第七話 ラケッティア/マフィア、街の掟と山の掟。
ケレルマン商会は一時期、香辛料貿易に手を出したことがある。
おれが通された客間には様々な島で採れたコショウが小さなガラス壜に入って、マントルピースに並べてあった。
辛さ別に一から十二までの等級がふってあり、誰がこの細かい仕事をしているんだろうと思いを馳せていると、ケレルマンの幹部たちがやってきた。
やってきたのはディ・シラクーザとその副官のバジーリオ・コルベック、ポルフィリオ・ケレルマンの副官ミゲル・ディ・ニコロ。肝心のポルフィリオ・ケレルマンがいなかった。
「ポルフィリオはどうしたんだね?」
「ちょいと風邪で寝込んでますんで」
この場にいる唯一のポルフィリスタであるミゲル・ディ・ニコロがそうこたえる。
高地民族がかぶるツバの反りかえった帽子に刃を剥き出しにした斧を三つの留め金がついたベルトに差し、縮れた顎ひげを伸ばしたディ・ニコロはいかにも山賊出身の幹部に見えるが、実はそうではなく、元は生まれも育ちもカラヴァルヴァの都市犯罪者系幹部だったのだが、山賊に転向した。
山賊以上に山賊らしく見られたいとして、いまのファッションと地位についたのだが、いかにも老練な山賊もどきはポルフィリオは急な病気で来られなくなったといけしゃあしゃあとウソをついたわけだ。
「昨夜〈キツネ〉をメッタ刺しにするくらいの元気はあったのに?」
「あれはうちのもんがやったんじゃありませんよ。ドン・ヴィンチェンゾ」
「その言い訳が治安裁判所で通るといいがな。イヴェス判事はもう逮捕状を請求している」
すると、ディ・ニコロがにやりと笑った。
「誰も目撃したやつがいないのに逮捕状が出るわけがありませんや」
確かにカラヴァルヴァでマフィア絡みの殺しがあったら、その場の誰もが何も見ていないの大合唱をする。
おれたちもそれに助けられたことは何度もあるが、今回は話は別だ。
「目撃者となら、もう話した。ポルフィリオとルドルフ・エスポジトのふたりがメッタ刺しにしたとわしに証言した」
ミゲル・ディ・ニコロはバツの悪そうな顔をした。
確かにマフィア絡みの殺人で目撃者は何も見ていないと言って、協力しない。
だが、それは相手がポリスメンだった場合の話であって、おれが相手なら正直に話す。
そして、七人の目撃者全員が〈キツネ〉がひとりで飲んでいたところにポルフィリオ・ケレルマンとルドルフ・エスポジトがやってきて、三人は口論になった後、〈キツネ〉はふたりにメッタ刺しにされたと話した。
「ともあれ、〈鍵〉の盗賊ギルドと話し合い、今度こそ手打ちにしてもらおう。それが済むまで、カラヴァルヴァじゅうの肉屋はラードのひとかけらだってケレルマン商会からは買わない」
ミゲル・ディ・ニコロは「それは困る」と言ったが、なら約定破りをするんじゃないって話だ。
「犯人を差し出すべきだ」
ディ・シラクーザが言った。
「フランキスタの口出しできることじゃない」
「ミゲル。フランキスタってのはなんだ? 我々はみなケレルマン商会だろう? このままじゃ家畜の処分ができない。一日にかかる餌代を考えろ」
「餌代? あんた、若をそこらのウマゴヤシと天秤にかける気か?」
ポルフィリオは関わってなかったんじゃないのか?って皮肉を言ってやりたかったが我慢した。
ハイ論破、とかやっていいタイミングじゃない。
「とりあえず」
と、ディ・シラクーザがおれに言う。
「家畜の買い取り停止は待ってくれ。ルドルフにけじめをつけさせる。それで手打ちにできるか〈砂男〉にはかってもらいたい」
「ポルフィリオはおとがめなしか。難しいが、やってみよう。それと、今度の手打ちの仲介役はわしということになる。ポルフィリオ・ケレルマンはそれがどういうことか、もちろん分かっているのだろうな?」
