真里菜の残したもの
「なんじゃこりゃ!」
思わず叫ぶにしても、ありきたりな声をあげた。
俺が生まれるよりはるか昔のドラマで、拳銃で撃たれた刑事が同じように叫んだそうだから、人間、意味不明なことが起きると無意識にそう叫んでしまうのかもしれない。いや、あっちは脚本通りに叫んでいるわけだから無意識なはずがないか。
だが、俺は無意識に叫んでいた。
なにしろ、天文台の前に女神、魔神の皆様はじめ、ダークエルフの皆が揃っている広場で、ハート形のお立ち台が置かれ、
【イチノジョウ様に告白大会!】
という横断幕が掲げられていたのだから。
「なんだこれ、何も聞いていないんだが。誰の仕業だ⁉」
そもそも、告白大会ってなんだよ。
「すみません、楠さん。私です。その、このまま帰ってしまったら、マリーナにも、カノンにも怒られてしまうので」
彼女はそういうと、恥ずかしいお立ち台に上った。
「私は楠さんのことが好きです! もしよかったら、私と婚約して、一緒に日本に帰ってください!」
それは、あまりにも突然の告白だった。
告白大会と書いてあるんだから、突然もなにもないだろうか。
真里菜にもこれまでにおわせている態度があったし、拠点帰還にも登録されていた。
なんて、これが物語で、俺が読者だったら思っていたかもしれない。
しかし、俺にとってはやはり突然以外のなにものでもなかった。
突然の告白、好きだという気持ち。
驚きはしたが、しかし、彼女の気持ちは俺の心に伝わってきた。
「……ありがとう、真里菜。とっても嬉しいよ」
俺は彼女だけを見て言う。
「でも、ごめん。俺はこの世界に残るって決めたんだ。お前の気持ちには応えられない」
俺の言葉に、真里菜は少し俯いた。
彼女の言葉は、彼女の気持ちはとても嬉しい。
自分を好きになってくれた人を突き放すというのは、こんなにも辛い物なのかと心が痛い。
でも、それ以上に辛いのは彼女なのだと、俺は真里菜をしっかりと見た。
「……はい、わかっていました。あ、私が振られたときはカノンが『あとでぶん殴る』って言ってたので、甘んじて受け入れてくださいね」
そう言って真里菜はくすっと笑った。
「それはイヤだな」
俺は釣られて笑った。
「これで、私の思い残すことはありません。では、次に行きましょう」
「次って……え?」
他に俺に告白する人がいるのか?
すると、真里菜と入れ替わるように、お立ち台に上った人がいた。
ノルンさんだ。
「お兄さん……いえ、イチノジョウさん! ええと、フロアランスの広場においしい川魚の店ができたので、今度一緒に行きましょう」
「え? はい」
俺は頷くと、周囲から拍手が起きた。
川魚は好きだし、誘われたらいつでも受けたのに、なんでこんな場所でわざわざ?
というか、一緒に食事をする約束なら、すでにしていたはずなのに。
「じゃあ、次はミリの出番だね」
真打登場とばかりに、ミリが壇上に上がる。
「お前も何かあるのか?」
「うん、重大な告白がね」
ミリからの重大な告白ってなんだ?
イヤな予感がするんだが、魔王関連か? それとも女神関連か?
「実はミリはおにいの本当の妹じゃないのっ!」
「本当に重大な告白来たっ!」
「というのは冗談で――」
冗談と聞いて、俺はほっと胸を撫でおろす。
質が悪いにもほどがある。
「私、人間じゃなくなっちゃったけど、それでもこれからもずっと、おにいと一緒にいさせてください。ずっと妹でいさせてください」
ミリは俺にそう言った。
真剣な目で。
「……は?」
何言ってるんだ、こいつ。
「いや、ミリ。一応、これから真里菜を地球に送るんだし、少しは空気読めって。これ以上おふざけに時間を取ってる暇ないんだが」
「ちょっと、おにい、なんでおふざけなのよっ!」
「俺はお前の保護者なんだ。一緒に暮らすのは当たり前だろ? ていうか、妹でいさせてくださいって、俺が無職を辞められない以上に、お前は俺の妹を辞められないんだよ。まぁ、兄としては妹に立派な旦那さんを見つけてほしいという気持ちと、いつまでも独身でいてほしいって気持ちで揺れ動いていたけど、女神になったら結婚ってできないんだろ?」
俺が笑って言うと、ミリは顔を真っ赤にしてお立ち台から降りた。
なにをしたかったんだ、あいつ?
