帰還の日
フロアランスに帰ってきて一週間が過ぎた。
あの戦いは、もう遠い昔のようにも感じるし、つい昨日のようにも感じる。
それくらい、現実感のない戦いであった。
だが、それでも流れた時間は戻ってこない。
真里菜が日本に戻る日がやってきた。
「マリナちゃん、ニホンって国に帰っちゃうのね。寂しくなるわ」
マーガレットさんがハンカチを噛んで、目に涙を浮かべる。
マイワールドが使えなかった間、俺たちは彼女の家に居候させてもらい、最初は面食らっていた真里菜も、いまではすっかり彼女と仲良くなった。
「これ、お弁当。向こうで食べてね」
「ありがとうございます」
彼女は礼を言うと、被っていた魔法使いの帽子を外し、頭を下げ、マーガレットさんが差し出したランチボックスを受け取った。
そして――
「マリナ……」
マーガレットさんの横に立っているカノンが真里菜に声をかけた。
カノンは真里菜に近づくと、そっと抱き寄せた。
「あんたは私に勝ったんだ。日本って国がどんな世界か私は知らないけれど、もう大丈夫。マリナは誰にも負けないよ」
「……うん、ありがとう、カノン。本当にありがとう」
そして、真里菜は満面の笑みでカノンに別れを告げる。
本当は泣きたくなるような気持ちだろうに、頑張って笑顔を作って。
彼女は強くなった。
きっと、マリーナの強さが彼女の中でしっかり生きているのだろう。
「もういいのか?」
「……はい」
「カノン、もしよかったらマイワールドまで――」
「あぁ、もう。せっかく私が感動的な別れを演出したのに。そんなことばかり言ってると、ガールフレンドふたりに愛想つかされるよ」
カノンはそう言って笑った。
「そっか。じゃあ、ちょっと行ってくる」
そう言って、手を振るマーガレットさんに頭を下げ、真里菜の手を握って「拠点帰還」と魔法を唱えた。
マイワールドに戻ったところで、俺は真里菜に言う。
「もう泣いていい――」
俺はそう言いかけて、そっとハンカチを取り出して彼女に渡した。
彼女はそれを受け取り、涙を拭く。
「すみません、ありがとうございます」
「よく我慢したな」
本来、こういう別れのシーンでは、「今生の別れというわけじゃない」「生きていればきっとまたいつか会えるさ」と言う流れになるのだろうが、今回の場合は違う。
地球とアザワルド、二つの世界の行き来はそう簡単にできるものではない。
もう、真里菜は二度とカノンに会うことができない。
それは、真里菜もカノンもわかっていただろう。
「ご主人様、準備ができています」
先にマイワールドに戻っていたハルがピオニア、ニーテとともにやってきて、マリナを一瞥する。
「マリナさん、ライブラ様より伝言です。周期の流れを観測したところ、今日を逃したら、次に地球に行けるのは三年後だそうです」
三年――物語の定番だと、今回を逃したら次に地球に行けるのは何百年後とか言って、戻る決心をさせるところなのに、そんなこと言ったら決心が揺らいでしまうんじゃないか?
「大丈夫です。今日、地球に戻ります。三年もこっちの世界に残ったら、社会復帰が難しくなりますから」
真里菜がとても立派なことを言う。
俺よりも遥かに偉い。
「そうだよね、引きこもり生活が長いと社会復帰が大変だよね。そう思わない? ピオニア姉さん」
「否定します。社会に求められるのは多様性であり、私が持つ地球のデータベースを参照すると、自宅から出ずに社会参加することは可能です」
「姉さんの引きこもり体質は筋金入りだ。あたしは妹として先が思いやられるよ」
ニーテがやれやれと言った感じで首を横に振った。
俺たちはその足で天文台に向かった。
ちょうど、この場所からは星の裏側にあるため、かなりの距離がある。
マイワールドも大きくなったもので、最近は俺の知らない建物も増えてきている。
例えば――
「イチノジョウ様! 新刊が出たんです! 持っていってください」
「ニャーピースの最新刊もあるデスよ!」
いつの間にかできた本屋で、リリアナとシーナ三号が手を振って言った。
「お前、今日は真里菜の別れの日だっていうのになにをやっているんだよ! というか、この漫画はどうした?」
確かに、そこには俺の知らないニャーピースの漫画があった。
俺がこっちの世界に来たときにはまだ発売していなかった新刊だ。
「トレールール様から借りたのをコピーしたデス! シーナ三号の手にかかれば余裕デス」
「お前、著作権って言葉をいい加減に学べ」
「甘いデスね、マスター。こちらの世界では本の模写は合法デス。むしろ、印刷技術の発達していないこの世界では、九割以上の本が写本なのデス!」
「ほぉ……で、この漫画はどうやって描いたんだ?」
「もちろん、シーナ三号の手にかかれば本の複写など朝飯前デス! 三秒で製本完了したデスよ!」
お前の印刷技術、地球以上じゃねぇか!
なんだよ、その無駄スキル。
こいつが世に出る前に、国際条約で著作権保護に乗り出さないと、アザワルドから作家業という仕事が成立しなくなるぞ。
とりあえず、ニャーピースの最新刊はあとで読むことにして――
「それで、リリアナの本、これはなんだ?」
「もちろん、今回のイチノジョウ様の活躍を本にしました! 勇者アレッシオを倒し、『勇者とか魔王とか関係ないよ。お前も一回無職になってみろ。世界はそれだけで違って見えるんだぜ』と言ったシーンとか感動しました」
待て、なんでそれをお前が知っている?
決め台詞ほど、他人に言われて恥ずかしい言葉はないんだぞ。
「こんな本、だれが買うんだ?」
「すでに百部売れています」
「マイワールドの人口を上回っているぞっ⁉」
「挿絵にイチノジョウ様のイラストを使ったのがよかったんでしょうね。皆さん、読書用と観賞用と買っていかれます」
口絵の部分に俺を三倍くらいかっこよくしたイラストが描かれていた。
しかし、本当に二冊も売れるのか?
「すみません、二冊ください」
「はい、ありがとうございます」
横で本当に買っている奴がいたっ!
ハルは買わないのだろうか?
「あ、そうそう、ハルさん。また次巻を考えているので、ネタがありましたら提供をお願いします。もちろん、献本はお渡ししますので」
ハルは製作者側だった。
くそっ、俺が勇者に言ったセリフをリークしたのは、やっぱりハルか⁉
気付いていたよ、あの場にいたのはハルとミリだけだもんな。
しかも、シリーズ化されているらしい。
「シーナ、例の準備は終わったのですか?」
ピオニアが尋ねた。
「はいデス! 準備は完了してるデスよ!」
「例の準備?」
俺は何も聞いていない。
真里菜の送別会だろうか?
だとしたら、俺も打ち合わせに参加したかったと思う反面、女神様たちを待たせることにならないか心配になる。
それに、真里菜にとってダークエルフたちはほぼ初対面なわけで、空気とか大丈夫だろうか?
まぁ、成長した真里菜なら大丈夫か。
こいつの心の成長速度は、今回の件で俺の成長チート並みだということが証明された。
ただし、ずるは一切していない、彼女自身の力なところが、俺とは全然違う。
そうだ、せっかくだし、最後に真里菜の宴会芸でも拝むとしよう。
彼女の大道芸スキルをのんびりと見たことがなかった気がする。




