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終末世界の歩き方。  作者: 上野羽美
高校演劇部部長:雨宮陸3
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第五十八話「そして誰もいなくなった」

 何を律儀に靴を脱いで部屋に上がってしまったのだろう。飛び込むようにして玄関を開けて、マンションの通路の冷たい床を靴下越しに踏みつけ、玄関に取り残した靴に後悔する。

 居間のドアから食屍鬼がぞろぞろと溢れたように俺や石井さん達も玄関からぞろぞろと溢れて無事部屋から脱出する。


「石井、カギをかけろ!!」


 花田さんが今にも押し開かれんとする玄関のドアを両手で抑えたまま石井さんに言う。久々に彼の緊迫した様子の声を聞いた。


「……ないよ」


「……は?」


 さっきまで手に持っていただろうと全員が石井さんを見る。ジャラジャラと音を立てていたカギがその手元にはない。


「さっき勢いで投げちゃった。ゾンビに向かって」


 通路にはドアを強く叩く音だけが響いている。バンバンと数センチだけ開閉するドアから他人の家の匂いと腐臭が小刻みに漏れる。


「なんで投げちゃったんですか!!!それでどうにかなると思ってたんですか!!」


「手に持ってるのを手斧と勘違いしたんだよ!!!そしたら……手が滑って……!」


「この馬鹿野郎!!!どうするんだこれ!!!」


 ドアの隙間から指が突き出して、閉めようとするたびにボキボキと骨が折れる音がする。それでもだらりと垂れさがった指が隙間から顔を出すことをやめない。食屍鬼がドアを打ち破るのも時間の問題だろう。


「とりあえず本物の武器を集めろ!俺と石井でドアを押さえる!」


「分かった!」


 これから何が行われるかは以前の経験でよく分かっている。かの「頭をぱっかーん作戦」だろう。脳裏をよぎる嫌な光景に奥歯を噛みしめながら、走り出した山崎さんと斉藤さんに続く。


「雨宮!!」


 花田さんたちを後にして自室へ戻ろうとした時、外が騒々しいことに気づいたのか最上が慌てて部屋から出てきた。


「何があったの!?」


「この状況見たらだいたいわかるだろう!最上も武器を持ってきてくれないか!?なるべくリーチの長いやつがいい!」


 ある程度の安全を確保できた状態で食屍鬼を一方的に処理したいのなら、目指すべきはたった一つ。安全性を維持したまま食屍鬼の脳を破壊することだけだ。

 頭ぱっかーん作戦でも用いられた枝切狭があれば一番なのだが藤宮が持ってきていたような様子は見られなかった。普通の状況では武器としてはおよそ使えない枝切狭もこういう状況では最善の武器ともいえるのに。


 俺が部屋に戻る前に山崎さんたちはドアから出て石井さんたちの元へと駆けて行った。息を切らしながら走る山崎さんたちの手には手斧が握られていた。


「これでこいつらをぶつ切りにするぞ!!」


「頼む!」


 しかし、威勢よく構えられた手斧は数分待っても振り下ろされることは無かった。躊躇する山崎さんをドアを押さえる二人が責めることもなかった。できずにいた。


 これまで手斧を武器に何体もの食屍鬼の頭を破壊していた石井さん達。一撃で頭骨を貫き脳の破壊を可能とし、まさしく武器だと言い切れる形状のそれは確かに食屍鬼に対して猛威を振るうことができた。


 しかし、それはマンションの通路のような狭い場所ではかなわない。


 狭いドアの隙間の奥にある食屍鬼の頭をかち割るには手斧のリーチは短い。かといって頭ぱっかーん作戦のようにドアから少しづつ食屍鬼を出しても、避ける、踏み込むなどの立ち回りが効かないほど狭い通路では噛まれるリスクが発生する。それもかなりの確率で。


 ようやく振り下ろされた手斧は、ドアを掴む人差し指と中指を落としたにすぎず、今度は手首がドアからはみ出てきた。


 この状況を打破する武器は手元にない。石井さんも花田さんもドアを押さえ付けたまま黙り込んでしまっていた。


「先パイ!」


「雨宮!」


 通路を包み込む無力感を藤宮と最上の声が裂いた。


「由利ちゃんが秘密兵器を作ったッスよ!」


 そう言って開け放たれたドアを指さすと、扉の陰から牛刀がぬっと姿を現した。

 長い棒の先端に牛刀の柄がガチガチにテープで固定されているようでドアから出た牛刀は通路の柵を越え、マンションからはみ出て宙をふわふわと漂っている。


「部長……!長い武器って聞いて急いで作りました……!!」


 長い棒の正体はどうやら物干しざおのようだ。牛刀をゆらゆらとその先端に漂わせながら有沢がドアの陰から姿を現した。


「ありがとう有沢……でもこれをどうするんだ?」


 リーチは十分すぎるくらいにある。今まで見てきたどの武器よりも長い。しかし、先端についている牛刀は、牛刀と言えど心もとない。頭骨を貫く前に、固定したテープが剥がれてしまうだろう。


 有沢はなるべく先端を持って後ろの方をマンションの外に曝した。なんとも持ちにくそうではある。


「よーく狙って……目をぶしゃーってするんです……!」


「……有沢、お前今まで何人か殺ったことあるだろ」


 目をぶしゃー……。ああ、そう、目をぶしゃー……ね。


「でも目を潰したからって、奴らは動きを止めないだろう。明白だ」


 花田さんがドアを押さえ付けたまま俺たちに言う。


「……いえ、確かに目を潰しても奴らはその動きを止めないでしょう……。でも、脳を破壊するなら頭骨を叩き割るより武器の損傷を防ぐことができるんだと思います。……眼窩を突き刺すだけなら固い頭骨を割るよりもずっと……」