「傍若無人魔王が盛大に滑ったデスね。傑作デス!」
シーナ三号がケラケラと笑って言うと、それを聞いたのか、ただの八つ当たりか、ミリが彼女の脛を思いっきり蹴り、蹴られた彼女は地面に倒れて脛を抱えてぐるぐると転げまわっていた。
ミリは魔王になっても女神になっても相変わらずだな。
「というか、そろそろ本題に移ってよいかの? 妾、家に帰って撮り溜めしておいた深夜アニメを見ないといけないんじゃが。そろそろ見ておかないと、ネットで先にネタバレを見てしまう可能性があるのじゃ」
トレールール様がとんでもないことを言い出した。
ミリ以上に空気の読めない女神様だ。
「トレールール、地球に浄化した気が最大限に高まるまで、現時点からあと五時間三十七分十二秒あります。また、装置の準備も終わっていません」
「そういうことだよ。まぁ、こうして新旧女神が揃うことはめったにないんだから、少しは場を楽しみな。なぁ、ミネルヴァ」
ライブラ様が時計を見て秒刻みのスケジュールを告げ、コショマーレ様がお茶を飲んでトレールール様を窘めながら、横にいるミネルヴァ様を見た。
そのミネルヴァ様はというと、椅子の上に体育座りになり、ぶつぶつと呪詛のようになにかを呟いていた。
「周囲の目が痛い。『お前、あれだけ世界を乱しておいて、なにしれっとパーティに参加しているんだよ』って視線が痛い。死にたい……ていうかあの時なんで死ねなかったんだろ、私。絶好の機会なのに。やっぱりいまからでも遅くない。死ねば死ぬとき死ねども死のう」
「甘んじて受け入れなさい、ミネルヴァ。これはあなたに課せられた使命です」
ミネルヴァ様の横で、女神に戻ったテト様が黙々と本を読み続けている。
魔神になっていた間の仕事がたまっているそうだ。
瘴気の問題が後回しになったと言っても、それ以外にも世界の災厄の種はいろいろと残っているらしく、手を抜くことはできないんだとか。
ただし、魔神となったメティアス様とミネルヴァ様が、現在テト様のところで仕事の手伝いをしていて、そのため、いま溜まっている仕事がある程度片付いたら、少しは作業にゆとりができるらしい。
「魔神と女神が一緒になって食事とはな。これもあんたの予想通りだったのかい? メティアス先輩」
「さて、どうなのでしょう。魔神となってからは未来を見通す力にも制限がかかっていましたからね」
ビールをピッチャーごと飲んでいる豪快なセトランス様の問いに、メティアス様は優雅にワイングラスを傾けて言った。
「まったく、結局のところは問題を先送りしただけだって言うのに、暢気なものよね、女神も魔神も」
「お前が言うなっ」
俺はミリの頭に手刀を打ち込む。頭のリボンが大きくへこんだ。
そもそも、こいつが無人島に瘴気を自動的に浄化させるシステムを作ったことが、メティアス様に今回の件を思いつかせる原因になったのだから。
ついでに、魔石の回収も進めば、さらに瘴気の問題が解決するそうだが。
「でも、魔石の回収とかって簡単にできるものなのか? 魔石はこっちの世界では大切なエネルギー源なんだろ?」
「そのあたりはコショマーレがいろいろ考えているみたいだし大丈夫でしょ。思いつかなかったら、百年後から私が動くから大丈夫よ」
大した自信だ。
ミリは女神になるにあたって、百年間は女神としての仕事をしないという条件を出した。
なんで百年なんだ? と尋ねたら、俺が死ぬのを看取ってからでも遅くないからだという。
その理論でいうなら、俺は百二十歳まで生きることになる。
ハルやキャロを残して死にたくないとは思っていたが、そこまで長生きできるとは思えないんだけどな。
「それなら、俺が死ぬまで女神の仕事をしないという条件にしたらよかったんじゃないか?」
と尋ねたところ、
「それだと、女神や魔神がおにいを秘密裏に暗殺するかもしれないでしょ」
なんて、とんでもないことを言い出した。
さすがにそれはないと信じたいが、世界が平和に機能するか確かめるために、世界を滅亡させようとしたメティアス様が魔神の筆頭なのだ。
どうしてもミリの力が必要になったとき、俺ひとりの命と世界を天秤にかけたら、本当に俺を暗殺しかねない。
これに関しては、ミリグッジョブと言っておくことにしよう。
グダグダの告白大会も終わり、時間までみんなで立食形式での食事を楽しむことにした。
全員でバーベキュー大会だ。
「ご主人様、こちらのお肉が焼けています」
「イチノ様、こちらのキノコが焼けています」
ハルとキャロが盛ってくる肉やキノコを食べながら、俺は真里菜のほうを見た。
彼女はバーベキューには参加せず、マーガレットさんからもらったサンドイッチを食べていた。
「どうした、バーベキューは食べないのか?」
「はい。コショマーレ様に聞いたら、仮面の欠片は地球に持って帰ってもいいそうですが、このサンドイッチは向こうに持っていけないそうなので。それに、このサンドイッチは私の好きな物ばかり入っていて」
サンドイッチの種類は多い。
全部好きな具材が入っているのか。
真里菜の性格的に、マーガレットさんと仲良くなったとはいえ、好きな食べ物を聞かれて、いくつも答えることはできないだろう。
なら、なぜマーガレットさんが知っていたのか?
