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終末世界の歩き方。  作者: 上野羽美
救助チーム:ケイト・バーキン伍長
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第四十一話「子猫と硝煙」

 極秘訓練……と言う割にはその場所は余りにも警備が手薄で、何かの施設があるわけでも無く、極秘訓練の内容が近隣住民のカメラに収められても何も文句が言えないような場所だった。


 山道を登り始めて数時間、背の高い草を踏みつけながらトラックが走った先に極秘訓練の場所はあった。とはいっても学校のグラウンド三つくらいの面積の空き地がそこにあるだけだった。こんな山奥に来なくてもどこにでもある、なんなら私の故郷の田舎町だって良かったのでは?なんて思うくらい粗末な空き地だった。


「……中隊長殿は何を考えているのかねぇ」


 指定された場所へと荷物を置き、簡単なテントを設営しながらゴメス軍曹が小さく漏らした。

 

「あとで大尉から説明があるからそれまで余計なことは言わない方が身のためだぞチャーリー」


 少尉が腕を組みながら軍曹を見下ろす。私と同じくらい華奢な腕をしているのに、その体格に常に力強さを感じるのはなぜだろうと思いながら少尉の方を見ていた。


「少尉殿はもうテントの設営が終わったんですかい?」


「あぁ、中に入るのはあたしたちだけだからな。二人の愛の巣ならとうに作り上げてしまったぞ」


「っ……げほっ!げほっ!」


 少尉たちの話を聞きながら飲んでいたミネラルウォーターを気管に流し込んでしまい盛大にむせる。


「大丈夫!?伍長!今のは冗談だからね!」


「だ、大丈夫です……!分かってます……分かってますから」


 駆け寄った少尉に優しく背中を撫でてもらう。再び少尉の甘い香りに包まれて私の耳まで真っ赤になっているのが分かった。


「おいおい、レズビアンは少尉殿だけみたいですぜ。あんまし子猫ちゃんをいじめないでやってくれ。なんならウチんとこ来るかい伍長。白狼と二人きりでいたら骨までしゃぶられるぞ」


「骨までしゃぶるのはあんたの方でしょうが。そろそろ時間になるから口よりさっさと手を動かしなさい。キティもこっちに来て準備して」


 ほら、と手を引かれて少尉の後を行く。

 雪のように白いその手は私たちを照らす太陽のように暖かかった。



「……突然だけど、伍長は射撃に自信はある?」


 私の隣を歩く少尉がふいに尋ねた。


「はい。……といってもオーウェン准尉ほどじゃないですけど」


「ああ、鷹の目だか鷲の目って呼ばれてるあのスケコマシね。標的より女の尻の方が興味ありそうだけど」


「あはは……」


 狙った獲物は逃さねぇと豪語するほどの腕前を持つオーウェン准尉は女性にかなり弱い人だ。何度も女性を誘ってはその度に断られている。いかんせん、そっちの命中率はかなり低い人なのだ。


「まぁ、でも自信があるってのはいいことね。期待してるわ子猫ちゃん」


 それだけ言うとテントの中に入り、テキパキと準備を始めた。もう少し何かを尋ねられるのかと身構えていたけどそれ以上少尉は何も言わなかった。




 背の高い草から沸き上がる匂いと湿気を吸い込んで数十メートル先の的に狙いを定める。人と同じくらいの高さに建てられた的は人体の頭部と仮定して撃てとモーテンセン大尉から話があった通り、確かに的は小さかったけど直立の姿勢で、かつ狙い撃つ時間も十分に設けられていたので容易いものだった。