 眼窩を狙うのは動きの鈍い食屍鬼といえど困難だ。超至近距離でこちらが一方的に攻撃できない限りは到底無理な話だった。

 そして今、超至近距離で食屍鬼に対して一方的な攻撃ができる状況にいる。


「……やる……?」


 物干しざおを抱えた有沢を見やったが、有沢は勢いよくかぶりを振って物干しざおを俺に手渡した。


「ごめんなさい……!私、血とか、痛いのとかすごく苦手で!」


 どの口で言ってるんだ。


「あとは任せたっス!」


「マジかよ……」


 後ろに立つ山崎さんにも物干しざおを手渡そうとする。


「……ごめん、ちょっとそこまでグロいのは無理」


「今更何言ってんですか……!」


「あーまーみーやー……!もう限界なんですけどー……!!」


 ドアを押さえた石井さんが俺を急かす。ドアの開閉する角度がさっきよりも広がってバタンバタンと音を立てていた。


「……分かりましたよ……」


 しぶしぶドアの隙間の前に立って物干しざおの先端部分の方を持って構える。簡単に言ってしまえば簡易的な槍だ。慎重に眼窩を穿つという条件がついてはいるけれど。


「全部開けたらここでみんな餌になりますからね!今よりもう少し開けるくらいでいいんですよ!」


「分かってるさ。準備はいいか?」


 花田さんに尋ねられ俺は首を大きく縦に振った。


「パーティを締めてやれ!!」




 ドアの隙間に顔を挟まれた中年女性の食屍鬼。顔を固定され「狙ってください」と言わんばかりに顔面を曝してうめき声をあげている。

 物干しざおを構えたまま仲間たちを見ると、全員目を背けていた。

 眼窩を狙う以上、目を見張らなくてはいけない俺に対して全員がこれだ。


「ああもう」


 目玉の手前まで刃先を向けると、俺も目をそらしてゆっくりと力を入れながら眼窩に牛刀を突き刺す。ぶちぶちと何かがちぎれたりはじけていくのが竿越しに伝わった。


「ああ……ああ……」


 食屍鬼から目をそらして向いていたコンクリートの床に真っ黒な血液が糸を引きながらゆっくりと、垂れていくのが見えた。

 もう少し、そう思って牛刀を半分ほど突き刺したところでうめき声が止んだ。

 ずぶずぶとゆっくり牛刀を戻そうとすると、今度は背の低い子供が牛刀を手でつかんだ。

 みちみちと小さな手のひらが切れて血を滴らせている。テープが剥がれてしまわないようゆっくりと引き抜くと指が切り落とされた。再び小さな隙間から狙いを定めて眼窩を貫く。


 一体あと何人いるのだろう。片手で汗を拭って目の先にある脳を傷つける。

 がちがちと伝わっていた子供食屍鬼の抵抗がなくなると再び引き抜いて、次に現れた老人の眼窩を狙って突き刺す。


 おそらくは家族だろう。全員でここに籠城したに違いない。


 他にも成人女性が出てきたところを見ると、親戚か親しい友人も集まっていたのだろう。おそらくは誰かが噛まれていて部屋の中で集団感染が発生したように思う。


 テープがみちみちと剥がれる音がして、牛刀の刃先が真っ黒に染まるころ、ようやくドアの向こうが静かになった。一応ドアを開いて、音を立て、仕留めそこなった食屍鬼がいないか確認をしたが返ってくるのはむせかえるほどの腐臭と静寂だけだった。


「これだけ人が集まってればいい車も期待できるだろう。雨宮、よくやったぞ!」


 死体を踏み越えて物色を再開する石井さんに返答する余裕もなく、通路で座り込んで汗を拭った。


 数分後石井さんはリモコン式のカギを三つほど手にぶら下げて、もう片方の手に投げ捨てたカギを持って部屋から出てきた。


「俺たちはとりあえずこの鍵で開けた車で秋津さんのところに行くから、こっちのカギは雨宮にやるよ。むやみやたらと部屋のドアを開けるなよ?」


「いわれなくても絶対に開けないです」


 むやみやたらと開けてたのは紛れもなく石井さん達だし。そんな石井さんたちは互いに頷き合うと「急がないと」と小走りで通路の階段を降りて行った。

 

「先パイ、お疲れッス」


「ねぎらうなら何か飲み物をくれよ」


「しょうがないっスねぇ……貴重な飲み物だからコップ一杯分だけッスよ」


 ちょっと待っててくださいッス。と藤宮も俺の視界から消える。有沢と最上は外の景色を眺めていた。座り込んだ俺には血の飛び散ったドアしか見えない。俺もせめてのどかな田舎の風景を見ようと立ち上がろうとしたその時だった。


「大変ッス!!!!中島さんがいないッスよ!!!」


 藤宮の大きな声に、自分が痛恨のミスを犯したことに気づき急いで駆けだした。


「雨宮!!!」


 頼むから馬鹿なことはしないでほしい。薄暗い階段を駆ける俺は先の食屍鬼との遭遇よりも焦燥に駆られていた。

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