番外編・来る者拒まず去るもの追わず ②
喉が熱い。
焼けつくように痛むのは喉だけなのか、それとも・・・
「例の人だろ?」
「――分かってるんなら聞いてこないで下さいよ」
思わず唾を飲み込んだ。
慌てる自分を誤魔化す為か、喉の熱さを抑える為か。
「嫌なら会わなきゃいいだろ?」
「別に嫌だとか言ってるんじゃないんです」
「じゃ、何で面倒くさいんだよ」
やっぱり、ほら。例の如く面倒くさい。
己で撒いた種とは言え、言うべきではなかった・・・。
「・・・・どうして欲しいか言わないんです」
「は?」
「何ていうか・・・。俺からのアクション待ってるだけで何も言わないんです」
そう。
彼女はいつもそうだ。どうしたい、とか、こうしよう、とか少しでも彼女なりの言動が確認出来れば、次のアクションへと移れるというのに・・・。
「それ、あっちの遠慮とか思わないわけ?」
「会ってる当初はそう思ってました。全然不快じゃないし、むしろ好印象っていうか」
「じゃあ、察してやれよ~」
「・・・・・・」
いかん。イライラしてきた・・・。
分かってる。石渡さんが悪いんじゃない。俺が悪いんだ。
――でも、どうしても気持ちを抑えられない。こと、この件に関しては・・・。
「待ってるだけならいいんですけど」
「ん?」
「俺に次にこう言わせようとしてるのが、手に取るように分かってきて興ざめしてくるんです」
俺をチラリと眺めた後、石渡さんは溜息を一つ零す。
俺の話なんか聞いちゃいないような素振りで。頬杖をついて。
「美沙ちゃんに会う前に戻っちまったな」
「はぁ?!」
「かえって悪化してんだもんなぁ」
(我慢しろ。耐えろ・・・)
煮えたぎるような熱い思いは、その代わりを果たすように拳を強く握る事で誤魔化した。
それでも沸騰しそうで零れそうで、グイっとワインを煽った。
「そこまで言い切るなら、もう会わないって一言言えば済む事だろ?」
「っ」
「何でそんな相手に期待させるようなことするんだよ、お前は」
そう。
まったくもってその通りだ。
分かってる。
「あー・・。面倒くさい・・・」
小さく零れた。
抑え切れない熱が、沸騰した如く。
「決めた。今日はお前んちに泊まる」
「ちょ、何言ってるんですか?」
「お前さ」
反論の声を上げようとする俺に被さる低く静かな声。
おまけに顔はこれ以上ない程に真剣で、それでいて目は鋭い。
めったにない、久々に見る顔だ・・・。
「ちゃんとストレス発散してんの?だいたい酒飲むのだって久々なんだろ?何そんな禁欲生活みたいな事してんの?」
「それ、は・・・」
「色々大変なのは分かるけど、自分の気持ち誤魔化してても何もいいことないぞ。それからな」
瞬間、目の前を手が掠めた。と思ったと同時に胸元のシャツを強く引っ張りあげられる。
首が、締め上げられた。
「お前の状況がどうだろうが、向こうだって一人の人間で、色々考えてる人なんだよ!いい大人なんだから、それぐらい察してやれ」
「・・・・っ、石渡さ・・・」
「お客様?!」
「あっ。マスター、ごめんねぇ。何ともないんだよ~。俺、酔っちゃったみたいで」
手が離されると同時に猫なで声が頭上から落ちて来た。
冷や水を浴びせられたようで、複雑な気持ちとともに軽く咳き込んでいた。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
何も言えない、言いたくない。
今、零れるように口から出てくる言葉は全てが言い訳になって、またこの人を激昂させるだけ。
でも。
それでも、言わなくてはいけない時もある・・・。
「ずるいのは分かってます。でも言えないんです。真面目な人だから余計に・・・」
「・・・・・・・・」
「何て言うのが一番いいのか分かんないんです」
「何言ったって傷つくんだから、だったら精一杯の気持ち言えば?勿論、暴言はなしだぞ」
(・・・・・・・・)
どこまでも真っ直ぐで、つくづく羨ましい限りだ。
この人の信念は尊敬に値する。俺もそうなれればいい。
が。
俺は出来ない。多分。この先も―・・・。
◆◆◆
「中林さん。お聞きしたい事があるんです・・・」
飯にでも・・・、そう告げた後で紡がれた言葉は彼女をより一層暗く、真面目な顔にさせている。
「はい・・・」
そうか。
