第五十八話 スケッチ、〈ラ・シウダデーリャ〉におけるクルス・ファミリーの日常。
来栖ミツルが最初で、続いてアサシン娘たちが大砲で飛んでいっても、クルス・ファミリーは商売をまわしていかないといけない。
財務はエルネストが、法務はカルデロンが担当するとして、全体を見通して悪さをする来栖ミツルがいないので、大きな商売を始めるといったことはできない。
ただ、現状維持なら十分できるし、諜報が必要なときはトキマル、腕っぷしが必要なときはグラムと〈インターホン〉、狙撃がシャンガレオンといった具合で大きな抗争が起こらなければ何とかなる。
もちろん、はやく帰ってくれるに越したことはないのだが。
〈ラ・シウダデーリャ〉の一階にあるグラムの酒場では珍しく、〈インターホン〉が大きなエプロンをしてカウンターに入り、魚を焼いていた。
大きなハタをぶつ切りにして、超特大フライパンで焼くだけだが、この時期のものにしては脂がのっていて、ハーブとニンニクも手伝って、実にいい匂いがしていた。
グラムはと言うと、テーブルに座って、鼻歌を歌いながら赤ワインに入れるレモンとオレンジを、人魚を象った果物ナイフで薄切りにしている。
店は閉店の札をかけていて、二階の事務所にいるエルネストとカルデロンの四人で昼食を取る予定だ。
火がしっかり通り始めたころ、カルデロンが裏口から顔を出し、
「昼はどうだね? ちょっと、ききたいんだが――おお、いいにおいだ。来栖くんは手の込んだ料理をつくれるが、たまにはこういう大雑把でドカンとしたのもいい」
魚そのものの脂で白身が焼けるのは本当にいいにおいで、グラムも鼻歌を唸りながら、まな板の柑橘をワインを入れたピッチャーに落としている。
エルネストもやってきて、ラケット・ベルが置いてある別のカウンターを見る。先ほどまで月に一度の賄賂がむき出しのコインのまま積み上げてあり、警吏と捕吏によってあらかた持っていかれていたが、金貨二枚だけが置いたままにしてあった。
「誰の分だい? この賄賂」
「ガメローニ」
「ああ、彼か」
「あのクズに金貨二枚も価値があるか?」
「でも、来栖くんが二枚払うって言ってるんだろう?」
「そうだけど、あんなやつ銀貨五枚でも払いすぎだ」
「仕方ない。イヴェス判事とダミアン・ローデウェイク以外の司法官に職業倫理を求めても仕方ない。仕方ない」
「あのハゲ、おれが談判してやりてえよ。銀貨三枚で」
「やめとけよ、グラム。ボスが金貨二枚でいいって言ってるんだから」
「汚職警吏は甘やかすとつけあがる。ボスがカンパニーのクソ判事にぶち込まれたときだって、あの野郎、一番に寝返りやがった」
「こっちが有利になったら、そのときも一番に寝返ったがな」
「しかし、ガメローニねえ。彼みたいな汚職警吏の代名詞が賄賂を一番最後に取りに来るとは」
「気取ってやがるのよ。あのハゲ」
「前に会ったとき、挨拶するのに絶対帽子を取ろうとしないんだよ」
「ハゲ隠しなんて意味ないだろうが。やつがハゲなのはみんなが知ってる」
「あの前のところにだけ、ちょっと髪が残っているのは、あれはわざとしているのかな?」
「捕吏のトマソからきいたんだがな、ガメローニの禿げ方はいわゆる登頂部拡大型で、まず最初に頭のてっぺんから禿げ始めた。そして、それが徐々に大きくなり、そのうち前髪にまで到達したわけだが、前髪の一番前の部分が禿げ散らかされずにかろうじて残ったわけだ。あのハゲの髪に対する態度はアル中の酒に対するそれで、やつは髪がもったいなくて、剃れずにいるんだよ。あんなふうに前髪だけ残ったほうが笑えるってのに」
「グラム教授のハゲ講義はもう十分だよ。それより、もうじき焼けるぞ」
「そのことなんだがな。いま、トキマルくんが来ていて、昼はまだらしい。もうひとり増えても大丈夫かね、コック長殿?」
「大丈夫だろう。魚屋で一番デカい魚を買ってきたから。それにあいつは小食だ」
「それに何でもショーユをかける。そりゃあれも味は悪くないが、何でもかんでもショーユじゃ料理の意味がない」
「そうなんだよねえ。じゃあ、ぼくとカルデロンは二階に戻るよ」
「出来上がったら、呼びに行くよ」