「もちろん分かっている。そうだろう、ミゲル?」
「ああ、もちろんだ」
「それともうひとつ、いまイヴェス判事があんたたちを挙げようと動いている。おそらく聖院騎士団や〈聖アンジュリンの子ら〉にも協力を要請しているはずだ。これをわしが止めることはできない。それはケレルマン商会で対応してもらわないといけない」
「もちろんだ。ドン・ヴィンチェンゾ。恩に着る」
――†――†――†――
ドン・ヴィンチェンゾが帰ると、間もなく香辛料の間にポルフィリオがあらわれた。
目についた椅子に腰かけると、不機嫌に舌打ちして言った。
「ヴィンチェンゾ・クルスの条件を呑むのか?」
ディ・シラクーザがうなずいた。
「それしかない。なぜ〈キツネ〉を殺したりしたんだ?」
「逆にきくがな、どうして〈キツネ〉を生かしたりしないといけないんだ? 欲しいものがあれば奪う。それが山の掟だ」
「ここはアルバレスの山奥じゃないんだ。ポルフィリオ」
そう言ったのはフランキスタの副官バジーリオ・コルベックだった。
スペード型のヒゲも散髪でこまめに刈った髪型もチョッキから時計の鎖を垂らす服装も都市生活型の品のいい老紳士であるが、元は残酷な山賊であり、ディ・ニコロとは逆の犯罪者人生を歩んでいた。
「バジーリオ。あんたはすっかり街の水に馴れちまったんだな。オヤジが見たら、きっと嘆くぜ」
「そうでもないさ。ポルフィリオ。ドン・ガエタノはおれが誰かを血祭りに上げるたびに、お前はもうちょっと街の連中のやり方を見習ったほうがいい、忍耐ってもんを知れと言ったもんだ。それより何か飲めよ」
ポルフィリオは、ふん、と鼻を鳴らすと、そばのコーヒーテーブルに足を乗せ、コルベックからグラスを受け取った。
「ラムってのはどうも好かねえな。酒に味がつき過ぎてる。所詮、海賊の飲み物だ。それはそうと、ルドルフだがな、絶対に引き渡さねえぞ。あいつはおれの子分だ」
「ルドルフはケレルマン商会の組員だ。そして、やつとあんたがやったことで商会は大きな損害を負う寸前だ。しかも、あんたのシノギが潰されるんだ」
「家畜くらいカラヴァルヴァ以外でもさばける」
「無理だ。クルス・ファミリーの肉屋ギルドへの支配は他の都市にも及んでいる。それにたとえ、肉が売れたとして、どうやって運ぶ? 運送会社はクルスのものだし、ギルド所属の馭者たちもそうだ」
「盗んだからって牛や豚から足がなくなるわけじゃない。歩かせるさ」
「それはいいな。つぶさず家畜どもを歩かせる。だが、どうしても途中で餌をやらないといけない。だが、どの宿場もあんたに糧秣を売らない。なぜならクルスが主要な街道の修理費用をいくらか出している。そのおかげで宿場の町長は国から支給された道路整備費を懐に入れられる。だから、クルスに逆らって、糧秣を用意するようなことはしない。ポルフィリオ。頼むから冷静になって商売で考えてくれ。これはずっと複雑な問題なんだ」
「フランシスコ。あんたこそ、もっと別の見方ってのを学ぶべきだぜ。あんたはいつもカネだの商売だので考えるが、おれはおれの子分に対して責任がある。あんなクソジジイに脅かされて、子分を盗賊ギルドに売ったりしたら、誰がおれを尊敬する? 誰がおれを恐れる? あ? こいつはカネの問題じゃない。仁義の問題だ」
「じゃあ、〈鍵〉の盗賊ギルドに対する仁義はどうなる?」
「相手ってもんがあるだろうが、相手ってもんがよ。あいつらはおれが縄張りを広げる邪魔をしくさった。ホントは全員皆殺しにしてやりたいところを我慢して〈キツネ〉一匹ですませたんだ。あいつらはおれに感謝するべきなんだぜ」
バジーリオ・コルベックが首をふりながら、いかれている、とつぶやいた。
すると、ポルフィリオは、そうだ、おれはいかれてるのさ、とこたえる。
