砥石の工房
ネタゲーオールスターズの遠足イベントを上空から眺めていると、水竜の子が軽く私の手に噛み付いてきた。まだ透明ながらも銀色の鱗を持つ幼竜だが、その動きはまるで渓流を走る水の流れのようだ。
水竜はどうやら全てが水で出来ているようだ。噛まれた手は痛くもくすぐったくもなく、ただひんやりと気持ちがいい。
岩山に挟まれた渓谷は都会よりかなり涼しい。とはいえ真夏だ。太陽が2つあるのでとても暑い。2つあるのに何故か影はひとつ。これはラゴサでも王都でも、ここ砥石渓谷でも同じだ。
聞こうと思えば魔法で声も聞ける。だが、今は特にゲームメインキャラ達が何を話しているのかを知りたくはない。マルコに救助された緑のやつを囲んでワイワイやっているようだけど。
まあ、別に私には関係ないかな。
「きゅーい」
幼い水竜が嬉しそうに鳴く。私を乗せてくれている成竜は、少しうるさそうにしている。親子ではないのだろうか。親子だからこそかもしれないが。
「きゅきゅっ」
幼竜は噛みつきをやめて、私の腕ほどの細長い体で空中にトグロを巻く。透明な水の眼が悪戯そうにこちらを伺う。
「おいでー」
成竜も冷たさが心地よいが、幼竜は元気よく飛び回るので私の顔付近に来てくれると飛沫がかかって爽やかなのだ。それに、とても可愛らしい。
「きゅきゅーい」
ここが遠足イベントの会場なら、水竜もゲームに登場したのだろう。全く覚えていないが。それに、特別な砥石はマルコの魔法剣と深い関わりのあるアイテムだ。きっとゲームでも、水竜に乗って工房まで行き、魔法剣用の砥石製作を依頼したのだと思う。
「きゅー」
水竜の子が一際高く鳴くと、岸辺に向かって降りていった。乙女ゲームのメンバーたちが驚いて騒ぐ。
「あっ」
水竜が小さなものを吐き出した。太陽の光を反射しながら、その小さなものは川へと飛んでいく。マルコが慌てて追いかける。あのラゴサミルク限定グッズのピアスだ。
マルコが落としたと思ったピアスは、水竜の子が悪戯で盗ったのだ。飲み込んで隠していたのである。
これは想像に過ぎないのだが、ゲームでは幼竜との触れ合いから工房を見つける流れなのではないかな。乙女ゲームはマーサ・フロレスになって進めるゲームだった。マーサの知らないことは登場しない。だから、この遠足イベント以前にマルコが工場を訪れたかどうかは問題ではない。
第一、矛盾だらけのネタゲーである。マルコが既に魔法剣専用の砥石を受け取っていたとしても、このイベントで「初めて」砥石工房を訪れたと言われる可能性は高い。私の記憶にないということは、たいしたネタではないのだろうが。
そんな考えても何にもならないようなことを考えながら、私は成竜の背中に寝そべって渓谷を見下ろす。上から眺めていると、マルコは再び流れに入り苦もなく小さなピアスを拾い上げる。たいして怒るでもなく、マルコは川の中で水竜と戯れていた。
しばらく渓流で遊んでから、幼竜とマルコは上空に戻ってきた。
「お待たせ」
「うん」
「テレサ、ピアスつけてー」
外れたほうのラゴサミルクピアスを差し出して、マルコが甘えてくる。
「うん」
私はピアスを受け取ると、水竜の上で大きな背中を丸めて耳を差し出すマルコにつけてやる。私の魔法がマルコの切れ目だらけの戦士の耳を優しく包む。すっかり荒々しい戦士の姿に成長した赤毛の元爽やか少年は、幸せそうに頬を緩めている。
「やっぱテレサの魔力は落ち着くなあ」
「そう?」
「ありがとう。テレサ、可愛い」
マルコの大きな胸と逞しい腕に包まれていると、全ての災いから守られている気がする。
それから私たちは、峡谷を形作る岩壁の中腹まで水竜に乗ってゆく。切り立つ壁にくり抜かれた横穴は、ほんのりと灯る銀青色の魔法灯に照らされている。少し肌寒い洞内を身を寄せ合って2人で進む。横穴の途中に、登り坂がいくつかあった。
「地上へ出るやつとか、砥石採掘の坑道に繋がってるやつとか、いろいろあるみたいだぜ」
「ふうん」
マルコはどうやら、前回ここに来た時に色々と案内して貰ったらしい。依頼するためにいきなり押しかけてきた私と違い、マルコは正規の取引がある砥石屋の店主から紹介されて訪ねたのだと言っていた。それに、伝説の魔法剣のオーナーでもある。扱いが違って当然だ。
くねくねと曲がる洞窟は、どうやら天然の岩屋らしい。岩壁にぽっかりとあいた空洞には、ときおり落ちる水滴の音と、私たちの足音しか聞こえない。少し薄気味悪くなってきた。
マルコが黙って肩を抱いてくれる。私が不安そうにしていたのが伝わったのであろう。マルコが点した魔法の灯りを先導にして、洞窟の奥まで進むと、突き当たりに頑丈そうな木の扉があった。
「こんちはー」
マルコが扉の向こうに声をかける。ノッカーもなく看板もないただの扉だ。