 近くの小隊も淡々と的を狙撃していく。その様子を先ほど見かけたマスコミ関係者が取材しているようだ。


 私は一体こんな山奥で何をやっているのだろうという考えすらよぎる。周りの人たちも同じ考えのようで眉間にしわと汗を集めて突っ立っている。


「やるじゃない子猫ちゃん」


 一通り撃ち終わって退く私の肩を少尉が叩く。


「はい……ありがとうございます」


「ん……?なにか心配事でもあるの?」


「いえ、別にそういうわけじゃないんですけど」


 なんで散々やって来た初歩的な射撃訓練を今更……?なんて口が裂けても言えなかった。


「マディソン少尉、なんで俺たちはこんな初歩的な射撃訓練を今更しなきゃならないんですかね」


 私の胸中をそっくりそのまま言葉にしたのはオーウェン准尉だった。


「しかもこんな粗末なライフルで……これ隣に住んでた爺さんとか二軒先の一家のお父さんでも持ってましたよ」


「オーウェン准尉、今回の相手を考えてもみろ。銃の種類なんて粗末なモンで十分でしょうが。でもね、『狙って撃って殺す』それができなきゃ話にもならない」


「俺に『狙って撃って殺す』ができないとでも?」


「それが簡単だと思ってるなら」


 眉間に寄せた皺を伸ばした准尉はいら立っているというよりも呆気に取られているという感じだった。



 やがて周囲から銃声が止むと、私たちは再び整列させられた。マスコミ関係者は兵士に誘導され大きなテントへと通された。どうやらここからが極秘訓練の始まりらしい。


「これから死地へと赴くお前たちに必要なスキルはたった一つ。『狙って撃って殺す』これだけだ。そしてお前たちにそのスキルが備わっているのかどうかを確認させてもらう」


 私たちの前に立ったモーテンセン大尉が声高らかに少尉の言っていたことと同じ内容を話す。

 何が始まるのだろうと微かな不安を覚えつつ開始の合図を待った。未だ私たちの前には青い空を穿つようなカリフォルニアの雄大な自然だけが広がっている。


 数十分の直立の後で私たちの耳に入ってきたそれはトラックのエンジン音だった。一般的な大型貨物トラックが次々と私たちの数十メートル先で停車していく。


「やることはさっきと何も変わりがない。同じ高さにある標的を狙え」


 大尉の言葉に背筋がざわつく。これから何が始まるのかを私は理解してしまった。少尉を始めとして他の小隊長たちは下士官の後ろへと回り込み肩から下げた銃に手を掛けている。


 トラックの運転手が一斉に降りて荷台のドアの錠を開けると、こちらへと全力疾走してきた。


「構え!!!」


 大尉の合図で全員がライフルを構える。


「撃つタイミングはお前たちに任せる。奴らに喉笛を噛み千切られる前に仕留めろ。それだけだ」


「……冗談だろ」


 ゴメス軍曹が小さい声で呟いたのを私は聞き逃さなかった。


 うめき声をあげながらトラックの荷台からドサリと降りた、と言うよりは落ちてきたそれはまぎれもなく私たちアメリカ国民にはなじみの深いゾンビだった。


「奴らを狙い撃つのは初めてか?チャーリー」


 後方の少尉がなじる。いくら民衆を守る立場にいるとはいえ、ここにいる全員が相手をしたことがあるわけではない。ましてやアメリカはごく限定された州の大都市でしかアウトブレイクが発生しなかった国だ。州によっては誰も実際に彼らを見たことが無くてもおかしくはなかった。


 タタタン、タタタンと誰かが発砲した合図で全員がゾンビへと弾を浴びせる。鉛の弾の雨を浴びて、すぐに彼らは穴だらけになった。


「どうした!?さっきの的はそんな位置にはなかったぞ!」


 激しい銃声の中、少尉が叫ぶ。


「っつったって今度は的じゃねぇ!相手は化け物でこっちは命がかかってるんすよ!!」


 オーウェン准尉が次々に引き金を引きながら答えた。


「狙って撃って殺すなら簡単に出来るんじゃなかったのか准尉!まだ一つも満たしてないぞ!」


「馬鹿言わないでくださいよ!全員で弾倉空にするくらいぶち込めばオールクリアだ!」


 再び草の上に立つゾンビたちに銃弾を浴びせていく。真っ黒な血がそこら中に飛び散っていくのが見えた。

 