これで、俺と彼女との間が決定するのか・・・、そう悟った。
俺は石渡さんの警告を無視し続けたまま、彼女に何も告げずに食事を重ねていた。
会うたびに彼女が表情を、態度を、より一層曇らせている事に気づきながら、気が付かないフリを続けていた。
また胸倉を掴まれそうで、―いや、恐らく今度こそ一発拳が飛んできそうだったが、俺はずるい態度を、曖昧な態度をとり続けている事に何の躊躇いも感じていなかった。
「・・・私の事を、どうお思いですか?」
「真面目で素敵な方だと思ってますよ」
「速答でお答えするんですね・・・・」
「事実ですよ。鷲尾さんは素敵な方ですから」
まるで取引先相手と商談でもするかのようにお世辞が流れる。
自分でもどうかしてると思った。仕事でもあるまいし、ましてや、女性相手に、こんな誠実そうな態度で声音で流暢に言葉が出てくる事に。
「っ」
目を伏せる彼女を見つめながら、ただ時間が流れるのを待っていた。
言葉も態度も、全てが嘘で塗り固められているようなこの時間がただ過ぎていくのを。
そして、ここまで彼女を苦しませている自分をどこか冷静に見つめているもう一人の俺がこう囁くのだ。
――お前は本当に最低な人間だな、と・・・。
眩しい光に目を細めた。いつのまにこんなに季節が変わっていたのか。
鷲尾さんと会ったのが、まだ木枯らし吹き荒れる頃だったというのに・・・。
「貴子から聞いた。もう会わないって言われたんだって?」
眩しい陽射しを遮るように、いや、わざとそうしたんだろう。俺の視線を逸らせないように。
「はい」
「言われたっていうか、言わせたんだろ?」
「・・・・・・」
そう。その通りだ。俺は反論する気なんてさらさらない。
この後に何と言われようが、仮に2・3発殴られようとも・・・。
「貴子がすんげぇ怒ってた」
「え?」
「俺以上に怒ってるから、それなだめるの必死だったんだぞ。お陰でもうお前に対して怒る気力失った」
いつものように軽口で叩いてくるその人が何故だか物悲しくて。
最低だ、とか、馬鹿野郎、とか罵ってくれれば、どれだけ救われたか・・・。
「今度うちに来いよなー。貴子がお前を締め上げるんだって息巻いてたから、覚悟しておけよ」
「・・・・・はい・・・」
痛い。胸が苦しい。
この人の優しさが胸に染みて痛くなってくる。
そんな風にしないで欲しい。
俺はそんな優しさに値するような人間なんかじゃない・・・・。
「悪かったな」
「――何、がですか?」
顔を上げた先にぶつかる視線。
そういえば、この人と視線を合わせたのはいつ以来だろうか。いつのまにか視線を合わさない事が普通になっていた。
「お前の気持ち無視して紹介なんかしちゃってさ」
「気持ち・・・?」
「美沙ちゃんの事だよ」
「はぁ?」
思わず声を荒げた。
何故そこで美沙子の名が挙がるのか・・・。
「お前、まだ美沙ちゃんの事、完全に吹っ切ってない」
「・・・何を言い出すかと思えば・・・」
俺が美沙子にまだ未練があるとでも言いたいのか・・・?
冗談じゃない。そんなわけあるか。
「その顔は全否定だな」
「当たり前ですよ。しかも面白くも何ともないし・・・」
「俺はネタで言ってるつもりはまったくない」
確信を持って、でも穏やかに、そう宣言する石渡さんの横顔を眺めていると不思議な気分にさせられる。
多分、そう。本気で俺が美沙子に未練があると言いたいんだ、と・・・・。
「未練あるわけないでしょ。何言ってるんですか・・・」
「じゃあ、美沙ちゃんの事、憎んでるか?」
「何言って・・・」
その瞬間、はぁと零れる溜息。
石渡さんは腕を組むと、もう一つ溜息を零した。
「まぁ、ゆっくり時間かけろや。こういうのは急いでもしょうがないしさ・・・」
「っ」
反論出来ない。肯定も出来ない。
黙っていればこの人の言うとおりだと認めるも同然だ。
でも出ない。
腹の中で渦巻く想いが言葉となって出てこない・・・。
「・・・・・」
何故だ。
今ひたすらに思い出すのは美沙子の顔。
俺の名を呼ぶ顔、声、全てが。
呑み込まれそうな程の思い出、―いや、これは未練と呼んだ方が正確なのだろうか。未練が俺を押し潰しそうな程の勢いで迫ってきていた。
しかも足が動かない。
そこから逃げる、という選択肢を忘れたかの如く、俺はそこから逃げる事すらできなくなってしまった・・・。




