第五十三話 アサシン、ヨシュアの場合。
リサークによる壁の清掃と落書きスローガンのマッチポンプ・ビジネスの確立をヨシュアはどんなふうに見ていただろうか?
意外にも余裕である。
いまも、早朝、レジスタンスの隠れ家から離れた地区をひとりで歩いている。
相変わらず奇形のネズミを焼いて薄いパンに挟んだり、ブリキの箱でつくった錆の浮いたスープをすすったりしている不健康な立ち食い労働者たちが道の屋台にズラリと並び、帝国の装甲車が竜でも堕とすつもりか弩砲に高い仰角を取らせているのだが、空は灰色の錆と煤の幕がかかっていて、不健康この上ない。
この文明は弩砲やあるいは魔導砲をつくることはできるらしいが、火器の小型化には成功していない。
そんななか、ウェティアは革命的な火力と言える。
本人はその火力とはフレイにつくってもらい、革製のホルスターにおさめた雷管式リヴォルヴァーのことだと思っているが――きいた話では弓術士から銃術士と名を変えたとか――、レジスタンスのふたりも、そして、ヨシュアとリサークもウェティアの火力とは、例のどんがらがっしゃんだと思っている。
リギッタとヴィクターがたずねないので、あえてこたえないことにしているが、おそらくふたりはウェティアのずっこけ爆発は本人の意志で制御可能であり、アジトで転んでも、それは破滅的な大爆発にはならないと思っている。
そこに事実を知ることへの恐れがあるのは間違いないが、しかし、自分たちが実は非常に不安定な爆発物と暮らしていると認識したところでどうしようもない。
いや、ヨシュアはウェティアを紹介するとき、一応、不安定な爆発物と紹介したのだが……。
まあ、いらん心配を与えてもしょうがない。
クルスミツル・クリーン・カンパニーの噂は入ってきているが、ヨシュアはむしろ軽蔑すらしている。
というのも、リサークのやつ、自分の会社を調べようとした帝国の役人や密偵を立て続けに殺しまくっているからだ。
そんな力業に頼ったラケッティアリングはラケッティアリングにあらず。
これからヨシュアがやろうとしているラケッティアリング『窓の取り付け』はもっと洗練されているし、何よりマフィアの故事に乗っ取っている。
ウィンドウズ・ケース。
来栖ミツルによれば、「ニューヨーク市内に低所得者向け公営住宅を供給するニューヨーク市住宅公団という組織がある。この住宅公団が78年から90年までの十二年間、窓の取り付け工事のために1億9100万ドルを支払ったのだが、そのうちの約75パーセントにあたる1億4200万ドル分の工事をマフィアがつくった建築会社が請け負っていた。ニューヨーク五大ファミリーのうち、四つのファミリーが共同でつくった建築カルテルは住宅公団の窓の取り付け工事を不正な入札で手に入れ、窓ひとつ取りつけるごとに5ドルを上乗せしていた。つまり、ニューヨーク市内で見かける公営団地の窓のほとんどが払わなくてもいい5ドルを支払わされているということだ。そうしてまきあげられた5ドル札の集合体はロングアイランドの豪邸を買ったり、ケイマン諸島の銀行やリヒテンシュタインのプライベート・バンクを経由して、アフガニスタンのヘロインを買うのに使われたかもしれない。このインチキ建築カルテルは91年に発覚して、マフィアの大物と政治家と労働組合を巻き込む大スキャンダルになったんだ」
ヨシュアはベルトのバックルに触れ、押し込み式の小さな出っ張りを押し込ん、隠しスペースを開けた。
本来はそこにはプッシュ・ダガーという小さな取っ手と小さな刃の非常用ナイフを入れておくのだが、ヨシュアのバックルには折りたたんだ紙が入っている。
それは話に興が乗った来栖ミツルがヨシュアに説明しようと興奮気味に書いた――そう、ヨシュアのためだけに書いたウィンドウズ・ケースの全貌図だった。
――†――†――†――
ニューヨーク市住宅公団←←←←←←納税者の税金
↓ ↑
↓ ↑
窓を発注 不正入札(窓ひとつに5ドル余分に請求)
↓ ↑
↓ ↑
