を客たちに向けながらじりじりと下がり、ドアから出ようと銃と体の向きを変えたときだった。
「動くな! 銃を捨てろ!」
イリーナが叫び、三度の発射音がした。どちらが先に撃ったか分からなかったが、次の瞬間には年かさの賊が口から血を噴き、背中から出入り口のドアへ倒れていった。
煙を上げる二丁のピストルをイリーナが捨てるあいだにイヴリーは既に抜刀して、外に飛び出した。
若いほう――両手に二丁のピストル。
右の手をイヴリーが斬り飛ばし、左の手は窓を破って飛び出したロムノスが斬り落とした。
銃をもったままのふたつの手が痙攣し、釣り上げた魚のように地面で跳ねるのを見ながら、賊は顔を蒼くしたが、その顔もロムノスの二太刀目で下顎から切り離され、高く舞い上がった。
そして、ロムノスの三太刀目は「出せ!」とポルフィリオが座席で声を上げている逃走用の馬車の車輪を切り離す。馬車は地面をこすりながら右へとまわり、馭者が大きなラッパ銃を手に降りてきたが、イリーナがまだ手がついたままのピストルを拾い上げ馭者の胸を撃ち抜いた。
短剣を抜いたイリーナが馬車の扉を開ける。
車内には誰もいなかった。
そして、床が開いていて、その下には下水道へつながる石板の蓋が開いている。
「逃げられた……」
そのとき燻した甘いにおいがした。
座席に置かれた小さな箱がしゅうしゅうと白い煙を上げている。
咄嗟に外に身を投げ出すが、数瞬後には馬車の扉と屋根が吹き飛び、イリーナは木製の食器を売る屋台に叩きつけられ、意識を失った。
ポルフィリオ・ケレルマン派(ポルフィリスタ)
ポルフィリオ・ケレルマン
ミゲル・ディ・ニコロ
パスクアル・ミラベッラ
ディエゴ・ナルバエス
ルドルフ・エスポジト
ガスパル・トリンチアーニ
アニエロ・スカッコ
ピノ・スカッコ
フランシスコ・ディ・シラクーザ派(フランキスタ)
フランシスコ・ディ・シラクーザ
バジーリオ・コルベック
バティスタ・ランフランコ
†サルヴァトーレ・カステロ 9/7 殺害 【New!!】
アーヴィング・サロス
アウレリアノ・カラ=ラルガ
ロベルト・ポラッチャ
〈鍵〉の盗賊ギルド
〈砂男〉カルロス・ザルコーネ
†〈キツネ〉ナサーリオ・ザッロ 9/3 殺害