「そもそも山ってのは人間をいかれさせるように作られてるんだ。光も差さない深い谷や夏場の狂ったような蚊柱や山の魔物。みんな山の意志だ。人間なんてみんないかれちまえって意志だ。だが、困ったことにその人間ってのがよ、山以外の場所で暮らしたら、腑抜けになるように出来上がってるのさ。いかれるか腑抜けになるか。それなら、おれは喜んでいかれるぜ。バジーリオ。いまから山に戻ってこいよ」
「いや、結構だ」
「本当にあんた、変わっちまったんだな。それもあの売女と結婚してから――」
ディ・シラクーザが咄嗟にコルベックの肩をつかんだ。
山刀のように大きなナイフを半ばまで抜き、立ち上がりかけたところで椅子に引き戻される。
「ポルフィリオ。バジーリオの女房は関係ないだろう?」
「どうだかな。なあ、バジーリオ。あんたは死ぬまで山賊だぜ」
コルベックの目は怒りで静かに燃えていたが、すぐに落ち着きを取り戻し、殺気を吐き出そうと長くため息を吐いた。
ディ・シラクーザが肩を叩くと、帽子を手に立ち上がる。
「とにかく、今度の手打ちはしくじらないでくれ。しくじれば、クルスと戦争だ」
――†――†――†――
ディ・シラクーザとコルベックがアルトイネコ通りを渡って馬車に乗り、サンタ・カタリナ大通りへと出ていくのをしばらく眺めていたが、そのうちポルフィリオは激高し、手に持ったグラスを壁に投げつけた。
「ふざけやがって! ディ・シラクーザの野郎! すっかりボス気取りで、指図しやがって。それにバジーリオのドアホが。すっかりやつの飼い犬になってやがる」
「どうする? 今度はクルスが相手になる」
「ミゲル。ミラベッラに連絡して、連れてこれるやつ全員連れて、ここに来るよう伝えろ。それと、ルドルフ!」
続き部屋のドアが開き、鼻筋がほっそり通った背の高い優男があらわれる。
「お呼びですか?」
「お前はしばらく隠れてろ。きっとあいつら、お前を狩るからな。まあ、そう長い時間じゃねえ」
「わかりました」
「間違っても女のとこに行くんじゃねえぞ」
そう言いながら笑うルドルフはなるほど天使のようだった。
「大丈夫ですよ。おれもそんな馬鹿じゃありません」
「よし。ディ・シラクーザをぶっ殺すぞ。ひとつのファミリーにボスはひとりで十分だ。おい、スカッコ兄弟に連絡とって、誰か腕の立つやつを送らせ――」
そのとき、館付きの執事があらわれて、困った様子でポルフィリオに道路管理官が来ていると言った。
追い返しちまえ、というより先に道路管理官の証の大きなメダルを首から下げた男がやってきて、モンキシー通りの三号桟橋前で出している屋台について、届け出が出ていないと言い始めた。
よくある賄賂の要求だと思い、ディ・ニコロが金貨を一枚持ってくるよう執事に言おうとしたが、それより先にポルフィリオの手が出た。
金の指輪がはまった手で道路管理官の顔の真ん中を殴りつけ、床に倒すと、馬乗りになり拳を振り下ろし続けた。
紫に腫れた顔が裂けてどす黒い血が噴き出しても殴るのをやめず、ポルフィリオは大声で何度も叫んだ。
「てめえを山の神に捧げてやる! 捧げてやるぞ!」
ポルフィリオ・ケレルマン派(ポルフィリスタ)
ポルフィリオ・ケレルマン
ミゲル・ディ・ニコロ
パスクアル・ミラベッラ
ディエゴ・ナルバエス
ルドルフ・エスポジト
ガスパル・トリンチアーニ
アニエロ・スカッコ
ピノ・スカッコ
フランシスコ・ディ・シラクーザ派(フランキスタ)
フランシスコ・ディ・シラクーザ
バジーリオ・コルベック
バティスタ・ランフランコ
サルヴァトーレ・カステロ
アーヴィング・サロス
アウレリアノ・カラ=ラルガ
ロベルト・ポラッチャ
〈鍵〉の盗賊ギルド
〈砂男〉カルロス・ザルコーネ
†〈キツネ〉ナサーリオ・ザッロ 9/3 殺害




