第三十五話「NIGHT OF THE LIVING DEAD・3」
一階のフロアまで降りると先ほどと同じようにうめき声がより大きく聞こえた。懐中電灯で照らされていない場所は本当に何も見えず、俺たちの恐怖をさらに煽った。飯田の彼女は既に泣いているようで、すすり泣く声が近くから聞こえる。急に叫びだすことだけは勘弁してもらいたい。
「もう一度確認するが……できるだけゾンビの少ない出入り口を探し、強行突破して駐車場を全速力で走り抜けて近くのファーストフード店まで走るってことでいいんだよな?」
千葉が石井に確認を取る。改めて聞くと随分命知らずな作戦だ。しかし、これ以外にいい方法も思い浮かばない。
「……もうそれしかないですから」
しばらく考えあぐねた後で石井が小さな声で返答する。明らかに苦肉の策であることは分かった。
「なるべく固まって歩けよ。若い男連中は後ろを頼む。屋上から侵入してきた奴らが来たら殺してくれ。俺たちは外のゾンビの数を確認する」
「……俺はどうしたらいい?」
まさか自分が若い連中に入っているわけでも無いだろう。
「秋津さんは武器を持たない人の近くにいてくれ。もしもの事があったらあんたが助けてやれるようにな」
テキパキと指示をこなす千葉にだんだんと募っていた警戒心が薄れていった。未だに何を考えているかは分からないが全員で脱出しようとしているのは本当らしい。
「何かあったら秋津さんに言うから、そっからあんたたちは秋津さんの指示で動いてくれ。じゃあ行くぞ付いてこい」
千葉が暗闇にマチェットを振りかざし合図を出す。その合図でぞろぞろと全員が暗闇の中を歩き始めた。
「……詩音、おんぶするか?」
「……うん。眠い」
『こわいひとたち』に囲まれてるとはいえ、小学校に上がる前の小さいガキだ。深夜の時間帯は眠くて当然なので宗太の背中に頬を寄せるとすぐに眠ってしまった。
「幸せそうでいいな」
「ええ……でもこれでいいんですよ」
「そうだな。目が覚めたら冷たい風に吹かれながら朝を迎えてれば一番なのだが」
成塚の言う通り、このまま何も見ずに朝焼けを拝んでほしい。心からそう願った。
前方を赤い照明が照らす。千葉たちは俺たちと同じようにできるだけ強い光を抑えた赤い光の懐中電灯で出入り口を一つ一つ確認している。時折小さい声で「ダメだ」と吐き捨て、先を行く千葉たち。
地面を照らす真っ白な懐中電灯の明かりが窓に漏れると血色の悪い顔と白い目が浮かび上がった。
さながら俺たちは缶詰の中の夜食と言ったところか。食事を待ちわびる歓喜の声に身悶えしそうになる。
「後ろは大丈夫そうか?」
「今のところは何も……見えないですね」
降りてきた階段を照らしながら石井が答える。花田と陸も目を凝らしながら二階を見ていた。
直後、鼓膜を割るような衝撃音がして男たちも女たちも全員声を上げた。
「キャアアアアアア!!!」
金切声を上げたのは前島家の母だった。
「何だ!?何が起こった!!?」
石井たちも声をあげ、目まぐるしく懐中電灯の明かりを振り回す。
コンクリートのような固い何かが落っこちてきたような硬質な音だった。一体何が……?
しきりに二階を照らす石井たちとは反対に何かが落っこちてきたと思われる方向へライトを当てる。
「「あっ!」」
俺と同時に声を上げたのは陸だった。直後またパーーン!!と何かが砕ける音が館内に響き渡り、再び悲鳴があがった。
俺の懐中電灯が照らす先には、砕けた頭から脳髄を垂れ流す首の折れ曲がった連中の死体があった。
「あそこにもいるぞ!」
石井が指を指した後、衝撃音が再び響き渡る。
詩音が眠ってくれていて本当に良かった。
二階まで来ていた連中はフラッシュライトの明かりに気づき、ゆっくりとこちらへ向かってきたらしい。明りに導かれるままに階段をスルーして二階から集団飛び降り自殺を始めていた。
パァン!!パァン!!パァン!!