ふたりが戻ると、〈インターホン〉がにやりと笑って、
「こう来ると思って、もう一匹スズキを買っておいた。ほら」
そう言って、フロストゴーレムの冷温箱からたっぷり二キロはありそうな大きな銀色のスズキを引っぱりだして見せた。
警吏のガメローニがやってきたのはちょうどそのときだった。
「治安裁判所だ! 全員、お縄をちょうだいしろ! ハッハ! 驚いたか? ビビらせちまったかな? ガメローニさんがやってきた。かわいこちゃんはどこだい?」
虫歯らだけの乱杭場が嫌でも目に入る笑い方を見て、グラムは顔をしかめて眉根を寄せて、あからさまに嫌な顔をした。〈インターホン〉も顔を合わせたくないと言わんばかりに背を向けて、スズキに包丁を入れて、ハラワタを抜き始める。
「なんだよ、つれないな。〈インターホン〉。サアベドラは元気か?」
「ああ」
「いいにおいだ。これで尻に敷かれても、主夫としてやってけるな」
「おい、さっさと賄賂を持ってって帰れよ」
「そう釣れないこと言うなよ、グラム。仲良くやってこうじゃないか」
そう言いながら、スロットマシンのカウンターへぴょこぴょこと変な歩き方をした。
右足を爪先以外が地面に触れないよう、左足で跳ねるように歩くのだ。
それが街道盗賊時代の怪我で足を引きずるグラムの歩き方を風刺画みたいに大袈裟にしたものなのは一目瞭然だった。
グラムは黙って、レモンを切り、赤ワインの入ったピッチャーに落としている。
「おい、ガメローニ。笑えないぞ。その冗談」
〈インターホン〉がたしなめる。
「なんだよ。ユーモアのセンスがまともなのはおれひとりか。冗談だよ。怒んなって」
「別に怒ってなんかねえよ」
ガメローニは二枚の金貨をポケットに突っ込むと、
「なんで、おれの賄賂が金貨二枚になったか知ってるか?」
「さあな」
「〈インターホン〉。何でだと思う?」
「知らん」
「つれないじゃねえか。お前の未来の義理の兄貴に関わることなんだぜ?」
「ヨシュアのことか?」
「おれに借りのある男娼がいるから、そいつをヨシュアにあてがって現場おさえて、ぶち込んでもいいと言ったんだが、しなくていいって来栖ミツルに言われたんだ。それで、そのことは忘れろって言って、金貨二枚。なあ、これ、未来の兄貴にも脈ありってことか? 嫌い嫌いも好きのうちって言うじゃねえか」
「おい、もうやめとけ」
「〈インターホン〉、冗談だよ。なあ、グラム?」
「ああ、そうだな……冗談だ」
「ガメローニ。人生左右する忠告だ。何も言わず、賄賂持って、店を出ろ」
「なんだよ。何か言ったら、どうするんだ? おれ、警吏なんだぜ? 警吏殺しはご法度だろ?」
「グラムの忍耐力を試すのはもうやめろ。ほら、帰れよ。ひと言も口をきくなよ?」
ガメローニは分かった分かったと口をぴたりと閉じ、両手を上げて、扉へ下がった。
そのまま黙って、出ていけばよかったのだが、グラムのそばを通り過ぎるとき、
「じゃあな。オカマびいきのぴょこぴょこおじさん」
と、言ってしまった。
クルス・ファミリーで最も警吏を嫌うグラム相手に堪忍袋の緒がどのくらい持つかを試すエクストリームスポーツ、本当に死んでしまう黒ひげ危機一髪。
だが、グラムは我慢した。
我慢できなかったのは〈インターホン〉だった。
大きなスズキの尻尾を握って、棍棒のようにガメローニの頭をぶん殴り、よろめいたガメローニを羽交い絞めにする。
「殺っちまえ!」
グラムは人魚の形に削った柄の果物ナイフをガメローニの薄い胸に突き刺した。
肋骨をガリッと削った刃が柄まで通り、無理やり引き抜くと激痛が襲う。
「くたばりやがれ、この!」
もう一度突き刺すと、揉み革外套で刃が滑ったので、少し身を引き、下腹部を下から突き上げるように抉る。
「クソハゲがあ!」
「調子こきやがって!」
すると、ガメローニがわめきだし、〈インターホン〉の足が宙ぶらりんになった。
なんと二メートル近い〈インターホン〉の巨体を背負って、羽交い絞めから逃れようとして、顔を真っ赤にして身をよじり右に左に振り回している。
「おい、はやくぶっ殺せ――うお!」