私がここを見つけたのは偶然だった。「エンカルナシオン王女記念センテルニヤ王立地理院附属図書館一般開架閲覧室」で集めた情報では、岩壁の中にある工房の伝説があっただけ。
とにかく現地に、とベラスケスを訪れた。山の中を魔法で飛び回り、砥石の坑道を見つけたのだ。山の中の洞窟としか見えない鍵も扉もない横穴を進んでいたら、小柄でガッチリした男性と出会った。彼が砥石職人だったのである。
「あの、この辺りに魔法剣を研ぐことができる、特別な砥石を作ってくれる工房があると聞いたのですが」
私は思い切って聞いてみた。そのときは、単なる作業員かと思ったのだ。それを察したのか、職人さんは不機嫌そうな視線を寄越すと、無言で作業を続けた。
他に手がかりもないので、私はじっと作業を見学していた。職人さんは黙々と石を切り出す。私を追い払うこともなく、叱りつけることもなく。淡々と猫車に切り出した石を置く。猫車には藁が敷き詰めてあり、うっすらと魔法の輝きを帯びていた。
いかにもイベントっぽい状況ではあるが、どうして良いかわからない。私は「案内人」のイベントに少し出るだけのサブキャラだ。トゥルーエンドマルコの伴侶ではあるみたいだが、少なくとも操作キャラではない。私が頼んでも、工房の場所は教えてもらえないのではないだろうか。
少し気弱になりながらも、じっと作業を見つめる。やがて採掘作業は終了した。職人さんは呆れたように私をみた。
「はー、頑固だね」
「教えてくれます?」
私は思わず職人さんに近づいた。すると、魔力の揺れを感じる圏内にはいったのか、小柄な職人さんは興味深げに私を見上げた。
「ん?あんた古代魔法民族か。で、魔法剣はどこにあんだい」
「私のではなくて、大切な人の為に特別な砥石が必要なんです」
「そうか?あんたにもずいぶんと魔法剣の気配があるけど、自分の分はいいのかい」
「いえ、その」
私が恥ずかしがって言い淀むと、職人さんはニヤリと笑う。
「ああ、『誓いの乙女』か。いいよ、作ってやる。ちょうど今いい石が手に入ったしな」
小柄な男性の後について坑道の奥に行く。途中で猫車を止め、採掘した石を背負い籠に移す。背中に石を背負っているとは思えない速さで、更に奥へと進む。
洞窟は下り坂になり、薄暗くなり、曲がりくねって地下へと続く。やがて小さな木の扉の前で止まった。
「ちょっと待ってな」
がっちりとした小柄な職人さんは、私を待たせて扉の中に消える。しばらく待っていると、紙を片手に職人さんが出てきた。
「出来上がったらここの欄に引き取り期限が浮かぶ」
端的に告げると、また扉の向こうに引っ込んでしまった。そして今日、その紙を持って私は同じ扉の前にいる。
マルコが声をかけてから程なくして小さな木の扉が開く。扉は微かに軋んで内側に入ってゆく。その隙間からガッチリとした小柄な男性が覗く。
「なんだ。一緒に来たのか」
無愛想な声で職人さんが言った。
「おう。俺の『誓いの乙女』だぜ」
「マルコ、誓いの乙女って何?」
私がここを見つけた時にも聞いた言葉だけど。
「魔法剣を捧げた相手のことだよ」
うんまあ。
何となく予想はつくけど。
それだけ?
古代の魔法剣だし?
イベント感満載の場面だし?
もっとなんかないの?
「まあ、はいれ」
魔法剣の主であるマルコが一緒に来たからなのか、前回とは違って工房に招き入れられる。作業場は奥にあるらしく、工具や掘り出してきた石は見当たらない。
入り口にある部屋の真ん中に質素な低い木のテーブルセットがあった。床は石の洞窟の中だが乾いた硬い土である。まあ、その辺はいつものことなのでよい。
土の床には麻の葉模様の座布団がある。上等そうな分厚く大きな座布団だ。クッションとは違う。座椅子もなく、ただ座布団が四つほど置いてあった。
これ、座ったら汚れない?洋服に土がつくよね。職人さんは部屋の隅にある謎の暖炉からお茶を持ってきてくれる。煙はどこに行くのか。煙突がない。煙出しの穴もない。空気は外にいるかのようにひんやりと澄んでいる。
茶器はテーブルに置かれていた。来客を予想したのか、マルコと私、そして工房主の分だけきっちりある。私たちは勧められるままに座布団に座る。土は冷たいし気になるが、座布団は見た目の通り座り心地が満点だ。
「魔法剣を介して乙女と剣士は一つの命だ」
なんだか不穏だが、大丈夫か?
「身も心も、魂までも捧げ尽くすというのは比喩じゃない」
重すぎますけど。マルコは幸せそうに身を寄せてくる。いい気なもんだな。
「もしもどちらかが心変わりをしたら、魔法剣に埋まっている魔法石は砕け散り、2人の身も心も魂もまた砕け散る」
怖すぎるのですが。
嫌なんですが。
「その代わり、心が近づけば近づくほど、魔法剣の力はましてゆく」
あの蜘蛛型マシンドール魔物も消滅させられるようになるかな。
お読みくださりありがとうございました
続きもよろしくお願いします