「それって……」
「はい。カノンも一緒に作ったんだと思います。私のために」
「カノンらしい贈り物だな」
「はい。あ、楠さん、これもお返しします」
真里菜はそう言って、風の弓を俺に渡した。
魔弓も当然、地球に持っていくことはできないそうだ。
「あぁ、これも真里菜に渡しておくよ。あぁ、ひとつだけ頼みがあるんだが」
「なんですか?」
俺は、とある住所について説明した。
手書きの地図も一緒に渡す。
「ここにある寺なんだがわかるか?」
「はい、わかります」
結構有名な寺だったので、真里菜も知っていたようだ。
「そうか。じゃあ、そこの近くの霊園の左奥から二番目に楠家の墓って書いている墓石があるから、そこに行って俺の両親に報告してくれないか? 一之丞もミリも元気に楽しく暮らしていますって」
俺とミリが転移した時点で、地球に住むすべての人から俺たちふたりに関する記憶は失われているという。
しかし、死んでいる人の魂まではその効果もないだろうから、きっと両親もあの世で心配しているに違いない。
「わかりました。必ずお伝えします。ついでにお墓の掃除もしておきますね」
真里菜はそう言ってくれた。
食事が終わっても時間は余ったので、余興にと真里菜が大道芸をしてくれた。
一輪車に乗ってジャグリングから始まり、シガーボックスや手品、玉乗りに綱渡りと様々な芸を見せてくれた。
大玉に乗って綱渡りをしながらジャグリングをするという、合わせ技にもほどがあるだろっていう大道芸には度肝を抜かれたが、同時に、短い期間でこの大道芸の舞台の大道具と小道具を作ったというピオニアの開発の腕にも驚かされた。
さらに余った時間で、ダークエルフたちの讃美歌斉唱や、弓の的当てパフォーマンスが行われ、そして気が付けば時間になっていた。
「準備が終わったよ」
そう声をかけたのは、ダイジロウさんだった。
いつの間にここに?
というか、女神でもなく、許可シールを渡していないのにマイワールドに入れたのか?
「私が呼びました。地球に戻るための方法はありましたが、座標の設定は彼女にしかできません」
メティアス様が言った。
なんでも、地球に戻るだけなら簡単なのだが、転移した場所に戻すには特別な計算が必要なのだという。
「ていうか、ダイジロウさん、地球に戻ってなかったんですか? 一足先に日本に戻っていると思っていました」
「あんたには地球に戻るための座標を記した本を渡したでしょ?」
ミリが言うには、ダイジロウさんに渡した本の中には、アザワルドから浄化された瘴気が噴き出すであろう時刻と場所を記した紙を渡してあった。
その座標データと、ダイジロウの発明品があれば、今回のように地球に戻れたはずだとミリは語っていた。
「これのおかげで、その必要がなくなったから」
「え?」
俺は思わず声を上げた。
ダイジロウさんはそう言って、懐から一冊の本を取り出した。
それは、ニャーピースの最新刊(の複製本)だった。
「続きが読みたくて読みたくて仕方のなかったニャーピース及び日本の漫画がこの世界に揃っている。わざわざ地球に戻る必要がなくなったのだ」
「あんた、漫画なんかのためにそんなに頑張ってたのかよ!」
俺は思わずため口で突っ込みを入れていた。
そうか、海賊のコスプレをしていたのは、飛空艇に乗っている空賊をイメージしているのではなく、まんまニャーピースのコスプレだったというわけか、畜生。
そういえば、この人はビッグセカンドとかいうペンネームで同人誌を描いてるような生粋の二次元好きだったことを忘れていた。
「なんかとはなんだ。漫画は日本の宝、日本の心だぞ!」
「わかりましたから。じゃあ、ダイジロウさんは日本には戻らないんですか?」
「ああ。これからもこっちの世界に迷い込んでしまった日本人のサポートをしていくつもりだ」
「……頑張ってください」
そうだよな、この人は最初からこういう人だった。