〈インターホン〉が吹っ飛ばされて、カウンターにぶつかり、ゴト師の一撃を食らったみたいにスロットマシンから銀貨が流れ出した。
〈インターホン〉の束縛から逃れた警吏は瀕死の怪力でグラムの首をつかみ、壁に押しつけたが、グラムは下腹部に刺さったままのナイフをねじって横に刃を寝かせ、思いきり横一文字に切り裂いた。
加工済みの革と蒼白い人間の皮が一度に裂けるジャクジャクした感覚が手に伝わり、ガメローニの喉から言葉にならない悲鳴が上がる。
「ああああああああ!」
「〈インターホン〉! なんとかしろ!」
〈インターホン〉は薪を裂くのに使う手斧をガメローニの背中に叩きつけた。
グラムの果物ナイフも体から抜けたので、既にぼろぼろになっている揉み革外套の胸と腹を刺しまくり、後ろからは〈インターホン〉が頭、首、肩を斧で滅多打ちにする。
「死ね、クソ野郎!」
「死ね死ね死ね!」
ガメローニの馬鹿力も尽きたのか、膝から力を失った体はぐんにゃりと芯を失って、壁に血の跡を残しながら、ずるずると縮まった。
〈インターホン〉が斧を返して、堅い峰をトドメとばかりにハゲ頭に叩きつけると、頭が卵の殻みたいに割れた。
ぜえぜえ肩で息をしながら、ふたりは自分たちの仕事ぶりを落ち着いて眺める余裕を取り戻した。
死体が凄惨なのは言うまでもないが、ワインのピッチャーが倒れて、床をびしょびしょにして、魚は焦げて、ラケット・ベルはまだ銀貨を吐き続けている。
「くそ。ヤバいな」
グラムはそう言いながら、テーブルクロスを引っぺがして、ガメローニの体を包み始める。
「その手馴れた様子だと、あんた、こういうのこれが初めてじゃないな?」
「まあな。しかし、クズ野郎め。調子こきやがって。とにかくサツにバレるとかなりやばい」
そのとき、酒場の扉が叩かれて、ふたりは飛び上がりかけた。
「誰だ?」
「捕吏のトマソだよ。ここにうちの御大は来てないかい?」
「さあ。まだ来てないな」
「おかしいな。今日、賄賂の日だろ? ガメローニの旦那がバックレるなんてありえないと思うんだけどな」
「変なこともあるもんだ」
「料理屋街かもしれないな。そっちに行ってみるよ」
捕吏が帰っていくのをわずかに開けた窓から確認すると、こいつを川に捨てないといけないことになった。
「お腹すいた。メシは――ゲッ、なにこれ?」
トキマルがやってきた。
そして、当然の質問が飛ぶ。
「ガメローニだ。警吏の。名前くらいきいたことあるだろ?」
「もういい。おれは何も見なかった」
「いやいや。ちょうどいい。人手が欲しかったところだ」
「やだよ」
「まだ、何も言ってねえだろ?」
「きかなくても分かる」
「これからこの馬鹿を川に捨てるんだよ。でも、このままじゃ目立つだろ? だから、バラバラにして持ってく。頭と胴体、左腕と右腕、左足と右足だ。でだな。胴体は〈インターホン〉が持ってく」
「おれが胴体かよ?」
「このなかで一番デカいのはお前だろうが。お前が持てば胴体もどこかで買ったステーキ用の肉にしか見えねえさ。で、後の手足を一本ずつ、おれとお前と、それにカルデロンとエルネストに持ってもらう」
「じょーだん」
「これが冗談言ってる状況に見えるか?」
「正気? だいたい、人が足りないでしょ。誰が頭持つの?」
「それは心配ない。コーデリアを呼ぶ」
「持つわけないでしょ」
「頭っつったって布でぐるぐる巻きにした頭だ。中身が分からないようにな。それを古代の王族のミイラの一部だとか何とか言って、これを川に捨てながら祈ると古代の呪術的な何かで願いが叶うって言ってやる。そうすりゃ、ヘボ詩人の大成を祈って、こいつを川に捨ててくれるってわけよ。あいつ、頭がよくてカンもいいから普通なら気づくだろうが、あのヘボ詩人のことになるとパアになるからな。分かったら、カルデロンとエルネストを呼んできてくれ。飯ができたってな」
その夜、エスプレ川に六つに切り分けられた警吏が捨てられ、そのうちの頭部はウィリアムの詩が世間に認められて、宮廷詩人に選ばれますようにという少女のひたむきな願いとともに投ぜられた。
今日もクルス・ファミリーは異状なしである。