次々と頭から飛び降りた衝撃音が耳を打つ。
「……クソ!厄介なことになったな……!」
千葉たちが近くの出入り口を照らすと、自動ドアをさらに強く叩きだす連中の姿が浮かんだ。意気消沈しきっていたうめき声は、餌を求めて吠え立てるオオカミのようになっていた。どうやら衝撃音と悲鳴で完全に刺激してしまったらしい。
「……っの……死ね!」
石井が後ろの敵に飛びかかって手斧で丹念に頭を破壊する。どうやら頭から行かなかった連中も何体かいるらしい。一か所ではなく何か所からも衝撃音が聞こえてくるのでどこにいるのかも把握できない。
「……千葉!前は任せた!全員なるべく違う方向にライトを向けろ!立ち上がったり這いずって進んでるような奴がいればすぐ報告してくれ!」
「倒すのは俺たちに任せてください!秋津さん、みんなをよろしく頼みましたよ!」
「分かった。あんま無茶すんじゃねぇぞ石井!」
口元に笑みを浮かべて相槌を打ったが、どうにもその笑顔は引きつったように見えた。誰だって余裕をかませる状況じゃないことくらいは分かる。
「……おいどうするよこれ!!本当にゾンビのいないとこ探せってか!?」
先頭を行く千葉が叫ぶ。さっきから自動ドアが大きな音を立てて揺れているのが聞こえていた。出れば食われてもおかしくないが、出なければ食われるのは確実だ。
「どうにか手の薄いところを探してくれ!!いつまでもつか分からねぇ!!」
「……ったく、無茶言ってくれるぜ……」
懐中電灯で全方向を照らすことは全体の状況を把握できる利点があるが、同時にエサのありかを示していることにもなる。
次々と二階から落ちてくる連中に、武器を持った男たちでさえパニックになる寸前だった。時折小さな声で「クソ……」と吐き捨てる声が聞こえてくる。
不快で大きな音がフロアに反響する。誰もがその音に命の危機を感じていた。
突如としてそんな音をかき消すほどの音が後方の奥から聞こえてくる。
何かの破裂音がしたと思うと、ガシャンガシャンと何かがフロアの床に崩れていく。
脳裏をよぎる最悪の結末。おそるおそる手に持った懐中電灯を向けた先には、カートが次々と横倒しにされていく光景が広がっていた。
頭の中が真っ白になった。
おそらく、この中の誰もが思考を伴わない恐怖を感じていたことだろう。
「あああ……ああああああああああ!!!!!」
叫んだのが誰かは分からなかったが、急に列を抜けて走り去ったのは飯田だった。
「おい、待て!!落ち着け飯田!!!」
俺の声を聞き入れずに前方へと駆けていく。千葉を押しのけ、カートが横倒しになった出入り口から一番遠い出入り口に向かっていった。
「明夫君!!!」
飯田の彼女も駆けだそうとする。
「成塚!頼む!」
成塚に彼女を抑えてもらい、俺は飯田の元へと走り出す。後方で彼女が泣きわめくのが聞こえた。
「飯田!!待て!!開けるんじゃねぇ!!」
懐中電灯を照らすと、積み上げたカートを崩し、カートを踏み越えて金属バットを一心不乱にぶつけドアをこじ開けようとする飯田の姿があった。
パラパラとガラスの粉が舞うドアの先には、数人でも太刀打ちできない数の連中が飯田をドア越しに噛みついている。奴の頭は真っ白になっていて目の前が見えていないのか、連中を迎え入れるように必死でドアを叩いていた。
「……死にたくない!!!まだ死にたくないよ!!!」
ガタガタと全身を震わせながらドアを叩く飯田を止めようとカートを踏み越える。
「やめろ!!死にたくねぇなら今すぐぶっ壊すのやめてこっちにこい!!」
「僕はまだ……死にたくないんだよ!!!!!!」
ガシャンと滝のようにガラスが地面に落ちるとそこから連中の手が飯田に伸びる。
「ああああ……あああああ!!!!」
あっという間に羽交い絞めにされ、その肢体に歯が突き刺さっていく。
「いだいいい!!ああああ!!いだいいいいい!!!いだいいいい!!!」
歯は肢体だけでなく横腹にも食らいつき、その皮が剥がれボタボタと床にはらわたが零れていく。
俺は指先一つ動かせず、その光景を目で追うことしかできなかった。
「あああああああ!!!!!!!」
飯田の断末魔がフロアに響くと、彼女の悲鳴も奥から聞こえてきた。その声で我に返りふらつく足を無理やり走らせて中央へと戻る。
戻って来た俺の姿を見て発狂したように泣き叫ぶ彼女を成塚と爺さんが必死で抑えていた。
俺は彼女に何も言えず、逃避するように千葉に報告する。
「……この奥のドアもやられた!!完全に挟み撃ちだ……!!」
赤い照明に照らされた千葉がにやりと頬を緩めたが、目は笑っていない。
「……そいつは……どうも」
指さした方向を凝視しマチェットを構える。
「……挟み撃ち……それじゃあ逃げられないってことですか!!?」
俺の腕を掴んで嘆いたのは前島さんだった。
「……あぁ、少なくとももう外に出れる余裕がなくなったってことだ」
「……そんな」
「……ねぇ、あなた。もう本当のことを言っても……」
「そんなこと……今更……!」
夫婦二人で何かを話し合っている。
「おい!何かあんなら早く言え!!状況見ろよ!!」
怒りをあらわにして叫んだのは千葉だ。
「……!!……っ……あの……く……車なんですけど……!!」
「……車?」
「……はい……そのっ……ファーストフード店にはないんです!このモールの裏側にあって……!!」
前島家以外の全員が彼を見つめていた。
「前島さん……!なんだってそんな大事なこと……」
肩を掴んで前島さんに尋ねる。
「秋津さんよぉ!今は責め立ててる場合じゃねぇだろ!!モールの裏側ならある程度の作戦変更も効く!さっさとそっちの方まで向かうのが先決だろ!?」
「……っ!分かったよ!裏口に一番近い出入り口まで進む!全員ライトはあちこちに向けたままで進め!!」
かつてないほど最悪な状況だった。
いつ誰が連中のエサになるのか全く予想できない中、俺たちは脱出するため再び歩き出す。
腐臭と鉄の匂いが漂うモール内。
明けない夜がここにあった。