【鉄工労働者組合 第580支部】
ルケーゼ・ファミリーの支配下 カルテルの中心
・ヴィクター・アムーソ(ボス。殺人で終身刑)
・アンソニー・カッソ(アンダーボス。94年、情報提供者)
・ピーター・チオド(幹部。92年暗殺未遂、情報提供者)
↓
↓
仕事と5ドルを分配
↓
↓→→ジェノヴェーゼ・ファミリー
↓ ・ベネロ・マンガーノ(アンダーボス。脅迫で禁固十五年)
↓ ・ジェラルド・パッパ(兵隊。80年、殺害)
↓
↓→→ガンビーノ・ファミリー
↓ ・ピーター・ゴッティ(幹部。脅迫で禁固九年)
↓
→→→コロンボ・ファミリー
・ベネデッド・アロイ(相談役。脅迫で禁固十六年)
――†――†――†――
ヨシュアの家宝である。
大事な暗殺など大きな仕事の前はこの来栖ミツルの直筆書状をそっと胸に抱き、勇気をもらう。
ヨシュアの考えた『窓の取り付け』ラケッティアリングはまさにこの事件にヒントを得ている。
このラケッティアリングが成就すれば、来栖ミツルの好感度は爆上がりだ。
ヨシュアのウィンドウズ・ケースは簡単だ。
この国では窓を取りつけると課税される。
だから、この街はろくな窓がないのだ。
課税対象は窓の取り付けを行った業者が支払う。
業者は窓代に税金で取られる分を上乗せするので、施工費がとんでもない額になる。
そこを、クルスミツル・ウィンドウズ・カンパニーは通常の半分以下の値段で窓の取り付けを請け負う。
安いので、みなが窓の取り付け注文を持ってくるというわけだ。
クルスミツル・ウィンドウズ・カンパニーはレジスタンスから受け取ったカネで買い取った部屋がひとつだけの小さな建築会社で――もちろん窓はない――、前の会社から勤めている若いが働き者の善良な書記が帳簿をつけてくれる。
「おはようございます、社長」
こっそり開けた採光窓と蝋燭で何とか仕事をできるだけの光量が確保された事務所にて、クラウツァンという書記が帳簿を綴る手を止めてぺこりと挨拶する。
「職人たちはどうだ?」
「みな仕事にあぶれていましたからね。喜んでます。でも、社長。窓の取り付けですが、人件費と材料費を差し引いた上で我が社には三万フレアが残ります」
「上々だ」
「でも、払わないといけない税金が四万フレアあるんです」
「そうか」
「社長。これ、税務署に刺されます」
「そうか」
「税務署は専属の暗殺部隊を持っているから本当に刺されますよ」
「わかった」
そう、ヨシュアは税金を払うつもりはない。
これこそが勝利の絶対条件なのだ。
この税金をバックレるラケッティアリング――カノーリと同じなのだ。
ニューヨーク・マフィアの故事をおさえ、カノーリを思い出させるこ無敵の布陣。
リサークなど敵ではない。
社長用のデスクに着き、税務署の役人がやってくるのを待つと、貴石のサークレットをした気取った男があらわれた。
「こいつは暗殺者か?」
「いえ、違うと思います」
サークレットの男は帝国財務局の徴税人を名乗った。
「国家と皇帝陛下に納めるべき租税があるときいた。払ってもらおう」
「いくらだ?」
サークレットの男は手帳のようなものを開いて、眉根をわざとらしく寄せてから、手帳を閉じ、言った。
「六万フレアだ」
クラウツァンは不安げにヨシュアと徴税人の顔色を覗っている。
まず、ヨシュアを、次に徴税人の顔を見て、またヨシュアを見て、徴税人の顔に戻ったのだが、そこに徴税人の貴石で飾った気取った顔はなかった。
ヨシュアに髪を鷲づかみにされ、社長用の机に顔を叩きつけられていたからだ。
ヨシュアは一度叩きつけると、また引き上げて、激しく叩きつけ、そのたびに魚が上に口を開いた意匠のブリキ製ペン入れがぴょんと飛び上がった。
サークレットの貴石は粉々になり、額からだらだらと血を流したあたりで徴税人を解放し、事務所の外まで飛んでいけるよう、力いっぱい尻を蹴り飛ばした。
「しゃ、社長」
「クラウツァン。お前が計算した税金は四万フレアだったな?」
「は、はい。それより、これは――」
