第五十五話「Bullet of Justice 4」
ここに来るまでに、俺はここに来ることの必要性を何度も自問自答していた。
けじめをつける。復讐する。いずれもマンションに残してきたやつらのためにはならない。
前島さんたちを助ける。それが唯一有効な言い訳だったのかもしれない。
こうなっていることはなんとなく分かっていた。
何度も何度も自問自答した。
「これは正しいことだろうか」
答えは出た。
「もう考えるな」
拳が熱を帯びたように熱く、手の皮が擦り剥け始めても殴打する手を止めない。
千葉も必死で躱しながら拳を放つがまるで俺に届かない。
好きで素手喧嘩をしてるわけじゃない。刀を持っていたら間違いなく俺は抜いている。
銃声が再び響く。誰が撃ったのか、誰が撃たれたのか、そんな考えすら頭に浮かばなかった。
がむしゃらに放たれる俺の拳を大きくよけて、千葉は近くを歩いていた連中の背中を掴んで俺のいる方へと押し出した。
両手を前にあげて顎を大きく開けてよろめきながら食らいつこうとする連中を右足で蹴り飛ばし、角材を持って開いた顎へと乱雑に突き刺す。前歯を叩き折り、もがく腕をへし折ると俺のがらあきの背中に向かって千葉が飛び蹴りを入れる。
土と血で汚れた固い靴の裏でガンガンとうずくまった俺の背中を踏みつける千葉へと無理やりに振り返る。踏みつけをやめない足が横腹に入ったが俺が再び飛びかかることに何も支障はなかった。
大義も義理もこいつをぶちのめす理由にする必要はない。犬に食わせた方がいくらかマシだ。
「殺す」
自然と言葉が胸の内から出てくる。
「殺してやる」
その言葉を聞いて馬乗りになった俺の下で千葉が笑った。
「そうだ。それでいい」
歪に上がった口角へと拳を振り下ろすと、欠けた前歯がアスファルトに転がった。
俺は千葉への馬乗りをやめて後方へとよろよろ歩き出す。
数メートル先に落ちている刀が太陽に照らされて俺の目にまばゆい光を焼き付ける。瞬きすらせずに銀色の刃へと歩き、真っ黒な鞘を握って刀を拾い上げると静かに振り返り、刀を構えなおして千葉へと向き直る。
「そうだ。そうだよ。刀を捨てる理由は無かったはずだ。ようやく肚を決めたな。秋津さん」
折れた歯の破片を何度も吐き出しながらも笑ってみせる千葉。
俺は黙って千葉に近づき刀を振り下ろした。
袈裟懸けに振り下ろしたはずの刃は間一髪のところでよけられ、代わりに千葉の左腕を切り落とした。
「はっはぁ!!!痛え!!!痛えな!!でも惜しかった!!」
鮮血をまき散らしながら千葉が叫ぶ。その千葉の横から再び連中がゆらりと倒れ込むようにして千葉に襲い掛かった。
「邪魔だ」
首根っこに刀を突き刺すと手首を返して頭を縦に捌く。汚泥が排水溝から溢れだすように勢い無くドロドロと流れ出してアスファルトに体が叩きつけられた。
こいつを殺すのはお前じゃない。
薙ぎ払うように横に振った刀を不器用に避けると積みあがった資材に千葉が体をもたれる。クリーム色の資材に赤い血のペイントがなされた。
それから千葉は大股でよろよろと俺と刀から逃れる。へらへら笑っているがその姿に先ほどまでの余裕は感じられない。
失血。腕や足から流れ出す血に俺もそれをじわじわと実感していた。微かな眩暈、ふらつく足元、それが千葉を襲っているに違いない。
手足を大きく振り情けなく逃げ出す千葉、刀を握ったままよろよろとそれを追う俺。
「殺してやる」
頭上に広がった青が色彩を失い、資材に囲まれたこの場さえ灰色を帯びたセピア色一色に染まっている。
「秋津さん!!!」
誰かが叫ぶ。耳には届いた。頭には入らない。
アスファルトに手を付いてとうとう千葉が文字通り片腕で地を這い始めた。奴が通った後に黒い血痕が残り足跡のように刻まれる。
千葉が積み上げられた資材に気づかずに体を預けるとカコンと堅い音がして資材が何本か地面にばらまかれた。
「・・・・・やれよ。・・・・今更できねぇなんて言わねぇよな」
逃げ場を失って荒い息を吐きながら目の前に立ちはだかった俺に目を伏せたまま千葉が言う。
俺は何も言わずにゆっくりと刀をうつむいた千葉の首筋に当てると、そのまま腕をあげる。
静かに大きく息を吸いもう一度柄をしっかりと握りなおした。
「・・・・銃を向ける相手が間違ってないか?」
背後の影に気づき、相手に聞こえるかどうかの声量で言う。
「いいや、間違えてなどいない。紛れもなくお前を狙っているぞ、秋津」
聞き慣れた女の声だ。いやに響く声。あの時も聞こえた声。
「どういうつもりだ成塚」
銃を握りしめもう一度構えなおす音が頭の後ろで聞こえる。この目で見ずとも銃口が俺の頭に向いているのは理解できた。
「・・・前に言ったはずだ。お前の成すことが間違っているのなら私が死をもって正すと」
「その時に言っただろ。冗談でも人に銃を向けるんじゃねぇってな」
「今度は冗談ではないぞ」
