砥石渓谷
ほんの少しだけでもマルコと一緒に過ごせた夏祭りが終わり、いよいよ本格的な夏がやってきた。
まだらな前世知識では、中世ヨーロッパの気温はそれほど高くない筈だ。
しかし、このセンテルニヤ王国は、そもそも中世でもヨーロッパでもなく、モデルとなる国や時代も無いと考えるのが妥当だ。
そんなこととは関係なく、太陽は二つある。暑くて当然と言えよう。
太陽は二つあるし月は五つあるし、公転周期はわからないが、根拠不明ながらも12の月に別れた一年のうち、1番暑い季節になった。
学校は休みである。マシンドールの魔物化騒動のせいではない。単純に夏休みが到来したのだ。
「テレサ、暑い」
珍しく休みを貰ったマルコに呼び出されて、いつもの学生寮玄関へ来てみれば、茶色っぽい服を着た大男が吹雪の魔法を使っていた。
大規模な魔法は学生寮付近では禁止なので、気休め程度の冷却でしかない。大きな身体のマルコには、ささやかな吹雪程度ではとてもとても間に合わない。
「冷たいもの飲みに行こうか」
私は2人の周りに風を起こしながら提案する。
夏休みといっても鬼畜研修がなくなるわけではない。相変わらず早朝訓練、日中訓練、夜間訓練の三部制で、ほとんど一日中魔獣蔓延る魔境に放り込まれている。
わが『アラン王子記念王立魔法学園』は、謎の完全年齢制クラスではあるが、日本の教育制度が中途半端に採用されている。二期制ではなく、学期は3つ、休みは春、夏、冬。夏休みはだいたいひと月間。
誕生日が8月にくる学園生は、7月に皆とお別れをすます。完全年齢性のため、誕生日がくれば卒業である。卒業式など当然ない。
これは、入学した時と同じだ。特に教室で前に出て挨拶をすることもない。お別れしたい同士は、勝手にする。
稀に、マルコのように出席日数や単位数が不足して延長になる学園生はいる。彼等は、試験合格や日数満了を機に卒業してゆく。
だいたいいつ居なくなったのかわからない。つまり、本当に卒業したのかすらわからない。
全員の誕生日を把握なぞしていないからだ。
「マルコ、卒業は?」
実技テストが有耶無耶になったが、問題は出席日数なので、おそらく卒業条件はクリアしているだろう。
「した」
「おめでとう」
「ありがと」
卒業祝いは、前から決めていた。
「卒業祝い、頼んであるんだ。取りに行こう」
2人でレモネードを飲みながらあれこれたわいのない話をした後で、私は何気なく切り出した。
「えっ、マジ?嬉しい」
マルコはものすごく鮮やかな身のこなしでテーブルを回って来た。
あ、この流れは。
「テレサ可愛い!!!」
叫んだ。
はじめてのパターンに驚く。
声を失う私を椅子ごと抱きしめる大男。短髪赤毛剛毛。
怖いよね。わかる。
一瞬ちらりと見たきり、店内のお客さんたちは必死で目をそらす。
「レモネード飲んだら行こうか」
「行こう!」
全身が喜びに光り輝いている。
だいたいこいつは、自分の誕生日も正確に把握していなかったじゃないか。節目のお祝いに興味があったとは驚きだ。
私達は店を出ると、一旦学生寮に帰った。
「どこ行くんだ?」
「砥石渓谷」
「お!キャンプの用意と、リバーウォークの用意だなっ!」
え。
ワイバーンでよいのでは。
リバーウォークという概念や単語の成立年代はともかく。
砥石渓谷って、かなりの急流や落差の大きい滝がありましたよね?そこを生身で進むの?
せめてカヤックとかダメかな。
いや、ワイバーンでいいよね?
「泊まるの?」
とりあえず聞いてみる。
「えっ、あっ、いや、1人テントなら」
マルコが急に焦り出した。
お泊まりデートになってしまうことは、別に気にしてない。マルコは気づいてなかった様子だが。マルコの言う通り、1人テントなら問題ないしね。
「あっ、でも、俺たち婚約者だし」
「それ、やめてくれないかな」
「えっ」
また結婚の話が出たので、釘を刺す。するとマルコが泣きそうな顔になる。
「気持ちが変わっちゃった?」
「そもそも正式な話じゃないでしょ」
「そんなあ」
「私はまだ家族に話してないよ」
「俺、オヤジにOK貰ったぜ」
「は?なにそれ?」
私はOKしてない。マルコのオヤジさんにも会ってない。
「風の祝福も済んでるしな」
それ、半分詐欺だよね?よく解らないままで受けちゃった私も悪いけども。ついでに、結婚云々以外には特に拒否する理由もないんだけども。
「とにかく、まだ結婚なんて想像もつかないの」
「俺はずっと一緒にいたい。一族の条件もクリアしてるし、収入も約束できる」
マルコ、たいへん現実的である。ロマンチストではあるのだが、毎日命をかけて魔獣と対峙しているのだ。現実を見る力は、のほほんと街で暮らす私よりもずっと上なのだろう。
でもやっぱり、結婚はまだ考えられない。卒業までまだ4ヶ月ほどある学生だしね。
「準備してくるね」
「お、おう」
埒が明かないので、話を終える。
収納空間にあれこれ詰め込んで、水中仕様の服装に着替える。いくらなんでも、登山口駅まで汽車でゆくことはあるまい。
「お待たせー」
「よし、行こう」
マルコは先に立ってずんずん歩く。学生寮の裏庭にある深い森に分け入って、いつもの場所へとやってきた。
ワイバーンですね。
マルコ特に装備とかない。腰に古代の魔法剣を差している程度。リバーウォークとキャンプの用意は。まあ、収納空間に入れているのでしょうけどね。
「ここ。砥石渓谷なら、こっから行けるようにしといた」
いつ?