 私は震える指を引き金に掛けたまま、一回も引くことができずにいた。

 

 准尉の言っていることはよく分かっていた。相手は人間ではなくて化け物。一瞬の隙も与えず弾を撃ち込むのが正しい。でも同時に少尉の言う事も正しいと私は分かっていた。だから必死でゾンビの頭へと照準を合わせていくけど、根こそぎ銃弾を撃ち込まれて草むらへと伏していく。


「ダメだ……まだ死んでない」


 草むらの影へと消えたゾンビに照準を合わせるけど、背の高い草に阻まれて何も見えなかった。

 准尉や軍曹はそうでないのかもしれないけど、私はゾンビとの相手はこれが初めてじゃなかった。


「まだだ、まだ撃ち込むぞ!相手は化け物だ!容赦するな!弾が空ンなるまで撃ち抜け!!」


 やがてすべてのゾンビが草むらに投げ出されると今度はあちこちから歓声が沸き上がる。

 大尉を始め、小隊長たちは何も言わずにライフルに手を掛けたままだ。



 私はまだライフルを構えたままで草むらの動きをじっと監視する。遠目から見てもまだ何十体と草むらの陰で立ち上がろうとしているのが分かった。


「おい子猫ちゃん!もう標的は片付けただろう!」


「いえ!まだです准尉!まだ動いています!」


「おいおい、風で草むらが揺れてるだけだぞ。それともなんだ。猫じゃらしが気になるのか?」


 准尉が私をからかうと数十メートル離れたところで銃声が鳴った。


「……生きてる!!まだ生きてるぞこいつら!!」


 他の小隊の一人の大きな声が空き地に響き渡ると、全員が再びライフルを構えた。


「クソっ……!ロメロの映画じゃねぇんだ……冗談じゃねぇぞ……!」


 准尉が草むらに向かって再び乱射をする。黒い血液が草むらから跳ね上がったけどきちんと殺せているのかどうかは分からなかった。


「映画と同じです!頭を撃たなきゃ、手足だとか心臓や喉を狙ったってなんも意味がないんです!!」


 おもむろに立ち上がったうちの一体の頭に狙いを定めて撃つ。長いブロンドの髪の女性へと撃ち込んだ銃弾は頭をしっかりと捉えた。


「……ごめんなさい」


 誰にも聞こえないように彼女へと謝罪の言葉を述べる。

 

「少尉!こっちはもう弾がねぇ!予備は用意してあるんですよね!?」


「同じくだ。アル……少尉!他の奴らも空にしちまった」


 准尉や軍曹を始めとして全員が弾を撃ち切ってしまったらしい。悲痛な叫びが荒野に響く。


「……予備の弾薬……?なんだそれ?美味しいの?」


 少尉は汗をにじませる准尉たちにしれっと返す。


「……は?いや、何言ってんすか少尉」


「たかだか百余りの無抵抗な標的を一個中隊の数を誇る男どもが狙って撃って殺すだけの簡単な作業なんだけど、これってそんな弾薬いる訓練に思える?」


「なっ……」


「中隊長の命令で弾薬はあまり持ってきてないの。あとは私がここに持ってる分と子猫ちゃんのライフルの中に入ってる弾だけね」


「ええっ!?」


 できるだけ前に集中したかったけれど思わず振り返って少尉の方へと向く。


「バーキン伍長。あんただけが頼りなんだからね。さっさと前向いて残りのゾンビを倒しなさい。この馬鹿どもが喰われちゃうわよ」


 明らかな非常事態にも関わらず少尉は笑ってみせた。


 笑い事じゃないですよ……。

 再び立ち上がろうとするゾンビの頭に狙いを定めて引き金を軽く引いた。

 立ち上る硝煙の匂いと銃声の中で少尉が呟いた言葉を私はしっかりとその耳で捉えていた。


「期待してるわよ、子猫ちゃん」

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