「つまり、やつは二万フレアを懐に入れるつもりだったわけだ。まあ、払うつもりのない税金のピンハネに憤っても仕方がない。役人はどこにいても腐る。それより、次の窓工事の材料と職人をおさえろ」
「税金を払いましょうよ。これ、絶対マズいですよ」
「税金を払ったら、ラケッティアリングにならない」
「なんなんですか、そのラケッティアリングって? 税務署の暗殺部隊が僕らを本気で殺しに来ますよ! ラケッティアリングにそれだけの価値があるっていうんですか!」
「ある」
「ぼ、僕、会社、やめてもいいですか?」
「ダメだ」
「うう……」
次の日、あわれな社畜のクラウツァンは逃げずに出勤してきたが、社長のデスクにずっとにこりと笑ったままの糸目の若い女性がいて、心臓が口から飛び出しかけた。
「あの、弁解してもいいですか?」
微笑みの女はうなずいた。
「僕は税金を払ったほうがいいと言ったんです。でも、社長、きかないんですよ。ホントに暗殺部隊に殺されちゃうって言ったんです」
「部隊じゃありません」
暗殺者が言う。
「殺しに来たのはわたし、ひとりです。いまから四万フレア納めていただければ、それでも構いませんが」
「その、三万フレアしかないのです」
「ふむ。どうしてこの事業所の事業主はそんな安価で窓の取り付け工事を請け負ったんです? まるで最初から税金を払うつもりがなかったかのような。……まあ、四万フレアを納税してもらえない以上は死んでもらうしかありませんね」
ヨシュアは朝の九時にやってきて、自分の椅子に座っている糸目の女暗殺者を見た。
すると、その視線をなぞって返すように手裏剣が飛んできたのを、軽く首を傾けて避け、そして、クラウツァンに新しい工事の職人と材料は確保できたかたずねた。
「それどころじゃないですよ、社長!」
「工事のスケジュールが立て込んでいる。なにより、あのいまいましいリサークの壁清掃会社が十万稼いだらしい。遅れをとるわけにはいかない」
「でも、暗殺者が――あれ、いない?」
暗殺者はいなくなり、椅子の背もたれにはヨシュアが放った二本の大きなナイフが深々と刺さっている。
少女はくるっと宙で体勢を変えつつ、手裏剣を放ち、ヨシュアがかわすと、その位置を読んで斬撃を繰り出した。
その刃に蹴りを合わせて、打ち返し、バックステップで間合いをかせいだ。
女暗殺者のほうがボロっと刃がこぼれ落ちたナイフを見て、
「そのブーツ、靴底は何で出来ているんですか?」
「アダマンタイト」
シカゴの花屋でギャングのボスだったダイオン・オバニオンの最期の言葉は「やあ、注文していた花を取りに来たんだな?」だった。
最後のロシア皇帝ニコライ二世は夜中に自分を叩き起こし人民裁判の判決を読み上げる革命家たちに「なに? なんと言った?」と言った。
アメリカ南北戦争中の北軍の将軍ジョン・セジウィックの最期の言葉は「何をそんなふうに伏せているんだ? 敵など見えんぞ。たとえ象がここにいたって、やつらの弾が命中するわけはな――」だった。
こうした最期の言葉に比べると、アダマンタイト、という言葉はドラマ性も意外性もクスッとくる黒いユーモアもない。
だからこそ、こんなつまらない今際の言葉では死ねないと思ったからこそ、ヨシュアは返答した直後の斬撃をかなりのギリギリでかわしたのだ。
どのくらいギリギリかと言うと、クラウツァンは「社長が死んだ! 税金を払おう!」と思ったし、暗殺者も「殺れた。まあ、久しぶりに骨のある相手を殺せた」と思うくらいギリギリだったが、ヨシュアは自分の間合いの目測に絶対の自信を持っていたから、相手の攻撃は刃が上衣に触れたのが分かるくらいの僅差で外れ、踏み込み過ぎた相手のこめかみ目がけて、右の掌打をぶち込むことができた。
よろめいた暗殺者のほうが脳震盪を起こしていたようだが、そこに同じ掌打を二撃目、三撃目と容赦なくぶち込む。
忘れられがちだが、彼はサアベドラの兄である。
刃物を握ったヨシュアよりも、むしろ素手のヨシュアのほうが危険かもしれないのだ。