「傘買った日、覚えてる?」
ああ、傘というか、特殊傘ね。あれ、案の定翌日筋肉痛になったんだよね。傘が勝手に戦うから、持ち主は引き摺り回されて大変だった。
筋力強化の魔法を使ってもダメだった。魔法的な力が働いてるのか、センテルニヤだからなのか。その辺りの事情はわからない。
「そういえば、特別な砥石の話出てたよね」
私がとぼけると、マルコはニヤっと笑って繋いだ手に力を入れた。
まあ、バレてるよね。
私が魔法剣の為に砥石をプレゼントしようと考えたことは。
「自分で材料を採りに行ったの?」
もう要らなくなっちゃったかな?考えてみれば、マルコの行動力ならとっくに手に入れている筈だよね。
「まあな。武器屋の親爺に仲介頼んで砥石にしてもらった」
「そっかあ」
武器屋に教わった通り、自分で採りに行った材料の砥石が魔法剣発動の決め手になったのかもね。
「でも、テレサと採った材料ならば、もっと強力な魔法剣になるかもな」
マルコはウキウキと声を弾ませる。優しい笑顔で手を握る。凶悪な顔立ちの人は笑顔が怖いことも多いが、マルコの笑顔は甘く蕩けてしまいそう。
私に向ける恋の笑顔だけではなくて、嬉しそうに笑う時にも好ましい。まさしく破顔一笑といった風情なのだ。
「だといいけど」
「ぜってえ、そうなるって」
マルコは、健康そうな歯を剥き出して笑う。
「何しろ、テレサの魔法剣だからな!」
マルコはぎゅっと私を抱きしめると、ワイバーンには乗らず苔むした大岩に触る。
移動用のゲートを作れるようになっていたとは知らなかった。しかもかなり前から。
「便利だねえ」
「ん?ゲート設置のこと?」
話しながら、私達は光の扉の前に立つ。マシンドールが潜った魔法陣のゲートもいいが、マルコのゲートは芸術的だ。多分オリジナルである。
「飛竜も通れるんだぜ。今回はお留守番だけどな」
マルコのワイバーンが私たちの背中に何か言った。
「行ってらっしゃいだってさ」
「ふふ、行ってくるね」
私もワイバーンに挨拶をする。ワイバーンは目を細めて頷く。
マルコが触れた大岩の前に現れた扉を開く。白とも黄色とも言えるような輝く線が、額縁のような長方形を作っていた。片開きの扉は、大男のマルコと普通体型の私が並んで通れる大きさだった。
「綺麗だねえ」
「気に入った?」
光が作る扉には、魔法の線が竜と渓流の絵を描く。その絵が魔法規則になっているのだ。
単純でいい加減なマルコに、こんな才能があったとは。そういえば、こいつはロマンチストだった。
「これが、砥石渓谷?」
「ああ。竜もいるんだぜ」
通常は、数式や規則性重視の文字列で刻まれる魔法規則。その魔法が発動されるために必要な回路とも言えるのだが、稀に彫刻や装飾品そのものを魔法規則にしてしまう人がいる。
センテルニヤでは、彼らのことを「魔法芸術家」と呼び、普通の芸術家と区別していた。なんだかわからない奴ら、として芸術家からも魔法規則を物に刻む職人からも馬鹿にされる存在である。
私は今まで、その存在を特に意識したこともなかった。特殊な志向の人々だし、その存在は稀だ。
だが、とんでもない。
今、その作品を目の当たりにしてわかった。
彼らこそ、真の芸術家なのだ。
扉は美しいだけではなくて、命に満ち溢れていた。瀬音も竜の伊吹も、涼しい渓谷の風さえも、感じられる。
「本当に素敵な扉」
「へへっ、ありがとな」
マルコはまたぎゅっとしてきた。
「水竜も楽しいぜ」
ん?
楽しい?
「乗るだろ?」
乗るのか。
「こいつの友達なんだぜ」
ワイバーンを親指で差しながらニヤリと笑う。得意そうな笑顔は、少し悪そうで迫力がある。空と水の王者、風と激流の支配者。そんなニックネームが脳裏を過ぎる。
「ねえ、マルコって二つ名あるの?」
つい、聞いてしまった。
「あるけど、二つ名ってほどじゃないかなあ」
「え、どんなの」
「赤毛のマルコ」
それ、二つ名なの?
「もしかして、隊に他のマルコいる?」
聞かずにはいられない。
「おう。そいつは巻毛のマルコだぜ」
やっぱり。
「赤毛だけど巻毛なんだ」
へえ。
紛らわしい呼び分けだな。
ま、センテルニヤだしね。そんなもんでしょ。
「それじゃ、行こうか」
「うん」
私達は、あっけなく光の扉を潜った。マルコが押し開いた扉の向こうには、所々に岩の見える急流が軽快な音を立てて流れていた。
途端に広がる水の香り。岸辺に生える木々の香り。揺れる枝はしなやかにその葉を揺すり、耳に涼しい歌を奏でる。
幸いにして今日はよく晴れた日だ。岩と木の根が覆う岸辺に足を踏み入れると、2人の髪が風に乱れる。
流れゆく雲は二つの太陽の投げかける8月の陽射しを遮って、愉快な影のダンスを踊っていた。
お読みくださりありがとうございました
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