こいつの声は好きじゃない。女らしくもないまっすぐで抑揚のない声。正義や真実を語るのに向いている声。握りしめた柄がカタカタと音を立てて震える。
「・・・こいつは殺すべきだ。こいつが奪った命はあまりにもでかすぎる。こいつが奪った未来はあまりにも重すぎんだよ。俺だってずっと考えてた。これが正しいことなのかどうかをな。そのうえで決めた。お前には止められない」
目をつぶって脂汗を浮かべたまま声もなく千葉は笑う。
「なら私が正す。それを下ろせ。お前のそれは間違っている」
「間違い・・?」
片手で刀を握りなおし、体を成塚へと向けてその顔を睨みつけた。
「こいつは・・宗太を殺した。もう忘れたのか・・?詩音は残された・・唯一の父親を失ったんだよ・・!!このクソみたいな世界で宗太は悪意に殺された!!連中に食い殺されたわけじゃねぇ!!こいつに殺されたんだ!!それともなんだ!?お前もそうなのか!?お前もこいつと同じで『こんな世界だから仕方ない』ってほざくわけじゃねぇだろうな!!なら咎めるんじゃねぇよ!!宗太の死もこいつの犯した罪も俺が復讐することもこんな世界だから許されるんだろう!?」
「それは違う・・!!」
成塚が銃を構えたまま感情を露わにして叫ぶ。それは俺でさえ初めて聞いた声だった。
「確かにこの世界は咎める物もない!私にだってその権限はなくなってしまった!!何もかも許されてしまうのだろう!!殺して、奪って、それらすべてが許されてしまうのだろう!!こんな世界だから・・!!」
言葉尻の弱くなった成塚は再び息を吸って叫ぶ。
「だが、だからこそだ!!こんな世界だからこそ、お前だけは曲がってはいけないんだ!!もう殺しは許されない!!お前はこんな世界で正しい道を指し示す人間になったんだろう!!託されたんだと自分で言っていただろう!!宗太に・・詩音を託されたんだろう!!!」
銃を構える手が震えるように、成塚の声も震えていた。
「殺しはさせない・・!!!お前はもう、そういう人間になってしまった!!逃げるな!!目をそらすな!!もう背負ったものを投げだすことはできない!!・・・それでもその刀を振り下ろすというのなら、私はこの引き金を引く!!」
俺は向けられた銃口の先にある潤んだ瞳をまっすぐに見つめる。
既に視界はぼやけて背景はゆらゆらと揺れていたが、その瞳だけはしっかりと捉えていた。
「・・・・・無茶苦茶言ってやがる」
握る力さえ失い刀を地面に落とす。というよりも落ちる。派手に音を鳴らして転がるそれを目で追いながら、構えを解いた女に声をかける。
「・・帰るぞ」
糸が切れたように力の抜けた体がまっすぐ地面に倒れ掛かったところを横から出てきた石井が受け止める。
「大丈夫ですか!!」
「・・心配いらねぇ。死にゃしねえよ。・・詩音が待ってるからな」
「・・そうですね」
わずかに微笑む石井。派手に暴れまわった割には随分と乱れていない身なりだった。
「・・・おい・・!!秋津さんよぉ・・!!!逃げるのか・・?はは・・やっぱりあんたはそういう人間だ。意気地がないクソッたれだな」
大きく息を吸いながら俺の背後から叫ぶ千葉に成塚がゆっくりと近づく。
「・・・そうだ。やっぱりそうだ。結局あんたはこの刑事さん頼りだ。あんたはきちんとやるべきことをやれる人間だ。そうだろ刑事さん」
「・・・・・あいにく私の銃は弾切れだ。最後の最後まで苦しんで死ぬといい」
「くっ・・・・ははは!!あっはっはっは!!!最高だ!!あんたやっぱ最高だよ!!!」
高らかに笑うその声が資材置き場から消えたのは、俺たちがその場を離れてからもう間もなくのことだった。
「まさかもうこんなに時間が経っていたとはな」
自分の足で歩けるようになってからもう一度見上げた空には青の濃くなった空の上に小さな星が点々と輝いている。
「気づかなかったのか。冬の日暮れはとても早いからな」
結局帰路につく俺たちが得たものは何一つとしてなかった。前島さんたちも、因縁の決着もすべてあそこに置いてきたまま、傷や痛みだけが手土産になってしまった。
だが、それも悪くはない。これでよかったのだ。
「そろそろマンションに着きますよ。帰ったらちゃんと休んでくださいよね」
「分かってる。言われんでもさっさと眠るさ」
俺には帰るべき場所がある。命を捨ててまでやり遂げることなんてありはしないのだろう。
辺りも薄暗くなってきたころ、ようやくマンションに着く。
狭くひび割れたコンクリートの階段を一段一段登っていくと、俺はある違和感に気づいて治まりかけていた痛みを呼び起こしながら階段を駆け上がる。
「・・・・詩音!!」
暗がりの廊下で詩音の名前を呼ぶ。返事はなく、マンションに吹き付ける風が音を立てただけだった。
「陸!!!!」
それから詩音を任せた陸の名を呼びながら各部屋を周る。異変に気付いた成塚たちも廊下を駆けずり回って彼らを探したが影すら見えない。
暗がりで立ち尽くす俺たち。
もぬけの殻となったマンションの頭上には夜が訪れようとしていた。