同じ日本人のために世界中を飛び回り、転移者がたどり着く場所に先回りして、助けとなる情報と道具を置いていく。
俺はずっと彼女に助けられてきた。
もしかしたら、日本に戻る手段を探すのだって、漫画のためというのは口実で、真里菜のように日本に戻りたい日本人のために行っていたことかもしれない。
恩着せがましさを感じさせない、少年漫画のヒーローみたいに。
「真里菜さん、こっちに。そろそろ時間がない」
「はい」
真里菜はそう返事をすると、俺に駆け寄り、なんの前置きもせずにキスをした。
唇と唇が一瞬触れ合うだけの、感触もほとんど感じさせないような微かなキスで、むしろサンドイッチの中に入っていたらしい香草の香りのほうが強く印象に残ったくらいだった。
そのキスは、まるで魔法が溶けてしまうのを恐れて逃げ出してしまうシンデレラが落としていったガラスの靴のような印象を俺に与えた。
背中を向けて走り出す彼女に俺は一瞬手を伸ばし――そしてその手をひっこめた。
「がんばれよ、真里菜! 向こうでも達者でな!」
「はい、行ってきます、皆さん、お世話になりました」
彼女は天文台にかけられた梯子を上っていき、そのてっぺんで大きく手を振ると、最後まで笑顔のまま光の柱に消えていった。
一抹の寂しさと、たくさんの笑顔を残して。
真里菜が去ったあと余韻に浸っていた俺だったが、女神様たちが一斉に立ち上がった。
「さて、そろそろ帰らせてもらうよ」
コショマーレ様がそう言った。
「え? もうですか?」
「ああ。なにしろ、こっちは効率よく迷宮を運用するため、新しい形の迷宮を作らないといけないからね。テトを除いた各女神がそれぞれ十、合計四十の迷宮を作って運用するつもりだよ」
そうか、もう始めるのか。
迷宮攻略が好きなハルは、その話を聞いて、尻尾の動きが止まらない。
いまからでも楽しみにしているようだ。
「待て、コショマーレ、勝手に決めるではない。妾は撮り貯めしておいた深夜アニメを見ないといけないって言っているじゃろ!」
「録画してるなら、いつだって見られるだろ?」
「それではインターネットでネタバレが――」
「安心しな、ネットサーフィンができないくらいの仕事が待っているからね」
コショマーレが笑みを浮かべると、トレールール様は後ずさり、
「嫌じゃ! 妾にはバカンスは必要じゃ!」
「ちょっと、お待ち! トレールール!」
逃げ出すように消えたトレールール様を、コショマーレ様が追いかけるように同じく消えていった。
コショマーレ様も本当に大変だな。
「それでは、私たちも失礼します」
「そうだな。新しい迷宮か。どんな魔物を作るかワクワクするな」
ライブラ様とセトランス様も去っていく。
「それでは、我々も行きましょうか。メティアス様、ミネルヴァ」
「ええ、それではイチノジョウさん。精一杯生きてください。この世界は人間ひとりひとりの力でかろうじて災厄から免れている。それは、ひとりの力ではどうにもならないということではなく、ひとりが欠けることによって、いつ災厄に転ぶかもしれないということです。決して努力を怠らないように」
「……でも死にたくなったら、私に言ってね。代わりに仕事をしてもらうから。仕事をいっぱいしているときは死にたいって思う気力すらなくなるのよ」
テト様、メティアス様、ミネルヴァ様がそれぞれ言った。
ミネルヴァ様のそれって、かなり危ない症状じゃないだろうか?
少し不安に思うが、それでもミネルヴァ様は大丈夫だろうとも思う。
魔神になっても、自分を裏切っていたと知っても、それでも変わらずに接してくれるテト様が側にいるのだから。
女神様たちが去ったあと、残った俺たちは後片付けを始めた。
ふとテーブルを見ると、真里菜が返してくれた風の弓を含め、彼女が持っていたアイテムバッグなど、地球に持って帰ることができない道具が置かれていた。
俺はその弓を持ち、呟くように言う。
「向こうでもがんばれよ、真里菜」




